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想い出 その6 1960から1961年
昭和35年春のおどり、1月22日から3月5日迄、この公演中に客席にいたのは、エリザベス、テーラーとその夫トットエオウ、新婚旅行で日本に流石ハリウッドスター美しくそこの所だけ輝いていた。私はこの公演で新人賞を受賞した。入団二年目迄受賞の資格があり受賞した同期は私とあと二人。この公演の後歌劇団から男役をと言われる。3月24日東京踊り初日の前に伸ばしていた髪の毛をカットする。演目で覚えているのは三つのバラ、ピンク、レッド、イエロー色に託したダンス。私はピンクバラのパートピンクの士官の衣装でバレエ。レットはスパニッシュ、イエローはジャズダンス。燕尾服を着てフィナーレに出るのも6月12日の千秋楽までに慣れました。夏のおどり、レビュー18景の中で二、三景の長い景があす。それを中山と言います日舞の中山洋舞の中山そして民謡です。中でも日舞の中山は大掛かりの屋台崩しが付き物でした。夏のおどりでは、山陰地方の神話八岐大蛇を取り入れた景に出るが男役になったばかり、つまり一番下なので役は一村人。長さ二十メートルの大蛇二匹が登場し話題に。秋のおどり、9月27日初日インドネシアのスカルノ大統領一行が観劇。1961昭和36年夏のおどり男役になって初めての地方公演に参加、この公演で私は大幹部天野妙子さんと5期上の男役の方と3人立ちで本格的な日本舞踊[八千代獅子]を踊り日本舞踊も良いなと思いました。私はバレエが好きで松竹に入学するまで、橘バレエ学校に週3日通っていました。当時橘バレエ学校出身が歌劇団に同期以外にも2,3人いました、また東宝に入った人もいた。国際劇場の周りについて、地下鉄田原町から劇場まで一直線今は国際通りと言う、劇場の手前にある喫茶店はペガサス、今も存在している。河金とんかつ屋電話すると経木に包んだ熱々のコロッケにキャベツを添えて楽屋に届けてくれた。別館がありともしび会と言う会社と団員の親睦会をしたところ今はよそに移転したと聞く。東東この店は中華遅くまでやっているので朝一の舞台稽古の為に楽屋に泊まる時によく美味しい餃子を食べに行ったところ。通りを渡って田原町に向かう途中にあったのはアルプス軽食喫茶、ここは稽古帰りなどの時によく同期とよりました、店は二階で映画に出る以前の渥美清さんたちも来ていました。その並びにあった花屋もお馴染み千秋楽や何かの時に贈る花束を作って届けてもらった。当時通っていた店 その7へ
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