225:ヒトはデジタルオブジェクトを「オブジェクト」として感じられるようになる
過去の自分のテキストの結論を書き換えつつ,今の研究につなげる作業🏗
感覚の同時性の設計は感覚を現象に対して接着させる試みかもしれない.そのためには,ハードウェアを制御するソフトウェアが必要となってくる.ハードウェアのみでは,感覚はハードウェアに接着してしまう.ソフトウェアでハードウェアを制御することによって,そこで生じる現象に感覚を接着させることができる.逆なのだろう,ソフトウェアの制御でハードウェアから感覚を分離して,制御した同時性をつくる=感覚を接着させることで,はじめて現象が生まる.そして,その現象がデジタルオブジェクトに実在性を与える.
ソフトウェアが実在を隠蔽しつつ,制御してきたということは,インターフェイスの歴史そのものであろう.回路基盤で何が起きていることは意識することなく,画面上のオブジェクトを動かすことで,コンピュータを操作する.しかし今,そのインターフェイスは隠蔽してきた実在を「デジタルオブジェクト」というあらたなかたちで現そうとしている.デジタルオブジェクとは,ハーマンが「不気味さを少々まとった怪奇的な実体」と呼ぶものなのだろう.それはソフトウェアによって制御されるソフトな実在で自在にかたちを変えながら,ヒトやオブジェクトを相互に接着し続けていく.
振動=ハプティックを通して,インターフェイスを介して向かい合うデジタルオブジェクトとヒトとが結ぶつけられると考えるのは大袈裟だろうか.視覚中心ではなく,触覚,そして,聴覚という振動による知覚によって,デジタルオブジェクトのリアリティが強調される.視覚がオブジェクトの位相を同一のものとして扱うとすれば,「振動する実体は,常に自分自身と位相がずれている実体」と言えるというのは,そうかもしれない.「一」でありながら,振動によって「多」となり,他のオブジェクトに影響を与えいく振動.振動を介してのつながりがつくる関係の網目から,ヒトとデジタルオブジェクトとの関係を考える.「ある実体が他の実体によって物体として感じられる」ために必要な潜在的なメディアとしての振動.潜在的なメディアとしての振動を,デジタルというメッシュを通して,波形ではなく点の集合にまで縮減して捉えることで,はじめてできる操作があり,設計できる感覚がある.点として操作される振動を介して,「ある実体=デジタルオブジェクトが他の実体によって物体として感じられる」ような感覚の同時性がデザインされる.点の集合としての振動をデザインして,触覚と聴覚に与えてつくる「テクスチャ」という観点から,デジタルオブジェクトを考える.テクスチャをつけることによって,ヒトはデジタルオブジェクトを「オブジェクト」として感じられるようになる.
知覚と行為とはひとつのサイクルであって,世界との因果的つながりから,意味が生じる.脳と身体とが生まれてから,活動を止めることがなく情報処理をし続けることからヒトの認識を考えるべきではないだろうか.情報はつねに入力され続けていて,途切れることなく処理されて,出力されて,フィードバックされる,同時に,別のあらたな情報がやってくる.絶え間なく変化し続ける情報に囲まれた「状況関与的で能動的な物質的身体」にいかにアプローチしていくのか.非意識的領域,前言語的領域の情報を制御することで,物質的身体をとりこかむ状況に変化を与え,ヒトに能動的と思わせつつ,精密に設計された感覚刺激による受動的な(=コンピュータによって予測された)行為を行わせる.非意識的領域,前言語的領域からヒトの行為にアプローチして,その知覚と認識を考えていくと,そこに現れるのは設計の自由度が高いデジタルオブジェクトなのかもしれない.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?