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望みしは何ぞ 道長の子藤原能信の野望と葛藤 永井路子著

物語の主人公藤原能信は道長の息子だが、彰子を産んだ倫子の所生でなく、もう一人の妻源明子を母として生まれた息子です。二人の妻に六人ずづ子が生まれて道長は十二人の子持でした。倫子は娘を四人息子二人、倫子は鷹司に住んでいるので鷹司殿と呼ばれ、明子はその反対息子が四人娘二人、そして明子は高松に住まっているので高松殿と。倫子所生の彰子一条帝后、姸子三条帝后、威子後一条中宮、嬉子後朱雀帝后、とすべてが立后した。明子所生つまり能信の同腹の姉妹は寛子が三条帝の第一皇子敦朗親王の后に、この皇子は父の三条帝の後の彰子所生の後一条帝の東宮です。三条帝と道長とのせめぎ合いで父三条帝の意地で東宮となった。三条帝の中宮姸子からは皇子ではなく生まれたのは皇女でした。皇子を抱いては晴ればれと内裏に戻るという構図が崩れ去り、姸子はこの先の有り様を思い描けずにいる。幸せに馴れきっている人は不幸に脆い、一条の中宮となった姉彰子の聡明さとしたたかさはない。能信は姸子の中宮権亮でありました、とりもなおさず自分の不運、男児であったなら次の次の皇位継承は間違いなし。男皇子が東宮になった暁には、東宮大夫その先はそんな夢は消えた。この後父道長より三条帝の側近に侍する蔵人頭にという内示を受けた。いよいよ蔵人頭か。当時高官への階段入口とみなされていた。姸子の許から引きはがして三条に貼り付けようということか、父は自分のことを観ていてくれた。蔵人頭正式発令の後に能信は兄の頼宗を訪れた、今度は大任だなそなたにうってずけだよ俺にはまず務まらんよ、褒めているのではないその口調を聞いた時、能信のこれまでの興奮は覚めた。そういえば兄貴は頭を勤めていない、兄貴だけではなく鷹司殿の頼通も教通も気骨の折れる頭なんか素通りして廟堂入りしている。そうかそういうことか、心の揺れを悟られまいと当たらず触らずの話をして兄の許を辞した。能信の頭に浮かぶのは姸子の姿だった。鷹司糸一族の中で一人幸運から見放されたと絶望していた。そして俺は頼通や教通兄貴も経験しなかった蔵人頭を一人勤めさせられるってわけだ。明らかに一段低いところから高官への道を始めさせられるのだ。親父殿が俺のことをどのようにわかっていたか真意はどうなのか。蔵人頭への就任は高官への道が開けたことになるが、そう父道長もその職を経ていない。蔵人頭が名門の人たちにも重要な意味を持ったのは祖父の時代までで、今は藤原氏の主流中の主流はそんな地位など無視して出世している。俺だけが蔵人頭か。兄弟や姉たちの強運の中で一人置き去りにされた姸子と同じことではないか。胸のもやもやはどうすることもできない。そなたは高松の三男そのあたりでちょうどいいのだと親父殿は思っているのか。思い出すのは兄顕信のこと、三条が蔵人頭にという意向を示したとき、父はその任ではないと言って断った。そのことが顕信の出家の引き金になってる。三条と道長の微妙な関係を調整するのは難事だ、おっとりした顕信には向いていないとその時は思ったものだが、いま一つその裏を考えるべきだった、道長は我が息子にいまさら蔵人頭を務めよと仰せられるのかお断りしましょう。言いたかったのかもしれない、それでいて今度は考えを変えて俺に務めよとはどういう意味か。すでに鷹司糸の二人は権大納言と権中納言廟堂に確たる地位占めているから、その手助けをし天皇との間の走り使いをやれということか、三条との間を調整できる能力を買われてのことだといい気になってばかりはいられない。懐の深い父の真意が今一つ掴みきれていないことを能信は感じている。今になって思う顕信兄貴は案外そのあたりのことを、見通して出家したのではないか、思いとどまらせようとした時兄は地位に不足があって出家したのではないと言っていた。駆け引きの煩わしさに嫌気がさしたのではないだろうか、そのあたりを語りあいたいと思うが、兄は叡山に籠ってすでに修行中だ、しかし俺には出家は向いていないよなあ、その兄を懐かしく思い出しながら言ってやりたい。ましてや姸子のように劣等感におしひしがれているつもりはない。父の意向が掴みきれないことを逆手にとれば、その分思うままにできるということだ。せっかくの機会です勝手させていただきます父君。十九歳の若さが能信に肝を据えさせる、はじめのうち、三条も敦朗も道長の息子である能信をあきらかに警戒していた、うっかりしたことを喋ると、道長にそのまま筒抜けになると思うらしく、当たり障りのないことしか話題にしなかった。が、直ぐに持ち前の気さくさから、両者の信頼を勝ち取ることができた。たしかに道長の息子ですご心配なく、お為にならないようなことは計らいません。三条はしだいに心を開いていったし、一つ年上でしかない敦朗は、もっと反応が早かった。表向きはなんということのない会話の中で、以前、中宮彰子が第三皇子敦良を産んだ時のにやらかしたことに話題が及んだ、三夜の祝、五夜の祝が大げさに行われた時、我も我もと追従に押しかけのる人々の中で、能信はしだいに不機嫌になっていた。どいつもこいつも、なにより気に食わないのは鷹司糸の連中が有頂天になっていることだった。後れをとっている高松糸の息子達などまるで、眼中にないはしゃぎぶりに、能信は怒りを抑えきれなくなった来た。偶々隣り合わせになっていた少将藤原伊成と、些細なことで喧嘩になり取っ組み合いの末、さんざんに彼を打ちのめしてしまった。おかげで五夜の祝の席は滅茶滅茶になってしまい。一同がしらけきったことに満足し溜飲を能信は下げたのだが、屈辱を受けた相手は翌日出家してしまった。やりすぎました、あれは。まあいいさ若い時は元気なのもいいものだ。このお方は俺の心の中がわかっていらっしゃる。能信は敦朗にある親近感を抱く。敦朗自身にもとかく奇矯な行いが多いと評判だったが、その底にある屈折に気づかされた感じである。敦朗も距離を保ちながら、能信にいささか心を開いたようだった。能信は三条や敦朗の周囲を敏捷に走りまわった。上東門邸で育っている女子の生後百日の祝を行い、禎子と名付けられ内親王宣下を受けた。姸子はやっと気を取り直して内裏に戻るがそれから間もなく内裏が焼失してしまった。まるで不運の翳を背負った中宮が内裏に不運を持ち込んだみたいだ。焼失した内裏の跡始末の為、寝る暇もない能信はそんなことを考えてしまう。その騒ぎの中でも禎子はすくすく成長していく。あの子が育てば育つほど不運の種子が膨らんでいくみたいで。三条帝の眼疾は進んでいく、そんな中道長の所を尋ねると、内裏が焼失したが帝にも中宮にもお障りがなかったのはなによりだ。道長はさりげなく言った。そなたの働きは聞いているぞ、いや何も、道長は能信を見ずに呟いた。世間はいろいろ申しておる。自分のことかと思ったとき、道長は意外なことを口にした。御帝徳の問題だと言う者もいる。え、御帝徳が足りぬ故に内裏も焼けたと。ゆっくりと父の視線が能信に向けられた。


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