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257:瞼の表があって,裏があり,そして,瞼そのものがある.

瞼を閉じようとすると閉じる.当たり前のように閉じる.しかし,過去の私の瞼は閉じようとしても閉じない.瞼を閉じても暗闇はやってこないで,暗転のように場面が変わるだけである.暗転と入っても,暗闇がやってくる前に,瞼を閉じると,いきなり俯瞰になったり,瞼を閉じた自分を後ろか見ていたりという視点に移動してしまう.このとき,瞼を閉じた顔を見るということは起こりにくい.両目を閉じているところは鏡では見れない.自撮りをすれば見れる.わざわざ両目をつぶって自撮りはしない.あまり見ないから,両目を閉じた自分を見る視点がないのかはわからないが,瞼を閉じたときに,瞼を閉じた自分の顔を見ることはないし,瞼を閉じて,瞼から透ける光を見ることはない.そもそも夢や過去の自分を思っているとき,瞼を閉じようとは思わない.夢の中の自分は,夢を見ている自分がすでに瞼を閉じているから,瞼を閉じようとは思わない.過去の自分を想起しているときは,想起している自分は目を開けていることも多いけれど,より細部まで見たいと思うと,目を閉じていることが多い.ここでも今の私が瞼を閉じているから,過去の私は瞼を閉じようとは思わない.いずれにしても,瞼を閉じるのは,今の私である.今の私は瞼を閉じて,瞼を透かしてくる光を見る.世界の情報をほぼ失って,光と瞼の皮膚の情報だけを私に届ける光は,輪郭もなく,ただただ血のような赤い平面をつくりあげる.私はその赤い平面がとても鮮やかに見えたことがあった.

疲れすぎていて,頭がおもい.そこに広がる空間は白くはない.重いというか,輪っかで軽く締め付けられている感じ.孫悟空はもっと痛い感じで締め付けられていた.白くはなく,ただ締め付けられている感がある頭で考えて,文章を書くのはなかなか難作業に思える.一文一文を書くのがやっと.その繋がりを考えることは難しい.一文前に書いたことと,今書いていることが繋がるような感じもあろうがなかろうが,今書いている文は一つ前の文から生み出されている.接続詞を意識的になくしてみようとはいつ頃から思ったのか.三日前には思っていた気がする.ここも接続詞を使いたいところだが,使わない.文章を書くときに制限をかけて,自分的な実験をして,そこから感じられることを書いていく.毎日書いていく.頭が重くて,白くはないときも書いていく.書いてみる.書くことで,書かれたことが生じて,思考が残る.思考とは言えないものかもしれないが,書くことで残るものがあるのは事実なので,書く.今日の文章は,一番最初に書いた「頭が重い,白くはない」がよくて,あとは重いものをどうにかして動かしている.動かしているうちに,白いものが消えていくかなと思ったけど,それは消えはしないし,重さも消えないので,今日はここまでにする.

普段はここまで鮮やかなのには気づきもしなかったが,そのときは,とても鮮やかな赤が私の〈視界〉を覆っているのを体験していた.村本剛毅の《Imagraph》を体験した直後に外に出て,瞼を閉じて,太陽を見たときに感じた鮮やかな赤い平面は驚くべきものだった.それは,作品体験の一つとして,私の身体に残っている.作品は瞼を透して,視覚的イメージを見せるもので,そのイメージは瞼を開けて見える何かとは結びつかないような感じで,瞼のあたりを漂う.明確な輪郭を持たないイメージが,くらげのように瞼のあたりを漂っているのを見ていると,気がつかないうちに眠りに落ちてしまう.見ようとして見ているわけではなく,もっと暴力的に,見ないようしても見せられる.見るということから逃げ場ない作品体験は,装置としては暴力的だが,まぶたに漂うイメージはとても優しい.優しいけれど,私の意思でそれを見ないということはできない.瞼はすでに閉じている.瞼以外に何を閉じればいいのか.見ないために寝るということもできるかもしれないが,多くの人は心地よさと共に寝る.だとすると,《Imagraph》は暴力的にイメージを見せる装置であると同時に,装置が生み出すイメージは輪郭が朧げな掴み取りがない,優しさを持って,見る人の〈視界〉を覆うものになっている.そこには相反するものが瞼を介して触れ合っている感じがある.瞼の表には暴力的な装置が触れていて,瞼の裏には優しげなイメージが現れる.表と裏とのあいだのちがいを生み出しているのが,瞼という薄い皮膚となる.瞼の表があって,裏があり,そして,瞼そのものがある.《Imagraph》は瞼そのものを感じさせてくれるのかもしれない.瞼という薄い皮膚そのものを意識させる.それは装置が触れる物質であり,イメージが現れる抽象的な〈膜〉でもある.〈膜〉となった瞼は〈視界〉そのものに迫り,ほぼ〈視界〉になっている.《Imagraph》体験は,瞼が何かしらの物質とは異なり,触れたくても触れらない〈視界〉にしてしまう.そのような体験をした後で,瞼を閉じて太陽を見ると,太陽の暴力的な光を遮断する物理的な膜として瞼は機能して,とても鮮やかな赤で覆われた抽象的な〈視界〉を私に感じさせる.

そんな状況を体験したあとで,こんなテキストを読んだ.

不思議に思うだろうが、消滅した視野を埋めるのは白でも黒でもない。まさに無だ。頭の後ろに何もないのと同じようにそこには何もない。分離脳患者の右脳の視覚世界を疑似体験しているかのごとく。


渡辺正峰『意識の脳科学 「デジタル不老不死」の扉を開く』

『意識の脳科学』という本に書かれた一文は,〈視界〉の手前の感じを表しているように感じた.偏頭痛で失った視野を埋めるのは白でも黒でも無だということ.その無の視野は「〈視界〉の手前」が〈視界〉を埋めてしまったという感じがした.もちろん,私は偏頭痛持ちではなく,視野が「無」になってしまったことはない.しかし,〈視界〉の手前で何かがあるけれど,それが何んであるかを確かめられないときの感覚というのが,「無」なのではないかと考えた.何かがある感じがするのであれば,それは「無」ではないだろうというツッコミがあるのはわかる.私もそう思う.でも,私が,私たちが感じる「無」というのは,何かがあるけどそれがどうしようもなく現れない,感じだけがあるけど,何もできないで,感じだけはあるけど〈視界〉にそれは現れないという感じを〈無〉と感じているのではないか.それは完全なる「無」ではない.あるにはあるけど,その感じをどうやってもこちら側に持ってこれないで,それは手前にあり続けるという感じで,その手前も確かめようがない.このある感じが私が確かめられないところにあって,それをどうにかしようとしてもどうにもできないという感じを,私は〈無〉と感じた.それは確かにないし,ないから見えもしないけれど,その見えているを成立させる〈視界〉の手前のどこかにはあるという感じ,そこには白も黒でもない無色の何かがあって,その無色の周囲には無色の空間があるから,何もないと言えばないのだけれど,何かを感じてしまう.だから,上の引用を書いた渡辺さんの「頭の後ろに何もないのと同じようにそこには何もない。」とは全く異なるのだけれど,白ではなく無色だということから考えがトントンと進んでいったら,私の感じる〈無〉というのは〈視界〉の手前のことだということになったのである.

はじめてビールで酔ったとき,弟と一緒に凧揚げに行った気がするが,実は,弟はいなかったような気がしてきた.私一人で凧をあげに行った気がしてきた.グラウンドまで行くときに,弟がどのように歩いてきたのか,弟と話したことなどがまったく思い出せない,想像できなかった.この感じだと,私は一人で凧をあげに行っている.凧揚げをするときに,凧を持つ人が必要だから,弟と一緒に行ったと思い込んでしまっていた.弟がいなくても,一人で,考えてみれば,凧揚げはできる.私は一人で凧揚げに行って,酔いが回って,家に帰ってきて,寝てしまったのだ.そのあいだ,弟は何をしていてのか,それはわからないし,弟は私の〈視界〉に現れてこない.

今日は弟のことを書こうとしていたわけではなかった.近頃書いている「死」について,また書こうと思っていたのだったのだが,昨日書いたものを読み返したら,弟がいなかったということに気づいて,それを書いた.弟がいないということと「死」とは何も関係ない.明示的な関係はない.どこかで関係があるとしても,その関係は今はわからない.「死」で何を考えようとしていたのか,その考えも弟と同じように今は消えてしまっている.考えがいなくなってしまっている.この考えと弟との不在はまったく似ていない.弟は昨日は確かにいたのだが,今日は家からグラウンドまでのあいだにまったく現れない弟はいないとなった.昨日は確かにいて,一緒に凧揚げをしていたし,その昨日は,私が小学4年生くらいの正月のことで,そのとき,弟は確かにいた.それが今日はいなくなったけれど,凧揚げを一緒に行かなかったというだけで,弟はそのとき,どこかにいたことは確かである.しかし,今日,私が「死」について考えた思考は,今どこにもないということが弟と似ているが,弟と違って,そのとき考えたときに現れたことは確かだが,その後,すぐに消えてしまっている.弟のように確かにいたという感じが,私が今日の11時くらいに考えた死についての思考にはまったくない.「確かにいた」という感じを得ることなく,その思考は消えてしまっていた.そのとき,メモとかをしておけば,弟のように確かに存在したと感じられるかもしれないが,メモは残っていない.たとえメモが残っていたとしても,そのときの思考に付随する感じはおそらく「確かにいた」という感じをもたらすものではない.そのメモをした私は「確かにいた」と感じるが,その思考そのものに対しての「確かさ」は生まれることがない気がする.

「確かにいた」という感じがないまま,私は今日の11時ごろに保坂和志の『小説の誕生』を読んでいるときに,今日は「死」について書こうと思って,書くことのアイデアを示す一文もそのときはあった.この一文があったという「確かさ」はあると,さっきは「確かさ」は生まれることがない気がすると書いたが,その直後に,その一文があったことは確かだと思うとなった.その一文がどんなものだったのかは思い出せないので,結果としては,死についての考えの「確かさ」はないままと言えるが,それを考えたということの「確かさ」は残っている.では,この「確かさ」は,弟が「確かにいた」と近いだろうか.これは近い感じがする.昨日は「弟」を含んだ文がいくつか生まれていて,そこでの「弟」という文字が,弟の「確かにいた」という感じを現している.死に関する思考は,その一文でどのような単語が使われていたのかはわからなくなっているけれど,それでもそれは一文として「確かにいた」ことを実感できる.「弟」という明確な文字と,文字列は不明確だが文は明確にあったとことは,意味の明確さでは違いがあるかもしれないが,私に対して,何かがそこにあったという実感を抱かせる点では,同じくらいの「確かさ」を持って,私に現れている.

その「確かさ」は瞼と似ているかもしれないなと思った.



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