1994日目とその後…
こんにちは、Minamiです。
先日「1993日間、毎日絵を描き続けて得たものは画力ではなかった。」という記事を書きました。
この記事で、達成後の思いは全て書いたつもりだったのですが、数日経ってみると色々発見がありました。
ということで今回は、終わってみて思ったことや気づいたことなどを書こうと思います。
終わった直後に溢れ出た思い
1993日目を終えた日の夜、怒涛のツイートをしました。
やっぱりTwitterはリアルタイムの思いを書く場だなと改めて実感した。これもまた学び。
自分でもびっくりしたんですが、泣きながらツイートしてました。
終わってみて気づいたこと
5年半もあれば小学生1年生が6年生になり、中学生も大学生になる(例えがよくわからん)
私も専門学生から社会人へと生活が大きく変わった中で、毎日絵を描き続けていた生活がパタッと終わるわけですから、そう簡単には元の生活に戻れません。
終わった翌日も習慣は抜けず、1日の中で「今日の絵描かなきゃ……あ、描かなくていいんだ…」って5回は思いましたからね。
意外だったのは「今日の絵描かなきゃ」という義務感を感じていたことと、「あ、描かなくていいんだ…」と解放感を感じていること。
2年目から最低限ペン入れはしようという意識を持ち始めてから、無意識に自分の中でどんどんハードルを上げて無理して取り組んでいたようです。
それに気付かされたのは母親の「ここまで続けたのにもったいない。落書きにすればもっと続くのに」という言葉。
それからTwitterのみなさまの「どれもクオリティが高くて、それを毎日描き続けたのはすごい!」という言葉。
でもね、無意識にハードルあげて無理に続けてたっぽいと気づいても落書きでもいいから続けるは自分の中で許せないことだなと思ったんです。
クオリティを下げた絵を、日数を数えながら投稿することに意味はあるのか。
それこそ毎日何かしらの絵を投稿することだけが目的になってしまう気がしました。振り返ってみれば実際そうだったけど。
なのである程度クオリティのある絵を毎日投稿することはキッパリやめて、一つの作品にしっかり時間をかけることを選びました。
そして、やりながら気づいたことは技術的なこと。
終わってから気づいたことは、だいぶ気の狂ったことをやっていたなということ。です。
本当に画力は得られなかったのか
そういえば先日の記事で「得たものは画力ではなかった」と描きましたが、
少なからず画力は上がりましたので、ゴール直前にたくさんリメイクしたものを載せておきます。
↑ちなみにこの2枚は世界三大喜劇王の1人、バスター・キートンという俳優さんの似顔絵です。
面白いから映画観てね。おすすめは『キートンの探偵学入門』(宣伝)
結論:始めた頃と比べてみるとものすごい成長だけど、無駄に5年半もかかっている。
想像以上の反響にビビる
1993日目。みなさんからたくさんありがたいお言葉や反響をいただきました。
TwitterではたくさんのRTやいいね、「おめでとう」「お疲れ様でした」といったコメント。
Instagramでは海外からも「Congratulations!!」とコメントが届きました。
そしてここ、noteでもたくさんのスキをいただき、公式の「note編集部お気に入りマガジン」に選ばれたり、サポートまでしてくださった方もいました。
自分が想像していたより反響が大きくて、正直びっくりしています。
自分ができることは誰でもできると思っていたので、5年半毎日絵を描いてSNSに投稿するってすごいことやってたんだなあと改めて思いました。
もう一回やれって言われたら、それこそ3日持たずに終わっちゃう。
なんてたってマキシマム飽き性だからね。
おしまい。