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心底バカでよかったと思っています。

大学4年1月。まだ内定は決まってなかった。
のろのろ就職活動をしていた前年から年が明け、ふと周りに意識を向ければ内定もらってない組だったみなさんもすっかり内定を頂戴していて、残ったのは私と大学院に進む予定の友達だけになっていた。
やばい。その言葉だけが脳みそに反芻しては私の心拍数をアゲにアゲ、時には酒を飲んでそのことを忘れ、翌朝二日酔いと共に思い出すのだ。まさに地獄。

言い訳ではないが、私は出版社に勤めたいと思っていたので、この業界まじ狭き門すぎるし〜と甘えていた。なんでだよ。ただの阿呆が過ぎる。世の中をなめきった大学生ってこんな感じ。
もちろん出版社の採用時期は過ぎていたのだが、どうしても編集の世界に飛び込みたかった私はindeedを駆使して弱小編プロを根こそぎ調べ上げた。もう闇が深いところでもいいから働かせてくれお金をくれ!!と地を這う思いで応募しまくり、内定をいただいたのが大手フリー雑誌の編集業務を請け負う編集プロダクションだった。

その編プロはとても小さな会社だった。
従業員は私を含め3人。目が笑ってなくて何を考えているのかよく分からない若干パワハラな初老の社長と「日本一の編集マンになるぜ!」と毎日豪語するベテラン先輩編集者、そして新卒の私。あとはたまに、場末感ぷんぷんの小ぎれいなグラフィックデザイナーのお姉さんとニートだけど暇つぶしで仕事してます感のあるぽっちゃりDTPデザイナーのお兄さんが来ることもあった。
私の仕事内容はいたって簡単。取材立会い、掲載許諾の申請、クリエイター手配、執筆、広告制作ディレクション、といったところ。内容としては簡単なものだったけれど、それまでバイトを転々とし決まった場所で働くことを拒み続け、大学では何もしていないのに一般常識がないと散々友達に言われ続けていた私だ。そんな私がまともに仕事ができると思うか?できるわけないだろうが。何より面倒なのは超微妙な点で真面目なところだ。誰よりも厳しく一字一句校正したし、100件電話するときは100件必ず繋がるまでかけた。ドがつくほど不器用なので仕事としてはじめたことはすべて丁寧にやりつくさなければ落ち着かない。ひとつボロが出るとどこまでも失敗し続けるのはわかっている。そのせいでスピード感を持った仕事はもちろんできない。その点で毎日毎日毎日毎日毎日毎日めっっっっちゃくちゃ怒られまくった。で、1年間がんばったけどぷつんと何かの糸(もっと弱い、春雨くらい)が切れ、泣きながら辞めた。どんだけ頑張っても辞めるときは一瞬だ。

社会人1年目、振り返る。
やっぱりバカでよかったと思う。
いま改めて、働くことについて考えられるから。
待遇、福利厚生、賞与、残業手当、年間休日、雇用形態。何も知らんかった。そんなもんなくてもやりたいことをやって人に何かを与えられて私も何かを得て、そういう社会の連鎖に加わってみたかった。何かに対してがむしゃらに頑張って、私が形として経験したことがないものを得たい。その何かが何なのかはまだ知らん、だってまだ若いし。そんな考えで“企業”で働くということを完全に吹っ飛ばしていた。ある種バイト感覚。
今年29歳になって思うことは「若さ」って最強だなということである。バカでいい。できなくていい。分からなくていい。それよりも、知って試して感じてというインプットができる唯一の時期なんだから、何から何までぶっこめばいい。空っぽの頭に物事を詰め込むいい時期として1年目があるんじゃなかろうか。まあ何にでも1年目はあるんだから社会人にもあるだろうよそりゃ。どこから社会人1年目を決めるのかというと、なんとなく入社式からってイメージだとちょっと違う。能力の携わってない新卒の身でも“社会人”になれちゃうとなると、20年30年“社会人”をやっているひとたちに申し訳ない気もする。プレとか未満とかつけてもいいのでは。それは多分お互いのためになるから、呼び方は分けてあげてみて欲しい。自分の持っているものを詰め込みすぎても新卒は辞めていくばかりですよ、先輩。


社会人1年目の私へ
バカでありがとう
これからも頑張るわ

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