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139:バルクは景色のようなサーフェイス的存在にモノ的存在を練り込むための材料となる

南川:『景体』というタイトルは,自分たちに見えない,景色と物体の中間という意味を込めています.

景色と物体とは同時には成立しない.物体の集積が景色だとしても,景色と物体とを同時に意識に上げることはできない.どちらかを意識することしかできない.

物体の集積を視界のフレームで切り取ったものが景色だと考える.景色を形成するのは,物体の見えている部分,つまり,サーフェイスでしかない.景色は多くの物体のサーフェイスの集積であり,その集積が一つのサーフェイスを形成するが,その際に物体のバルクは捨象されている.一つの一つの物体を見る解像度を下げて,物体の集積を景色として把握する.

景色に近づき,もしくは,景色の中の特定の物体に意識を向ける.そうすると,その物体はサーフェイスの奥にバルクをもつ厚みのある存在だと認識する.物体のバルクを認識するとともに,景色のサーフェイスはなくなってしまう.物体を形成するバルクとサーフェイスとに意識が向けられるからである.しかし,このとき,物体の厚みを認識はしていても,バルクそのものを見ているわけではない.物体はサーフェイスに囲まれていて,バルクは外界との関係を持たない.なので,景色を見る解像度を上げて,物体一つ一つを見たとしても,そこにバルクを見ることはない.

ここで景色のサーフェイスと物体のサーフェイスとを並べてみる.実際には,そんなことはできない.景色を見ているときは,物体を見ることができない,と南川は言っている.けれど,《景体》はその中間を目指してつくられている.とすると,景色が物体に,物体が景色に変わるギリギリのところを探っていると言える.景色から物体へ,物体から景色への変化が起こるギリギリのところでは,互いのサーフェイスが並べられていると考えられる.

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景色のサーフェイスと物体とのサーフェイスとを並べて,そのサーフェイスを攪拌して接合していく.摩擦攪拌接合のように景色と物体という異なる存在様式の存在を混ぜ合わせていく.

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景色と物体との接合部分は,景色のサーフェイスと物体のサーフェイス,そして,普段は外側に出てこない物体のバルクがかき混ぜられている.普段は,物体のバルクも見ることはできない.しかし,物体のサーフェイスの奥にはほとんどの場合,バルクが存在している.バルクは単なるモノの厚みではなく,物体を物体たらしめているものであり,摩擦攪拌接合のようにある条件下では,景色のようなサーフェイス的存在にモノ的存在を練り込むための材料となるのである.接合部分の景色には物体のバルクが混ざっているがゆえに,景色は物体の存在感を持ちながら,景色であり続けることもできる.


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