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214:🥨mmillusion0114-0116
錯覚のような感覚から身体と意識とユーザ・インターフェイスを考えるためのメモ
身体とコンピュータが抱えているn次元の情報を二次元のディスプレイで錯覚を介して意識がつくる現象的空間内でシンクロさせる試み
0114
そこにヒトがいるのだけれど,そこに意識がないというのはとても奇妙な体験だと思う.生命活動が終わったあとのヒトを見るということ.
身体が動かないけれど意識があるような夢の体験の怖さが残っている.夢の体験と現実の体験がつながっていたことで起こされたので,また寝たら,夢ではなく実体験として身体が動かなくなるのではと怖かった.
現象としての身体と物質との身体が夢を媒介にして,最小誤差もなく,ピッタリとフィットしてしまったような感じ.理想の動きができそうな感じだけど,夢という普段は行為を伴わない状況と行為が結びついて,夢と現実=物理世界とがリンクしてしまったのが怖いというか,とても不思議な感じがした.
0115
何も考えていないという状況をつくり,頭の中を空っぽにする
空洞・空白が頭の中にできている感じがするという感覚がある
でもそういった感覚を考えているような気もする
空白の枠組みを考えて,空白をつくり出している
意識が身体に対して,無理やりつくり出した空白の枠組みなのかもしれない
身体が環境の中で,入力と出力とをダイレクトに接続したいための空白としての意識
0113の夢での出来事は,夢と現実とのあいだに空白がなくダイレクトにつながってしまったから怖かったのかもしれない
現象としての身体と物質との身体が夢を媒介にして,最小誤差もなく,ピッタリとフィットしてしまったような感じ.理想の動きができそうな感じだけど,夢という普段は行為を伴わない状況と行為が結びついて,夢と現実=物理世界とがリンクしてしまったのが怖いというか,とても不思議な感じがした.
0116
身体と環境との空白として機能する意識がなくなる.身体と環境がダイレクトに接続,接合することはとても怖いことなのではないか.
意識を持ってしまった後で,身体と環境とがダイレクトに接合せれてしまうのは怖いのではないか,ということを [[January 13th, 2022]] のメモに書いた
夢の中では動けないことが怖かった.それが意識がミニマム化している恐怖だとしたら,身体と環境とがダイレクトに接合されたときも,意識はミニマル化している気がするので,その状況が続くこと意識できたとには怖い気がする.
これらの話がどのようにユーザ・インターフェイスに結びつくのかはわからない.でも,少なくとも,ユーザ・インターフェイスという「空白」で,ある程度自由に試行錯誤できる環境があるから,ヒトはコンピュータに恐怖を抱かないのではないか? その逆も然り.
予測変換や「磁性」は,コンピュータ側からヒトの意識に「ダイレクト」に接合までとはいかなくても,点でリンクしてきている感じがある.