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想い出 その5 1959年から
写真の説明 向かって左端芸術祭文部大臣賞の楯をバッチにして日本の太鼓出演者全員記念として配られた。向かって右は松竹音楽舞踊学校のバッチで入団年ごとに色が違う。
一月国際劇場は一週目はたしか大船祭りというのがあったど記憶します。私が音楽舞踊学校在学中一度しかありませんでした。大船祭とは松竹映画専属の俳優たちが、国際劇場の舞台で寸劇などをしお客様を楽しませるショウでした。二週目は[美空ひばりショウ]私達同期全員出演しました。ひばりさんの相手役は松竹に移籍して来た、津川雅彦さんです。私達がひばりさんの後で踊った曲は[港町十三番町]マドロスの衣装だった。ショウの中の寸劇で殺陣などのの打ち合わせ、ひばりさんはハイハイと言いながらたった一回で舞台稽古へ、その記憶力には脱帽です。ひばりさんの国際劇場での公演は最後。翌年から新宿のコマ劇場での一月公演になった。良い思い出です。春のおどり、が三月八日千秋楽。東京踊り三月二十五日初日。私達は松竹音楽舞踊学校を卒業。同級生三十八名。めでたく松竹歌劇団の団員になりました。入学した時は五十人いましたが途中でそれぞれの道へ。この年は皇太子殿下ご成婚国をあげての慶祝行事が、各所に催され松竹歌劇第二十八回東京踊りもその慶祝公演として六月十日まで公演した。私はアトミックガールズという松竹名物の三十六人で踊るラインダンスにこれは背の高い同期八入が入りました。後はすべて上級生振り付けは荒井重美先生です。私は下手側から先頭で上手側からは四期上の三条みやこさんが先頭でそして中央で会い始まる、緊張することと言ったら慣れるまで大変でした。夏のおどりは自家用井戸から水をくみあげ、舞台に大瀑布の装置を造り涼味満点のフィナーレを出現させました。秋のおどりは十月一日初日作品は、日本の太鼓、これは諏訪太鼓、六歳念仏、だんじり囃子、秋田甚句を女性たちが打つので大変好評でした、私の役はうちわに豆を付けた小道具で雨の音を出しながら踊るのです。そしてこの日本の太鼓に対して芸術祭文部大臣賞が授与されました。十二月十二日千秋楽。直ぐに私達は昇格試験に入ります、これは歌劇団の準幹部以下全員が受けます。バレエ,日舞,タップ,ジャズダンス,歌,台詞を短時間で覚えて試験に臨むのです。この結果で来年度の役出演料も決まる、一年を締めくくる仕事です音楽舞踊学校からの成績順位が変わることになる。この試験で横並びでいた同期とはばらけ上級生の間に入って行くのです。終わると打ち上げパーティーです。試験の点数やそれぞれのアドバイスは来ますが、試験の結果の順位は来年最初の交板発表までお預け。つまり配役表が楽屋の廊下張り出される迄ドキドキです。 その六へ