月ぞ流るる 澤田瞳子著 その四
あれから十年以上たちますが、いまだに原子様との語らいが、漏れて来ぬのはあの女房は亡き御主の命を今も守っているのでしょう、まだ十六、七の若さでした。成子の口調が耳に蘇る。間違いない原子が成子との面会に連れてきた若い女房は右近だ。そしてそれ程女御様を慕った右近が今椿を嫌うのは、女御様を殺めた犯人と関わりがあるからか。頼賢は右近を捕まえて白状させると意気込む、本当に右近が関わっているとすれば、原子の死にはその忠義心をもねじ曲げる力が働いている、とすれば力ずくで迫っても決して右近は口を割らない。朝児は慎重に行動をと窘める。帝の病気平癒の祈禱、壇ノ御修法が慶円を主導に始まる、寄座に右近が指名され、頼賢も御修法の場に同席す。祈禱で帝の具合は良くなり、常と変わらぬ視界を取り戻した。壇ノ御修法がおわり慶円が叡山に戻り、引き続き眼病平癒の秘法加持が行はれることが決められ。右近はそのまま寄座とした。帝の眼はまたしても悪化し併せて心身の不調を訴えることも増えてきた。とどまっていた僧たちは慌てて、不動明王図像を掲げて不動調伏法を修し始めたが、帝の体調は坂を転がるように、悪化し遂に昼夜と言わず幻をみるほどとなった。知らせを受けた慶円が叡山から取って返して祈禱のすると病状はわずかに改善するが、二、三日で眼は暗くなる。その間右近はひっきりなしに寄座としており、間近にその姿を眺めながら、頼賢は話しかける暇が訪れなかったが、ようやく機会がやってきた、二日前から降り続く雨に強風の為、締め切った蔀戸まで激しく騒いで、吹き込む隙間風が護摩壇の火を荒れ狂わせ、めぐらされた柱が倒れる騒ぎ壇所は急遽別の対へ、頼賢に僧侶や寄座の案内が命じられた。僧侶たちは長年内裏に出入りしているので、頼賢が先導する必要などない。頼賢は中央に座り込んでいた右近に駆け寄った。肘を掴んだ頼賢に右近は鋭い眼差しを向け。腕を振り払って立ち上がるその前に無言で立ちふさがる。俺が何を言いたいか分かっているだろう。原子様に何をしたのか、それはお前一人の考えでの所業じゃないのだろう、誰がお前を操っている。突然何を言うかと思えば原子様に害した者がいるとすれば、それは皇后成子さまでしょう、右近は言い放ち頼賢を押しのけようとした。その腕を再度掴み原子様と成子様が親しかったことは、すでに分かっているお前が一番よく知っているのだろう。右近は突如頼賢の向かって、そなたさえいなければ、原子様が死なねばならなかったとすればそなたのせいです、この世に生まれてはならぬ不義の児の咎を、すべて原子様はお一人で引き受けてしまわれたのです。そして身を翻して僧侶たちが去った渡殿へ駆け出した。待てその後を追う耳の底に不義の子の言葉が、自分が生まれはならぬ子なのは承知している、とはいえその生まれながらの咎が全ての元凶ならば、何故自分は命を永らえ、美しく優しかった原子が死なねばならぬのか。頼賢の怒声に振り返った雑色たちが啞然とする、右近はそれを突き飛ばすように駆け西ノ対に飛び込んだ。すでに護摩壇が据えられ祈禱を再会すべく、衆僧がおり奥に几帳が立てられ、蔵人たちが左右を固めているのは帝が臨席しているため。少なくとも右近は己の関与を否定しなかった。事ここに至って加持の最中だらうと帝がおろうと知ったことか、あの日いったい何が起きたのかを、今度こそあの女に問い糺してやる。頼賢は声にならない怒声を上げながら右近の腕を背後から掴んだ、すると右近は押さえようとする腕に嚙みつき、ひるんだ頼賢の腹を蹴飛ばした。こいつ、青ざめ目を釣り上げた右近は床に尻餅をついた頼賢の頭といわず肩と言わず奇声と共に殴り掛かり。この疫病神そなたが、原子様を殺したも同然ではないですか。そなたこそ麗景殿女御様(綏子)の腹の中で水になってしまえばよかったのです。(やめよ、右近)甲高い男の声が突如右近の絶叫を遮った。帝が几帳を倒し立上り、駆け寄った蔵人たちの手を振りほどいて、覚束ない足どりで頼賢たちに歩み寄り、呆気に取られ(主上)と呟いた頼賢の声を頼りにするかのように、震える手であたりを探りその手が頼賢の肩に当たる。帝はそれが誰であるか気づいたはず、だが突き放すかと思われたその腕は、かえって頼賢の肩に回された。やめよ右近、再度帝の唇から、主上その者はあの麗景殿女御様が生み落とされた不義の子なのですよ。何もかもこ奴が悪いのではないですか。この者さえいなければ右近は言い募る。それは違うぞ右近悪いのは朕だ、綏子の過ちを許せなかった朕の心の狭さが、原子を死なせてしもうたのだ。そなたの忠義は分かっている、されど結局は朕とそなたの心根が、原子を死なせてしもうた。こ奴がここまでたどり着いた以上、最早その事実を隠し続けるべきではない。蔵人が帝を立ち上がらせ、無理やり頼賢を引きはがそうとするが、帝はまるでわが子を奪われんとするかの如く、頼賢の肩に巡らせた腕に更に力を込めた。帝がどうしても頼賢を放さなかった為、頼賢は帝ともども別室へ連れて行かれ、加持はそのまま中断され。加持の場を乱した不遜を罰したくても、その理由に帝が関わっていたらしく、いったい何が起きているのか、少なくとも蔵人たちは頼賢の出自を承知している。それだげに帝が頼賢を助けた事実をどう理解すればよいのか、二人だけを残し次の間へ退いて行った。右近はおらぬか、蔵人がたがいずこかに。やがて帝が頼賢の身体に回していた腕を解いた。原子にはすまぬ事をした、と言って薄い肩をすぼませた。唐渡の毒を右近に渡したのは朕だ、されどそれは原子を殺めるためではない、朕はおぬしを殺めんと思うた女御に密通を働かれた上、子まで産まれた怒りがどうにも拭い難く、ただ幼いおぬしが目障りでならなかった。伸び始めた項の毛が逆立ち声すら上げることが出来ぬのは、自分の身に及んでいた害意ではない、帝の増悪が原子を死なせた事実が恐ろしくてならない。全ての発端は原子が頼賢を引き取ると決めたとき、仕える女房たちは帝の不興を買わぬかと不安を抱き。他の局の女たちは、帝がその心根の優しさに感じ入り、原子をいっそう寵愛するのではと、結局帝は知らぬ顔を決め込み、原子への寵愛は増しも薄れもしなかった。でも原子付きの女房は事あるごとに、あの子さえいなければ、もっと帝の淑景舎へのお渡りは繫くなるのにと囁き交わしていたという。頼賢が来てから二三年の後になろうか、原子は女房どもの目を盗んで成子と親しくなりおった、たった一人その事実を知った右近は激しく不安を抱いた。まだ子を産まぬ原子は成子と懇意になれば、新たな朋友に遠慮し、帝の寵愛を争うまいとし始めるやも。だから俺さえいなければ、ああおぬしが淑景舎から消えれば、朕は更に原子を愛すはず。主の為には自らが鬼となろうと右近は思い定めた。右近は毒を手に入れられるかと典薬寮で尋ねた。不審を抱いた典薬寮に通報され、検非違使に糾問される事態。朕はその知らせに不審を抱いてあの者を庭に引き出させた。毒はおぬしの膳に入れると右近は申した。そこから先は聞かずとも分かる。頼賢を邪魔と考える点において、帝と右近の思いは一致していた。子が急に亡くなることは珍しくない。しばらくは悲しもうがおぬしが消えてくれれば、全ては平穏におさまるはずだった。頼賢の食事の介添は女房が行い、原子が手を出すことは稀、ごくたまに頼賢が膳のものを残すと(膳司が哀しみましょう)と言って箸を取った。おぬしに会った時から、いつかこの事を打ち明ける日が来ると。右近を通して真実に近づいて参るとは思いもよらなんだ。建築中の内裏に又もや火災が起こった、帝は怒りを募らせ風病にもかかった。姸子は見舞いに、そのままに帝のお世話をどうしてもすると、風病もさしてひどくなくてほっとした。それに風病がお治りあそばしたら、帝が北の対にお渡りくださることになって、月を共に愛でお酒を飲もうとお約束くださったの。下がって来た大鶴は朝児に言う、それはいったいどうして、信じ難いほどの睦まじさに喜びよりも不気味さがこみ上げる。すると母様のせいよ大鶴は言う、母様が姸子様に火災の犯科人の話なぞなさるから、姸子様は思い詰めて帝に、内裏の火事はわたくしが命じて行わせたものですと仰せられたのよ、すべての罪はわたくしの上にあります。何卒わたくしを憎んでくださいと言って泣き伏されたの。それは背の君のお心を少しでも安んじようと、ご自身を憎む事で少しでも帝にお楽になってもらいたいと願って。仮に天地が覆ろうとも、帝が道長の娘である姸子を虚心に愛する日は来ない、それは姸子がよく分かっている。帝がもっとも増悪している火災の犯人に名乗りを上げることで、帝の心を少しでも安らげようと思い至った。父なぞどうでもいいのです、帝をお慕いすればこそこうして参りました。何卒この身をお憎しみください。私は帝に退位をお迫り申し上げている左大臣の娘にして、あなた様の中宮でございます。最早お許しをとはもうしません。それ程の不遜を父は致したのでございますから、自分が疎まれることにも増して、誰かを憎み荒ぶる帝を拝見するのは辛うございます、それであればいっそわたくしを憎んでくだされば、妃としてお側に上がった甲斐があるではございませんか。と姸子は涙を滴らせながら言った。あい分かったと帝、怒りとは愚かなものだがそれ故に知り得る誠もあるのだろうと、帝の夜御殿に詰めている頼賢はどんな思いでこの帝の言葉を聞いていたのか、自らの怒り故原子を死なせた帝は、本来人を憎む虚しさを知っているはず、人とは愚かなもので新しい増悪に駆られれば、かっての経験を忘れる。もしかしたら頼賢は自分を憎むようにと泣き崩れた姸子に、亡き原子の面影を垣間見たのかもしれない。眼病を患い臣から退位を促される帝を、人は哀れなお人と呼ぼうが一方で帝の周囲に集う人々の、何と優しく暖かなこと。当今を脅かすほどの権力を有し、次なる帝の祖父として宮城に君臨する道長には、この世は一分の欠けもない満月の如く映っているはず。道長にとって此界はわが身一つで渡るものであり、誰の助けも必要ないのであろう。それに比べれば病身の帝は頼賢に、原子に、姸子に慕われ、誰もがその苦しみを取り除こうと懸命だ。この苦の多き世においては誰より幸せな男ではないか。荒くれ者の頼賢が立派な青年に長じた如く、人は他者と互いに悲しみ苦しみを補い合うことでつながる。その欠けを糧に育つ、ただ天だけを仰ぎ己を照らす月の光に目を奪われている道長、暗がりにひっそりと生える柳の逞しさに気づくまい、でも満月は必ず欠けるその時権勢著しい道長を慰める者は、周囲にいるのだろうか。帝の熱は二日後には下がる、翌日頼賢が見舞いの礼と称して、籠いっぱいに盛られた蜜柑を北の対に届けた。姸子が帝のもとに入内して五年が経つが、直接下されものが届いたことは数えるほどしかない。それだけに贈られた果実を前に姸子は涙ぐむ。その三日後に帝が姸子のところに、帝がお運びになる前に乳母と大鶴以外の女房は下がる下がるように、母様は残ってと大鶴に呼び止められた、姸子様が帝から御製を賜ったとき、返歌を詠む手助けがいるのよ。姸子を伺うと小さく頷いた。お渡りです、頼賢に支えられて帝は朝児の前を通り御簾の中に、帝は月は出ておるのか、御簾を上げよ。美しい月じゃな、とはいえ誠に帝の目が見えていれば、名も知らぬ女房が間近にいるのが分からぬはずがない。本当に十日余りの月がこんなに美しいとは、帝とご一緒に覧じることが叶い、これほどの幸せはございませんの。姸子の瞳が滲み頼賢の肩が震えた。帝の苦しみを和らげようとする者たちの澄明な哀しさ朝児の胸を締め付けた。この時土御門第で自身の栄華の極みを待ちわびているのであろう道長に、彼らの思いを突き付けてやりたい。誰よりも深い煩悶ゆえに、帝は常人には手に入れられぬ人の誠に触れえた。酒でもと勧めた姸子に、いらぬ、ただ墨の匂いがする誰ぞいるか、びくっとした朝児をかばう口調で、女房どのが簀子の端においでです頼賢が答えた。さようでございます帝が御製をお詠みになるやもと思い、控えさせてございます。今の朕は月の麗しさなぞ詠めぬ、気づいていよう何も見えぬどれだけそなたが慕うてくれても、朕は左大臣が憎い。父をわたくしをどうぞお憎みください。それで御身がお楽になるのであれば。そして詠まれた。(心にも、あらでうき世に長らへば、恋しかるべき夜半の月かな)姸子の返歌(天の河、雲の水脈にてはやければ、光とどめず月ぞ流るる)そしてその後帝は退位を表明した、頼賢は言います、退位なさった後もあのお方にお仕えして、この先道長様がどんな世を作るのか、何にが起きて起きなかったを見てやる。朝児さまは、わたしもしばし宮城に留まろうかと、やりたいことがあるのです。当今の悲しみの上に成り立つ次の政を、人々の喜怒哀楽によって紡がれるこの国の物語を己の筆で描き続けるために。人々の栄華を記す物語を。一条帝と、三条帝は生母が姉妹つまり従兄弟姉妹の父は兼家です道綱の母の夫。道綱は三条帝が東宮の時の東宮大夫、頼賢の母綏子も兼家の娘、道綱の母が嫉妬した近江と呼ばれた女性の娘です。大鏡にも原子の死因が血を吐いて頓死とあります、頼賢は後に大僧都となり飯室僧都と呼ばれて、格式の高い藤原の寺法性寺座主です。三条帝は皇后成子所生の敦朗親王を東宮とすることで退位をした。凄まじい権力闘争がそこにある物語です。同じ作者ののち更に咲くと併せて読んでみてはいかがでしょうか。面白いですよ。
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