身もこがれつつ 小倉山の百人一首周防柳著 その三
定家と家隆の秘密の関係が始まった、同門の友として、親しく過ごしてきた仲。二人きりの時間が多少増えたからといって、怪しむ者もない。まして今は独り身、気遺いもなし。人生の中でこれ程満ち足りたこともなかった、貪欲に求めあう年月が一年続いた、熱に浮かされた時期が過ぎた時に、はたと我に返った、柄にもないことに夢中になった、我が身を冷静に顧みれば、見苦しかった。美しい相方は何をしても美しいが、貧相なおのれは滑稽なだけな気がした。意識すればするほど居心地が悪くなった。世の中を見渡せば、男色などさ珍しいものではなく。公家にも武家にも多い、坊主に至ってはそれ一択、だから恥じらうこともないが、生まれつき保守的で、歌人としての美意識に邪魔された。歌の世界の恋は、必ず男と女の恋、男と男ではない、わが人生の目的は、三十一文字の中に究極に麗しい男女の姿を描くこと、それはそれで割り切ればよいのだが、二つをうまく行き出来ない。空想の恋は得意だが、現実の恋は苦手だった、こちらに迷いが生じると、すぐ相手に伝わった。家隆は驚くほど察しが良かった。定家は悩むのです、そしてなんとなく接触を回避している折も折、縁談が舞い込んだ。大納言藤原実宗の娘、頼子、公経の姉、格式も申し分ない、懐の具合の良さでも知られていた。早く身を固めて跡取りをと、いっていた父俊成は、これぞ良縁と雀躍した。家隆を呼び出し婚姻のことを告げた、それはめでたい、そなたは、わが一門の行く手を背負っておる。励んでくれ応援するよ。わかってくれた。ほっとした。でも責められもせず、留められもしないことに、物足りなさを感じた。家隆はなぜこんなに引き際がよいのだ、我への想いなどしょせんその程度だったのか、自分の勝手を棚に上げ、恨みに思った。じゃー、去っていこうとする後ろ姿に思わず[壬生]と呼びかけた。声をかけておいて、二の句が継げなかった。大丈夫だよ。端麗な唇の脇にえくぼができた。[我らは何もかわらぬよ。これまでも、これからも、それが男と女の恋とは違うところ、だろー]いつか同じせりふを聞いたことがあったと思った。顔を合わせるたびに、薄皮一枚剝がれるような痛みがあった。が新しい家庭の忙しさで相殺できた。時がたちおだやかに、なんのわだかまりもなく、もとの無邪気な関係に戻ることができそうだった。だが、非凡な百首歌で和歌界に登場して以来、後鳥羽院の歌道への情熱はとどまることはなく、頻々と歌会を催し、数か月後には二度目の百首歌を詠出。翌年には二条殿に和歌所を設置。十一人の歌上手を寄人に任命し、さらにそのうちから選りすぐりの六人を選者として勅撰和歌集の編纂開始とあいなった。この矢継ぎ早な流れの中で、御子左家は院から毎日のように使者がくる。用向きは和歌についての問い合わせ。せっかちな主君は思いついたら即吐き出さねば気が済まぬらしく、微細な質問でも昼夜問わず伝令が飛んでくる。この歌の本歌はなんぞ、この言葉の意味は、いついつの歌会の記録をよこせ。煩きこのうえない、それもこれも和歌道への向上心ゆえだから、できる限り尊重せねば、これらの伝達は、当初和歌所の事務官源家長がつとめていたが、うまくいかない、誠実な人物なのだが、どうしても齟齬が生じる。こちらの落ち度と解され、お咎めをもらうのも困る。それで一門から、院専属の御用番を置くことにして、その任を家隆が負うことになった。父俊成からその決定を聞いたとき、なぜ家隆なのかと、ふくれっ面をすると、こたびのお役目は歌道の師ではなく御用の取り継ぎである。誇り高い院は人からものを教わることを好まない。そなたの性分ではいちいち角が立つおそれがあるので、柔和な家隆を選んだ、人選したのは九条家の若殿である。ならばと、矛を収めた、面倒な仕事をやらずに済んでさいわいと。しかしちがったのだ、それからのち御所に参ると、院と家隆が談笑しているのに出くわした。はっとした。驚くほど和やかな雰囲気だった、おのれと相対しているとき院はどこか臨戦態勢なのに、家隆とはまるで隔てがない。軽い衝撃を受けた。家隆の態度にも、こちらに気がつくと、慇懃なほほえみを浮かべ、よそよそしく会釈などする。なんだその他人行儀は。あきらかに嫉妬していた、そんな心持になる自分が嫌だった。改めて離れて眺めると、家隆はしみじみよい男だった、四十を越えているとは思えぬ張りのある容姿、それで年なりの円熟も、荒々しい悍馬のような院と並ぶと端正な白馬の趣で好もしい。胸がざわつく、かけがえのない相棒が急に遠いところへ行ったしまった気がした。しばらくして家隆が訪ねてきた、薄暮の刻限で、札を広げ歌を考えている最中に、懐かしい匂いの風が吹き、振り返ったらいつもの笑顔があった。おぬしに頼みがあって来た。そして床の札を見。すっと指を伸ばし[これー]と言った。初めての日のことを思い出しどきっとした。札を並べて頭文字で会話をした。あの後朝。もしかしたら、また何か伝えようと、胸が鳴った。家隆は札をまわし、[この札を院に差し上げたい]院はいま歌の修練に猛烈に取り組んでおられるが、何万とある歌をそらんずることは生半でなく、たいへんお苦しみだ、そこでこの歌札のことを教えたら、ぜひ欲しいとのたもうた。院のお力になって差し上げたい。一揃い作ってくれぬか。なんだ、むしろ家隆の口から院への真摯な思いやりの言葉が出たことに苛ついた。しかし院に古歌の重要性を説いたのは自分だ、応えぬわけにはいかない。わかった七代集よりよき歌を選んで、なるべく早く献上しよう。 四へ続く