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墓場で寝るママ、となりの私

年末のこと

毎年年末はおじいちゃんの法事がママの実家で行われる。前の日から食事の準備をはじめ来れるひとだけ集まり5分くらいご挨拶をしてみんなでごはんを食べて帰るという、準備の時間だけえらいかかる日だ。
今年は休職しているのをいいことに半月ほど帰省ることにしたので、運良く法事に立ち寄ることができた。新幹線で6時間と私鉄で1時間。漁港だけが盛んな、海沿いの寂れた町がママの地元である。駅からバスで向かう途中の大きな道路には車も人もほとんど見当たらず、バスは全員ご老人。小さい頃よく行っていたラーメン屋さんは看板が色あせ、ゲームセンターは駐車場になっていた。空が曇っていたせいかゾンビ映画の舞台にも見える。ただ放置されている建てつけの置物みたいな建物たち。哀愁、閑静、ガラガラ。思い出の明るい町は誰が奪ってしまったのだろうか。行政?わからん。町そのもののせいかもしれない。

ママの実家にて

大きな駐車場のある家に着く。広々とカクカクした家は、おばあちゃんが亡くなる直前にリフォームしたものだ。到着して親戚のおばちゃんたちにあいさつをして、することがないから改めて家を観察。重たい入り口、ガラス張りの窓やドア、高くて使いづらいキッチン、水とお湯が逆になったお風呂の蛇口、ツルツルの階段、使っていないだだっ広い部屋の数々。有名な建築士さんに作ってもらったと言っていたが、デザイン性にしか優れていない家はどう考えてもお年寄りが住む環境ではなかった。この無機質な家に来る度に嫌でも思い出すのは、大嫌いなおばあちゃんのこと。

おばあちゃんについて

おばあちゃんは本当に厳しいひとだった。濡れたタオルを床に置こうものなら、すぐさま飛んできて怒鳴り上げられ30cmものさしで手を叩かれる。ぼーっとしているものなら、唇や舌を指で弾かれる。小さな私はただただおばあちゃんが怖くていつも避けていた。怖くて痛いことをするひとの近くに誰が寄りたいと思うだろうか。それもこれも、ママとおばあちゃんの親子関係のあり方が関わっていると、誰かが言っていた。3人兄弟の末っ子として産まれ、2人の兄を持つママ。おばあちゃんは女であるママを立派な「嫁」に育てるためにか大変厳しく育てたらしく、礼儀作法や習い事を叩き込み、お金持ちとのお見合いを山ほどやらせていた、らしい。そんな昔ながらの風習を信じぬき貫こうとするおばあちゃんの言うことを、私のママは不器用ながらこなしてきた。そしておばあちゃんも納得できるような「立派なひと」とのお見合いに成功。娘を無事送り出したと思った矢先、結婚3年目で離婚。ママが幼い私とお姉ちゃんをこの家に連れて帰った日から、おばあちゃんの「嫁」育成計画はママへの信頼もあわせてゼロに近いほどにぶっ壊れたのだと思う。

そこからいろいろ、いろいろがたくさんあり。
私が中学の時、おばあちゃんが不慮の事故で足を骨折。そのことをきっかけにか嫌味は言うが怒鳴ることはほとんどなくなり、なによりママに少しだけ優しくなるようになった。ママはただただそれが嬉しかったようで、車で2時間かかる実家に何度も通い、おばあちゃんのために本を持って行ったり料理を作ったり(案の定ダメ出しされまくる)、一緒に過ごす時間を増やすようになる。怯えながらも心と体が健康になるようなことをたくさんおばあちゃんに伝えている姿は、生きる意味をひとつ手に入れた時のそれだった。

それからおばあちゃんは忽然と亡くなった。暗闇にそろり、消えるように、忽然と。突然のことで親族一同終始ぽかんとしたまま、静かに葬儀を済ませた。私は何の感情も持たず葬儀の風景を眺めていた。もっと時間をかけて話をしたり、人間らしいところを見せてくれたりしていれば、彼女のことを少しは好きになれたかもしれない。でも私にはそんな時間を与えられることはなかったので、いなくなったところで恐怖がひとつ消え少しだけ、すっきりしただけだった。後ろの方で見つめる私の視界には、前方で動かないママの姿だけが見えた。正座したまま、背筋をのばして動かないママ。どんな表情をしているのだろうかと考えるだけで、走り寄りたくなる。私がいるよと言いたくてたまらない気持ちで息がつまる。葬儀が終わり親族がみんながそろそろと動き出すと、ママは泣き崩れた。初めて聞く大きな泣き声。おじいちゃんの葬儀でも泣かなかったママが泣いた。子供みたいに泣いた。ずっとずっと溜め続けていた何かを全部ぶちまけるみたいに泣いていた。その時、ママにとってのおばあちゃんは私のとってのママなんだと思い知ると同時に、私はママにとってのおばあちゃんにはなれないということを理解した。子は親を追いかけ、追いつく前に先立たれる。目の前のママは私なのかもしれないと思うと、足が動かなくなった。ママの泣いている姿を見ているうちに、普段の私にはない感情の渦が、頭からぐるぐる内臓をかけめぐって、お腹のあたりでずっと喚きはじめた。この怒りの正体は、私のママへの愛情の故に、ママの愛情を無視し続けたおばあちゃんに対するものだ。「なんで死んじゃったの」。その言葉だけが、頭から、口から、出た。あの感覚は一生忘れない。愛するママを傷つけたおばあちゃんを、私は一生許すことができない。でも死んじゃった。死人に口なし。私がおばあちゃんをこれから知れば何か変わるのだろうか?私はおばあちゃんの代わりになれるのだろうか?どっちも私にはできなそうだ。ただただ娘として、ママを愛し抜くことしかないと、今は思う。

結論、呪いの家は泥のように眠れる

今年の法事が難なくおわり、親戚達は自宅が近いので皆それぞれの家に帰って行った。この薄暗い家に残るのは、私とママの2人。私が叩かれ、そしておばあちゃんが毎日を過ごしていた部屋に、2人分の布団を敷く。目を瞑ると思い出すのは、おばあちゃんの怒った顔。冷たい家。30cmものさし。ママはどうなんだろうか。ママも私も、違う想いを持ってこの場所でおばあちゃんを感じている。暖房を入れても、なかなかあたたまらない大きな部屋。まるで墓場だ。何もない。冷たくて暗い。こんな悲しい家にして、おばあちゃんは悲しみたかったんだろうか。隣で眠るママのいびきが聞こえてきて、寝返りをうったママの手が私の髪に触れる。ママの手を取ってみると、あたたかい。(私の手、冷たい)。(フローリングより、冷たい)。ここが私の墓場か。就寝。

次回は今日書けなかった、薬がなくて死にそうになったお話。

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