224:伝統的なソリッドな実在論は情報ベースのソフトな実在論へと変化する
世界には何かが実在している.その何かがデジタルオブジェクトというかたちで,ヒトに知覚される.感覚の同時性を設計することで,生存に有用なアイコンが生まれ,適応利得度を上げて,デジタルオブジェクトの「リアリティ」を高めるということが,インターフェイスデザインで行われているのかもしれない.インターフェイスを介しては,実在する何かには届かないが,できる限り近づくために「何か」をモノとは異なるかたちでデジタルオブジェクトをつくりあげる.それは,実在へのアクセスを既存のモノを経由するのではなく,情報からつくり上げる実験だと考えられる.モノではなく,情報を実在の基準にして考えるのである.ホフマンが考えるように,実在を真実ではなく,適応利得度に基づくものだと見なすと,実在そのものの意味が変わり,その結果,モノの意味も変わり,デジタルオブジェクトの意味も変わっていくということになる.
近年のインターフェイスデザインで行われているのは,有用な行動を導くように「感覚」を設計し,ヒトを取り囲む状況ごとに満ちている感覚データを整理して,感覚の複雑度を下げることだと考えてみる.感覚を既存のモノとの関係からすでにあるものとして考えるのではなく,ハードウェアとソフトウェアとの組み合わせであらたに設計できるものと考える.それは,ヒトの行為をより有用な方へと導くという目的のもとで,「通知」などの機能をより効果的に使うために,感覚の組み合わせをあらたに設計していくことだろう.一定の目的のもとであらたに組み合わせを設計されることで,感覚の複雑度が下がり,インターフェイスを介した行動の適用利得度が上がり,デジタルオブジェクトのリアリティが増すことになる.
ホフマンが提示する「実在の無視は,制御に役立つ」という方針で,インターフェイスはこれまでデザインされてきたと考えられる.デスクトップメタファーは,コンピュータそのものの実在=メカニズムは隠蔽するために,ディスプレイに「机の上」というメタファーを被せた.そのとき,ハードディスクに格納されているファイルの位置とディスプレイに表示されているアイコンの位置とはもちろん異なる.けれど,ハードディスクから聞こえる音とディスプレイに見えているファイルのアイコンは関連している可能性が高い.聞こえてきた音が,ファイルのデータを読み込んだ音ということはあり得ないことではない.つまり,デスクトップメタファー時代のインターフェイスデザインは,コンピュータ内部の実在を隠蔽しようとしていたが,実在は音として漏れ出していたといえる.
しかし,近年の無音化したパソコン,スマートフォンにおいては,実在を隠蔽するのではなく,ハプティックを用いたデザインのように,インターフェイスの先に実在する何かを,ヒトに感覚させる方向に向かっている.インターフェイスは実在を隠してきたけれど,最近は,モノの現れとは異なるデジタルオブジェクトという別の現れをつくろうとしている.情報というかたちで呼ばれる,そこに実在はしているが,実際はなんなのかが分からない存在を,モノとは異なる別の現れでヒトに伝える設計がなされるようになってきた.それは,ヒトが情報の世界で生き残れるように「情報の世界と身体感覚をシンクロさせる訓練」をした方が,世界に対しての適応利得度が高いという流れになっていると考えられる.それは,実在する何かを操作するために感覚をデザインしていくものである.ここでは,デジタルオブジェクトそのものは実在ではないが,モノと同じレベルの存在になっている.だから,モノの実在を信じるという伝統的な意味で,デジタルオブジェクトは実在すると考えられる.しかし,その伝統的な意味での実在自体が疑われているので,デジタルオブジェクトの先にある実在はモノのようにソリッドな存在ではなく,データ構造のような操作可能なソフトな存在になっていると考えられる.つまり,インターフェイスデザインは実在をデータ構造として検知可能にし,そのデータ構造をより鮮明に検知できるようにデジタルオブジェクトを設計することで,その適応利得度を最大化するようにしていくことが求めれている.このようなデジタルオブジェクトが設計できたときには,モノにまとわりついてきた伝統的なソリッドな実在論は情報ベースのソフトな実在論へと変化することになる.
必要に応じてオブジェクトをつくっては破壊していくのは,ディスプレイでデジタルオブジェクトそのものだと考えられるだろう.iPhoneのプレゼンの時のジョブズのハードウェアのキーボードは後から変更することができないからダメだ,ということと合わせて考えるといい.ソフトウェアキーボードや通知といったデジタルオブジェクトは,現れては消えるを繰り返し続けながら,スマートフォンを使うヒトの適応利得度を高めることになる.その結果,インターフェイスに先に実在する何かをヒトに検知させるために設計されたあらたなデジタルオブジェクトも存在し続けるポイントが高まるのである.
アップデートされるインターフェイスデザインとともに,ヒトとデジタルオブジェクトはインターフェイスの先に実在するヒトとデジタルオブジェクトが何かに対しての適応度を上げつつある.その結果,ヒトが世界を認識するためのデータを圧縮するためのフォーマットが変わっていく.
インターフェイスデザインは,ディスプレイという二次元平面に位置するアイコンなどのデジタルオブジェクトが示す適応度利得を最大化するように設計して,ヒトの感覚が情報を基底にしたあらたなフォーマットで実在を検知できるように変化させるのである.
このホフマンの指摘は,哲学者のデイビッド・チャーマーズは仮想現実と哲学の問題を扱う『Reality+』に通じるところがある.ホフマンが提示する知覚のインターフェイス理論においても,チャーマーズが「デジタルオブジェクトは完全に実在する物体」と主張するのと同じように,デジタルオブジェクトは知覚されているあいだは存在するものであり,それは実在する何かに通じるものであって,幻影・錯覚ではない.適応利得度が高く,ヒトに行為を促すあらたなフォーマットとしてのインターフェイスであれば,モノもデジタルオブジェクトも同等に存在し,同等のレベルで実在する何かの現れだと考えることができるのである.