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093:「話す・書く・伝える」のテクノロジーから「自分の生活」を意識すること

思考実験として,「話す・書く・伝える」関連技術を個人的に復活させるということを考えながら,「風の谷のナウシカ」を見ていくと,私は最終的に二つの世界観の違いを見出すことになりました.

一度文明が滅んだナウシカの世界では,雑多な情報を丸ごと呑み込んで,そこから必要な情報を精製していくことが求められています.だから,ナウシカの世界のインターフェイスは結構ノイジーで,そこに見えるものがすべてで,そこから情報を精製していくという感じになっています.だから,この世界のインターフェイスには「目盛り」はなくて,読み取るには高い情報への感度とその処理能力が求められています.

対して,スマートフォンを一人一台の勢いで持つようになった私たちの世界は,耳を澄まして世界を受け入れるというよりは,コンピュータのセンサーに世界をより細かく感じ取ってもらい,私たち自身は環境との関係をぎりぎりまで断っているような状況になっています.もちろん,私たち自身が「世界の細かい情報」を得たいというということではなくて,どちらかと言うとコンピュータがより多くの細かい情報を欲しているのだろうけど,その設計をしているのは人間であるから,ヒトとコンピュータとの複合体が世界をより細かく認識していくことを欲していると言えるでしょう.

ひとつの思考実験として「風の谷のナウシカ」を考えていくと,上のような二つの世界観にたどり着きました.でも,ここから「話す・書く・伝える」に関する思い出やエピソードを求めたらいいのでしょうか.ナウシカのような世界観で「話す・書く・伝える」を考えるとどうなるでしょうか,と言うことでしょうか.でもそれだと,単にコンピュータ以前のアナログ的な感覚で「話す・書く・伝える」を考えてみましょう,という感じになってします.

ここで,甲南女子学園100周年記念プロジェクト「話す・書く・伝える」の100年史のステイトメントをもう一度見てみましょう.

私たちは常に言葉を話し,書き,メッセージを伝えてきた.それは100年前も今も変わらない.そして,女性は「話す・書く・伝える」の変化に敏感に反応してきた.
手書きの丸文字やギャル文字も,ポケベルの暗号も,ケータイの高速文字入力も,Instagramのインスタ映えも,すべて女性から話題になった.このように見てくると,主に男性視点で語られる「テクノロジー」を自分なりに使いこなし,生活のなかに取り込んでいったのは女性だったのである.
これまで甲南女子学園「話す・書く・伝える」研究会では,これらに関する思い出を集めてきた.だが,100周年を迎える2020年に向けて,さらに多くの思い出を求めている.さまざまな思い出から,時代ごとに変化していく道具により刻まれた言葉による感情豊かなタイムラインが浮かびあがるだろう.

ステイトメントにあるように,重要なのは,テクノロジーを生活のなかに取り込んでいった先の「話す・書く・伝える」なのでしょう.それは,テクノロジー自体はスッキリしたものであっても,生活に取り込まれていくと,ノイジーなものになっていくということを考えることかもしれません.そうなると,「文明が滅んだ後」,あるいは「地震後」という大きな枠組みはいらないのかもしれない.

いや,やはりいるのかもしれない.なぜなら,「文明が滅んだ後」,あるいは「地震後」という大きな枠組みのなかで「話す・書く・伝える」が「復活」していった特別な感覚もあれば,日常のなかで「話す・書く・伝える」のテクノロジーが自分の生活のなかに入り込んできた感覚もあって,これらはどちらも「自分の生活」を意識することにつながってくると考えられるからです.そして,これらを同じように扱うことから出てくる「思い出」があると思うのです.

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甲南女子学園100周年ブランディングWebプロジェクト第2回特別レクチャー
「携帯電話を握りしめたアンドロイドが耳を澄ます」

日時:2019年8月2日(金)13:00-17:50
場所:甲南女子大学9号館1階/912教室
対象:在学生・卒業生・本学園教職員
講師:メディア表現学科・高尾俊介,水野勝仁

前回の公開講座では「話す・書く・伝える」に使われるメディア・テクノロジーの歴史を辿りながら,「文字を書く」や「電話で話す」といった「道具」に紐づいた思い出を探ってきました.今回の公開講座は,「ほしのこえ」「風の谷のナウシカ」「デトロイト ビカム ヒューマン」といった未来を舞台にしたアニメやゲームにおける「話す・書く・伝える」を考えながら,未来と現在の私たちの「話す・書く・伝える」とを比較していき,「コンテンツ」や「状況」に紐づいた思い出を探っていきます.

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