2022年の11月初旬に、表参道にある tentplant というギャラリーで、感覚と気づきをテーマにした個展を開きました。 今回は、その時に展示した作品をご紹介しようと思います。 まず初めはこちらの「固定観念のバリア」という作品です。 展示会場の入り口にスリッパと線を設置することで、「靴を脱ぐべきか?脱がないべきか?」という葛藤を生じさせました。 この葛藤を、目には見えない「固定観念のバリア」として展示しました。 続いてはこちらの「日々の気づき」という作品群です。
人生の中に訪れる抵抗は、魂の輪郭を際立たせる現象なのではないか。 風が吹かないと自分の肌の感覚を知覚できないみたいな。 抵抗を通して、本当は自分は何を望んでいるのかが自覚しやすくなる。 だから抵抗は敵ではない。 むしろ、本当の自分を思い出させてくれる装置のようなもの。 大きな意図によって発生している道標のような気がする。 抵抗を感じた時に、我慢する必要はない。 我慢ではなく、その抵抗から遠ざかり心地よくなるための方法を考えてみる。 すると、それまでは意識してい
人間は、皮膚の外側で起こっていることでよく悩む。 自分という存在は、体の内側から皮膚表面までのスペースにしかいないのに。
風は寒い場所では嫌われ者だが、暑い場所ではヒーローとして愛されている。 寒い場所にいる風がダメな奴で、暑い場所にいる風のほうが優秀なのだろうか。 違う、風と場所との相性が違うだけ。 風は冬は嫌われ者だが、夏はヒーローとして愛されている。 冬の風が成長して半年後にいい奴になったのだろか。 違う、風と時期との相性が変わっただけ。 人間の価値も同じなんじゃないかな。 生まれた場所や時代が違うだけで、役に立たなかったり、逆に物凄い評価されたり、全然違う経験をすることにな
不快な感情は、「その思考や感情は考え続けなくていいよ」のシグナルなのではないか。 マリオカートで逆方向に走ると、ジュゲムがずっとサイレンを鳴らして警告してくるみたいに、「そっちの方向は心地よさとは反対の方向だよ」と教えてくれているサインなのではないか。 感じなくていいから、考えこまなくていいから、不快な感覚で分かりやすくシグナルを出してくれてるのかも。
自分って個という物質ではなくて、「空気の中を流れている風みたいなもの」なんじゃないか?と思った。 生まれてから死ぬまで、細胞も心の状態も、ずーっと変化していくわけだし。 物質というよりは、「自分という現象が一時的に発生している」って考えたほうがしっくりくる。 それは、素粒子の風が一時的に人の形をしている状態のようなもの。 きっと僕たちは、人間の形をした風なのだろう。 高度に複雑化した風が、ある時、その流動現象のことを自分だと思い込んでしまった。 素粒子の風が見てい
できないことはできない。 でも、できないのにやらなきゃいけないと思うと辛くなる。 できないんだから仕方ない。って割り切れたら、結構楽になる。 できないんだから、それでいい。 無理しないで、あるがままを受け入れればいいのだ。
あれ、今相手と話が噛み合っていないかも、と思いながら話しをすることがたまにある。 お互いが焦点を当てている意識のポイントが違うまま、話し合っているような感覚。 それは、笑いのツボが違う現象とも似ている。 誰かとお笑い番組を見ている時、爆笑するポイントが自分と相手で違うみたいな。 番組自体は日本語放送なのに、テレビから流れてくる言葉の受け取り方が人によって違う。 それは、「精神の言語」が違うからなのかもしれない。 人間は、日本語とか英語みたいな言葉の言語だけじゃなく
無いを知ると、何かがあるということの大切さが分かります。 布団を敷かずに硬い床にそのまま寝たことがあります。 その時、布団の柔らかさがどれだけ幸せなものだったのかを深く感じることができました。 何かがあるという状態は、とても幸せなことだったのです。 ラーメンマンも言っていました。 「ないもの以外、すべてある」 今この瞬間も、身の回りにあるものが、当たり前のようにあるという幸せに感謝です。
世の中の全てのものは、二次創作物です。 画家が描いた絵は、絵の具の二次創作物です。 ピアニストが奏でた曲は、ピアノの二次創作物です。 シェフが作った料理は、食材の二次創作物です。 絵の具は、鉱物の二次創作物です。 ピアノは、木の二次創作物です。 食材は、大地の二次創作物です。 身の回りにある全てのものは、何かの二次創作物です。 この世界は、二次創作という入れ子構造でできています。 では、それらの原作者は誰なのでしょう。 地球でしょうか。 地球は、宇宙の二
言葉はとても便利なツールです。しかし、言葉そのものに囚われすぎてはいけません。 言葉は物事を伝える際に便宜上使われる喩えでしかなく、物事の実態を正確に映し取ったものではないのです。 例えば「りんご」という言葉の中に、りんごの味や色、形や質感が含まれているわけではありません。 「りんご」とは、それら全ての要素を圧縮変換した、解像度が低い情報なのです。 しかし、「りんご」という言葉の中に意味や印象は圧縮されているため、「りんご」という言葉から、「赤くて美味しい果物」などの
睡眠不足の子供たちは、毎晩、作画崩壊した夢を見ています。 休息は人生のアップデート方法です。 シナリオが破綻していない天才脚本家が書いた夢が、近日、みなさんの頭の中で上映されます。 ホモ・サピエンスの中に圧縮されている好奇心を解凍しましょう。 まごころしか投稿されなくなった未来のインターネットから、無条件の愛を転送中。 アップロードが完了しました。 新装版の世界は、あたたかい人たちによって運営されています。 加工されたあなたも素敵です。 無加工のあなたも素敵で
みなさんこんにちは。 いつも記事を読んでくださり、誠にありがとうございます。 今年は、翻訳ソフトで自動変換したような無機質な文体にハマってしまい、「水を熱いバージョンにアップデートする」みたいな変な文章ばかり書いていた一年でした。(←お湯を沸かすの意) そんな記事を書きまくっていたせいか、日常会話でも「気持ちをリニューアルしようよ!」みたいなバグった発言をしてしまうことも増え、これじゃいかんなと思うようになったりもしていたのですが、ただ、そういうスパムメールみたいな言葉を
遊園地の風船。ヘリウムガスに1600円支払う体験。 しかし、私が買ったのはガスではありません。 風船を持ちながら歩く時間に宿る、幸福感を買ったのです。 加工された幸せも大変魅力的ではございますが、無加工の喜びというのも、誠に味わい深いものであります。 工事現場の騒音をヒーリングミュージックとして活用している新人類。 心地よさは相対的です。 トンビは食べ物を盗んでも逮捕されない。 猫は家に不法侵入しても逮捕されない。 動物は法の外にいる。 ルールの内側にいる我
顔は心のインターフェースです。 表情筋が進化した未来の人類は、1秒間に100種類の表情を浮かべます。 帽子は人間に自分を運ばせているのですか? 母親から生まれてきたのは、スーパーレアの子供たちでした。 ホログラム加工が施されたお兄ちゃんと、クリアカラーバージョンの弟。 同じ人間なのに、みんな形が違うのですね。 宇宙人によって品種改良された人間は、トイプードルのように人気者です。 野生の野菜は、栽培された野菜よりも凶暴なのですか? 子供は自分のリメイク版です。価
受精卵と人間の境界線 電化製品とペットロボットの境界線 生命と無機物の境界線 脳と心の境界線 依存と熱中の境界線 夢と欲望の境界線 幸せと快楽の境界線 毒と薬の境界線 自信と過信の境界線 発酵と腐敗の境界線 進化と退化の境界線 人と動物の境界線