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甲南女子大学文学部メディア表現学科で教えています.

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マガジン

  • mmnote

  • 大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える

    『新視覚新論』を予測モデルやインターフェイス的に読んだ記録.「瞼」がとても気になった.情報のフィルターとして機能する瞼.瞼を閉じても何も見えてないわけではない,見えている👁️👁️(瞼を閉じている目の絵文字がない)

  • フラットネスをかき混ぜる🌪️

    iiiidに連載していた「フラットネスをかき混ぜる🌪️」のテキストをnoteに転載していきます.転載する際に修正やコメントをしています.続きも書いていきたいと考えています.

  • 過去の👻

  • [インターネット リアリティ マッピング]

    2014年にmakersのための情報発信メディア「DMM.make」でネット/メディアアート周辺の作家を数珠つなぎに紹介していく「インターネット・リアリティ・マッピング」という連載をしていました.今はサーバーすらなくなってしまったので,テキストを転載しました🛠

最近の記事

258:余宮飛翔『amnesia』と「Mask」──つぎはぎと凹凸

過去シールが貼っているタンスのとっては丸かった.多分,空色の取手だったと思う.取手を思い出したのは,余宮飛翔さんの『amnesia』での画像のつぎはぎ部分が,少し厚みがある感じで,シールに似ているなと思ったところからだった.シールは厚みがあるということを思ったら,タンスに貼ってあったシールがブワーッと私の〈視界〉に現れてきて,その中に,タンスの取っ手もあったという感じだった.余宮さんの『amnesia』は写真なのか,絵画なのかが曖昧で,おそらくさまざまな画像がコラージュという

    • 257:瞼の表があって,裏があり,そして,瞼そのものがある.

      瞼を閉じようとすると閉じる.当たり前のように閉じる.しかし,過去の私の瞼は閉じようとしても閉じない.瞼を閉じても暗闇はやってこないで,暗転のように場面が変わるだけである.暗転と入っても,暗闇がやってくる前に,瞼を閉じると,いきなり俯瞰になったり,瞼を閉じた自分を後ろか見ていたりという視点に移動してしまう.このとき,瞼を閉じた顔を見るということは起こりにくい.両目を閉じているところは鏡では見れない.自撮りをすれば見れる.わざわざ両目をつぶって自撮りはしない.あまり見ないから,両

      • 256:視界の内側

        私はいつも瞼を閉じるとそこに平面を感じている.自分の身体がスライスされて,瞼と後頭部とのあいだにできる5cmくらいの薄さに自分の意識が変形していくのを感じている.今日の朝は,瞼を閉じるとそこに空間を感じたのだから,驚く.そのとき,私の頭は平面になっているとかも感じることもなく,ただただ瞼に広がる空間に興味を持っていかれていた.暗く,グニグニした線が動き続ける空間の果てはどこにあるのあろうと手を伸ばしても,手は別の空間にあるので,役に立たない.どうすれば瞼の空間を確かめられるだ

        • 255:世界の切断面に投射されたモデルを切断面とともに「視界」として体験する

          昼寝から起きて,天井を見上げていたときに,世界の切断面は視界の果てと重なり合っているということが閃いた.世界の切断面としては,空や天井といった何からの平面が想定されている.それ以上は世界が見れないという平面まで,私は自分の視界を投射する.世界を切断する平面に私が自分の視界を投射してはじめて,私が見ている「視界」が現れる.私の視界はその場にいる私が世界から受け取る情報すべてからできている.すべての情報というのは,眼からの視覚的情報だけでなく,触覚や聴覚などすべての感覚から得られ

        258:余宮飛翔『amnesia』と「Mask」──つぎはぎと凹凸

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        記事

          254:まだ「未開の地」はあるという希望をくれる本

          小鷹研理さんから『身体がますますわからなくなる』を送ってもらった.すぐに読んだ.とても面白く,刺激で,前作以上に,小鷹さんのからだに対する強い意志を感じた.同時に,「からだの錯覚」の研究者に枠に収まらないぞと言う意思も感じている.インターフェイスを研究している私としては,身体を拡張する「からだの錯覚」をどんどん追求していって欲しいが,小鷹さんが興味を持つことは,最終的にはヒトの認知のあり方を拡張してくれると思うので,どんどん気になったことを追求していって欲しい! ヒトとコン

          254:まだ「未開の地」はあるという希望をくれる本

          253:「これまで見ていたイメージ」を「これまで見たことがないイメージ」として見せられていたと感じるのはなぜか?

          村本さんが「252:《Imagraph》で見るイメージは通常とは異なる回路で処理されているイメージ👁️」を読んでくれて送ってくれたコメントに「Imagraphのディスプレイを「既存のディスプレイとは違う神秘的なもの」という風に外部化せず」という一文があった.私のテキストは《Imagraph》を神秘化して.「これまで見たことがないイメージを見せられていた」と考えているきらいがあったと気付かされた. この気づきから《Imagraph》を再度考えてみたい.今回は「《Imagrap

          253:「これまで見ていたイメージ」を「これまで見たことがないイメージ」として見せられていたと感じるのはなぜか?

          252:《Imagraph》で見るイメージは通常とは異なる回路で処理されているイメージ👁️

          瞼への意識と《Imagraph》の体験エキソニモの《Slied》》シリーズを考察したときから,私は「瞼」が気になっている.そのときに考えたのは次のようなことである. 「瞼は世界の情報を単調かするフィルターである」ということを考えてから,私は「瞼を閉じる」という行為に取り憑かれて,色々と考えている.そのときに,村本剛毅さんの《Imagraph》を知った.瞼にイメージをダイレクトに投影する作品はいつか体験してみたいと思っていた. しばらく経って,私は藤幡正樹さんの勉強会に参加

          252:《Imagraph》で見るイメージは通常とは異なる回路で処理されているイメージ👁️

          251:ペンが影であり,「影」が本体であるかのように操作が進む_2024/05/19追記

          Apple Pencilに関して,前回の記事で上のように書いていた.発表されたApple Pencil Proには,ペンをくるりと回して使う「消しゴム」がつくことがなかったので,予想は当たった.「消しゴム」の予想の当たり外れよりも,Apple Pencil Proを見ていると,Appleが予想以上に「情報を平面で操作させることに集中している」と思ったところが興味深いことであった. Apple Pencil Proの新機能「スクイーズ」を使うと,画面にメニューが出てくる.これ

          251:ペンが影であり,「影」が本体であるかのように操作が進む_2024/05/19追記

          250:ディスプレイという平面から情報がはみ出てきている感じ

          2010年に「キーボードにおける「薄さ/平面」という切断」という記事をブログに書いた. これ以降もAppleのキーボード,私が触れてきたのMacBook ProやMacBook Airのキーボードになるが,その感触は変わらない.Apple製品に触れていると,情報を平面で扱えという感覚がある.タッチパネルやトラックパッドはもちろん平面でツルツルして引っ掛かりがないものになっているし,キーボードもできる限り平面になろうとしているし,マウスもまたボタンがなく,曲がった平面になって

          250:ディスプレイという平面から情報がはみ出てきている感じ

          249:統合の一つ前の状態にある複数の要素を記述する

          科研「生命と物質に関わる理論的調査と制作実践」で食べ物に関しての文献を長いこと読んできた.でも,いくら読んでも,食べ物を食べて,美味しいと感じるまでにプロセスを書いたものに出会わなかった.そして,科研も終わりに近づいた時に,科研に参加してくれたアーティストの永田康祐さんのテキスト「一杯のお茶から: ノーマ京都とコンプレックス・シンプリシティ」を改めて読んでみた.そうすると,私がずっと読みたかったことが書いてあった.そこで,科研の最終報告会で永田さんのテキストを本人の前でレビュ

          249:統合の一つ前の状態にある複数の要素を記述する

          248:視界が接触面で切断されているような気がする

          目を半開きにして,指を瞼にあてる.このとき指は視界の際にくる.視界を突き破りはしない.視界に触れているという感じでもない.瞼に触れているという感じがある.私はこのとき,視界というのもが物質でも空間でもないように感じられる.空間なら触れらない感じがあるが,視界は触れらない感覚を得られない.瞼に触れてしまう.もしくは,眼球に触れてしまう.何かに触れているという感じがあるので,空間に対して抱く触れられない感じが視界にはない.もちろん,視界に触れるという試みが間違っているのだとは思う

          248:視界が接触面で切断されているような気がする

          247:物質的な身体を「クリーン」な抽象的平面に変換する

          こども未来館ここにこ「あそびゴコロ開発ラボ2024」で,小鷹研究室asの様々な作品を子どもに混じって体験した.子どもが楽しそうだし,それを眺める親も楽しそうだった.体験したなかから「平面」を感じた二つの作品についての報告. Slime Hand XR皮膚がどこまでも伸びるスライムハンドのXRバージョン.XRでしかできない仕掛けがいっぱいあった.まずは手を板の上に置くと,黄色いスライムになっている.この時点で手と黄色い球体のスライムとの対比が面白い.でも,これはリアルのスライ

          247:物質的な身体を「クリーン」な抽象的平面に変換する

          246:世界を計算可能なひと塊りの情報の集合として体験する──宮下恵太個展「わたしたちの光、おおらかなしるし」

          ギャラリーEUREKAで宮下恵太個展「わたしたちの光、おおらかなしるし」を見た.宮下の作品《Tolerant Signs》は「光」の明滅を用いて,メッセージを伝達するものであった.ライトスタンドや街灯で光がつけば「1」,光が消えていれば「0」とする.次に,文字と対応するコードを決める.そうすると,光の明滅(1と0)の組み合わせで,メッセージを伝達できるようになる. 「1と0」,「デジタル」というと「冷たい」というイメージがあるが,宮下は「おおらかさ」を感じている.ライトスタ

          246:世界を計算可能なひと塊りの情報の集合として体験する──宮下恵太個展「わたしたちの光、おおらかなしるし」

          245:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える11──10章 心

          脳が予測に基づいて外界を認知・行為していくことを前提にして,大森荘蔵『新視覚新論』を読み進めていきながら,ヒト以上の存在として情報を考え,インターフェイスのことなどを考えいきたい. このテキストは,大森の『新視覚新論』の読解ではなく,この本を手掛かりにして,今の自分の考えをまとめていきたいと考えている.なので,私の考えが先で,その後ろに,その考えを書くことになった大森の文章という順番になっている. 引用の出典がないものは全て,大森荘蔵『新視覚新論』Kindle版からである

          245:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える11──10章 心

          244:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える10──9章 言い現わし,立ち現われ

          脳が予測に基づいて外界を認知・行為していくことを前提にして,大森荘蔵『新視覚新論』を読み進めていきながら,ヒト以上の存在として情報を考え,インターフェイスのことなどを考えいきたい. このテキストは,大森の『新視覚新論』の読解ではなく,この本を手掛かりにして,今の自分の考えをまとめていきたいと考えている.なので,私の考えが先で,その後ろに,その考えを書くことになった大森の文章という順番になっている. 引用の出典がないものは全て,大森荘蔵『新視覚新論』Kindle版からである

          244:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える10──9章 言い現わし,立ち現われ

          243:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える09──8章 自由と「重ね描き」

          脳が予測に基づいて外界を認知・行為していくことを前提にして,大森荘蔵『新視覚新論』を読み進めていきながら,ヒト以上の存在として情報を考え,インターフェイスのことなどを考えいきたい. このテキストは,大森の『新視覚新論』の読解ではなく,この本を手掛かりにして,今の自分の考えをまとめていきたいと考えている.なので,私の考えが先で,その後ろに,その考えを書くことになった大森の文章という順番になっている. 引用の出典がないものは全て,大森荘蔵『新視覚新論』Kindle版からである

          243:大森荘蔵『新視覚新論』を読みながら考える09──8章 自由と「重ね描き」