身もこがれつつ 小倉山の百人一首 周防柳著 その二
建久三年定家は三十一歳。昇進して従四位下左近衛権少将、五条にある父の邸の自分の部屋、円座の膝元から周囲に、何百もの白い札が、敷き並べてある。一枚ずつに歌が書かれている。その上を双眸で舐め尽くす。そして、一首書きつける、ぎくぎく下腹に力を入れて、もう一首、さらにもう一首、まわりの札に記されているのは、古来の名歌である。紙の裏に薄板を貼って丈夫にしてある。札は歌集ごとに文箱に分類してあり、目的に応じて取り出し身の回りに歌の花園を作る。そこに浸ることは至福。言の葉の香をかぎ、花吹雪を身に浴び、さらに新しい歌が湧いてくる。それがまた至福、歌の申し子の情景。励んでいるな定家、耳元で柔らかい声がした。ふわっとかぎ慣れたにおいが立つ、[壬生か]藤原家隆、壬生とは、その住まいのありかからついたあだ名、なんとなく華やいだ響きがこの男にはよく似合う。家隆とは同じ侍従のときから十五年来の仲だ。こんにちはなんぞ。釈阿師に暇あらば若子に教えてやってくれと頼まれての、かって京の歌壇は六条家が優勢で俊成の御子左家は二番手に甘んじていた。六条家の当主清輔が亡くなり、俊成が九条家の歌道師範となると風向きが変わった、九条家の威勢により歌壇の首位となり、勅撰集の[千載和歌集]の選者をうけたまわったことで、評判が上昇したので、入門希望者も多く、幼いうちから習いによこす親もいる。そのような者たちにも、定家は難しい理屈を垂れ、容赦なく駄目も出す。家隆は加減を知っていて、ほどほどに上手も言う。歌道も商売だから人気が落ちては困る。そんなことで俊成は新入りの指導は息子にやらせず、家隆に命ずるのだ。定家は二十二の時に妻梨子を迎えたが、通い婚であった。二人の男子が生まれたが、七年が過ぎた時にことが起きた。最近なにやら態度がおかしいと思ったら、男ができていた、訪ねて行ったとき鉢合わせた。しかも同衾の真っ最中最悪だ。その日限りに絶縁し子を引き取ったが、梨子のその後は知らない。家隆と初めて出会ったのは、十五年前宮仕えを始めた翌々年、新入りの侍従としてやってきた、同じ藤原北家の筋だが御子左家より家格は低く、歌道にも縁がないから知らない、位は従五位下、四つ上の二十といった。ぱっとしない境遇、自分も弱小だが父俊成が、歌の道で名をなしてるので、丁寧に扱ってくれる者もいる。それに比べたら家隆の方がよほど心許ないだろう。その代わり天は一物は与えるらしく、とびきりの美男だった、すらりと上背が抜きん出てその割につむりが小さい、冠をつけて裾を長く引いた正装が絵に描いたように似合う、小ぶりな顔がまた秀麗だ。折り目正しく挨拶をされた、長身を動かした拍子によい香りがした。業平か薫の君か。侍従という職は帝の側近として、特別な存在感があったがを、いまは違う、現今この国の王は院である。政を仕切ってるのは平家、数少ない帝の御用は蔵人がやる。今の侍従は詰所にたむろしているだけ、いやでも、参内して出勤簿だけはつけておかねばならない。家隆は定家の歌道についての思いを、よく聞いてくれ、ああ、よくわかるおおいに励むがよい。自分自身はいつも半歩退いて。そして言う、私はそういうおぬしが好きだよ。家隆とは侍従として、三年ほどともに働いたが、親の病とかで、しばらく姿を消した。再び五条の邸に現れたのは四年後、壬生、久し振りに見た家隆は相変わらず美しかった。苦労したのか、前よりやせたがかえって淡麗になった、家隆を連れてきたのは従兄の寂連だった、醍醐寺の阿闍梨、俊海の子で、俊成門下の中心的歌人である。定家よわしの婿だ、驚いた、それだけではないぞ、有望な新弟子だ、わが一門では将来そなたと双璧の詠て手になるだろう。新弟子、双璧の詠い手、家隆は一時六条一門に師事したが、寂連が家隆の才能を見込んで婿としたうえ、引き抜いて来たという。目を通してみよと、家隆の習作を渡され、さらに驚いた初心の拙さはあるが、非凡であることは一目瞭然だった。晴明に流れる清水のよう、風になびく若葉のよう、流麗な家隆自身の感じが、そのままそこにある。自分とはまるっきり個性が違う、おそらくその天稟は音への鋭敏さにあるのだ。家隆は卓越して耳がよいのだ。一方定家は病でその感度失った。歌人としては片翼をもがれる思い、自分なりに欠点を撥ね返す方途を見つけ、精進してきたが、今自分に足らぬ部分をもっている、同門が現れた。その才能に嫉妬はなかった。むしろ天の采配だ。おのれは匠の歌作り、家隆は天性の歌詠みで、ともに補い合って高みを目指していけばよい。よろしく。壬生の相棒。定家三十二の建久四年の秋。牛車の揺れが伝わるたび胃から、酸い液体が逆流しそうになる。冷や汗が流れる。暑いのか寒いのか、目を開けていられぬけれど、目を閉じると今度は渦巻きのようなものがまぶたの裏に現れ、ひどい心地である。定家もうじきだ、辛抱せい。家隆が言う。主家九条家で、大きな歌合が行われた。歌会がはねると唄い女、白拍子。酌婦、綺羅を張った女たちが盛大に、なだれ込んできた、こうゆう会の常として、宴は一番鶏が鳴くまで延々と続く、旅の恋の題に、力みすぎた歌を出したのを、からかわれ。また大殿の兼実が、定家の少将は恋の名手である。我も嵐のような恋がしてみたいと、茶化したため、遊女が嵐の恋と、いっせいに群がった。定家殿はいま、寂しき女日照りなのじゃ嵐のように、面倒を見てやってたもれ。と、煽り立てられしこたま飲まされた。あまりの顔色の悪さに驚いた家隆に支えられて帰路についた。わが家につき家隆が指示をし世話をしてくれ、さあ薬だ、我慢して飲め、猛烈な吐き気に襲われ、思いっきり嘔吐した、先ほどまでの苦痛は噓のように消えていた。大丈夫か、楽になったろううんと頷く、そっと指先が額に触れ、汗をぬぐい、乱れた鬢をすいてくれる、魂が抜け出していくほど心地よい。目を閉じたままに手を伸ばし、やさしい介抱者の手を握った。女は嫌じゃと訴えた、くすっと笑う声がした。女はいやか、嫌だ、そのまま夢の世界に落ちていこうとしたら。いやだと答えた唇を指ですうとなぜられた。続いて柔らかい唇が重なった。抗う力はなくしびれるように甘く、口の中に満ちたものは、なんだろう.などと考えているうちに、全身が麝香のようなにおいに包まれた。家隆の匂いえもいわれぬ快感が全身を走った。汚い遊女になぶられた時とは、対極の快さ、手早く衣を開かれ腹が楽になり、肌が空気に触れた。われはどこへ行くこれはと疑っているうちに、真っ赤な花火が散った。さだいえと声がした、定家ではなく父母と姉にしかよばれぬ名を。抱かれて咆哮して、見知らぬ世界の涯に魂が飛んでいった。次に気が付いたときは、すっかり朝だった、お目覚めか脇息にもたれた家隆が、白い頬でにこっとした。うんと答えようとして、昨晩のことを思い出した。何だったのかあれは。夢だったのか、昨日はひどく酔っていた、歌札が一面に散らばっている、それを見てからだの芯に激しいものがよみがえった。脇息に持たれたまま指先ですー、すーと札をもてあそぶように、右へ左へ動かしている。昨日のあれは、恐るおそる目を上げたら、こちらを見つめている瞳とぴたりとあった。家隆は首をかしげ、手近の札を取ってこちらに向けた。[逢ひ見ての後の心に比ぶればー、]なんという意味深長な札を出すのだ。やっぱりなのか、おぬしは恋の歌が巧だ。家隆はだしぬけに言う、しかしおぬしほんとの恋を知っているのかな、唐突に大丈夫だよ。困るようなことはない。風に吹かれるように、そよと笑った。なんなのだ、ますます混乱する。その膝元に歌札の渦だ、ああこちらの方が早い、札を四枚引き寄せた。このところ若殿良経に求められ、散々言葉遊びをしてきた。家隆ならわかるはずだ、四枚の札を見た、ぞくっとするほど美しい眼差し、頭の文字を読め、か、た、し、き、われは一人寝したのだよな、唇の脇にえくぼが、と思う間もなく指先が動き、す、と四枚の札を拾ってきた。かあっと頬に血が上った、あ、ひ、み、き、愛しあったじゃないか。なんてこった、うつむいたつむじの上に、大丈夫だよ。なにがー[我らは何も変わらぬよ。それが男と女の恋とは違うところさ]どうゆうことだ一夜の遊びだったのか、罪深い相手は、先ほどの札の中から一枚取り、さらに新しい一枚を加え、今度は見えにくい膝元に揃えた。それから家隆がもっとも似合う、束帯姿に身なりを調えて、美しい男は[ではまた]と去っていった。腰が抜けたよう寝床に戻った。困った、でも、心の声の三割ほどはよいと言っている。困ったわれは普通の女子と恋をしたいのだ。だって、われは恋歌の名手である。そもそも男色の歌は幽玄妖艶足りうるか.考えたこともない難題だ。先ほど家隆が並べた二枚が気になって見た。を、し、愛し。ちょとうれしいのが困った。 三へ続く