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【#13】厄介すぎる”良かれと思って”

お疲れ様です❁

今回はこちらの記事をより深く書いていきたいと思います。


”良かれと思って”が苦しかった

私が、児童福祉施設で働いていた時
一番苦しかったことは
”良かれと思って”の強要です。

実は日常にもあるんですよね。





例1.元気がなさそうで心配だからご飯へ誘う

一見面倒見がよくて優しい行為に見えます

だけど、元気がなさそうと判断して
心配になっているのは誘った本人

もしかしたら、本人はいつも通りだったり
朝10分寝坊してしまったり
本人は気にしていないことかもしれません。

厄介なのは、ご飯を誘って元気のない人を
気にかけた自分に満足していたり
(元気がなさそうな本人がご飯に行くことを望んでいないのに)

話を聴いてやったと鼻を高くすること。
(人にいいことした~と自己満で終わること)


実は、誘った本人の押し付けや自己満足に
なってしまうことがあるんです。
(もちろん全てがそうとは限りません)




例2.相談を受けたから相手を思ってのアドバイス

仕事で困っていると相談を受けた時
相手のためを思ってたくさんアドバイスをすることも
一見、助けたい、親切心に見えます。


〇〇した方がいいとか
あなたはこれがよくないとか

そういうアドバイスは
あくまでアドバイスした側の価値観や経験談

押し付けになることがあります。
これも自己満足ですよね。

これも、後から
せっかくアドバイスをしたのに生かしてないとか
よくないよって助言したのにまたやってる
変わらないな…とか


アドバイスの後に起こり得ることとして
勝手に相手を悪いと判断する材料に
なりかねないのです。



自己満や傲慢になりがち

お節介と聞くと、ちょっと良くない印象をお持ちかもしれません。
良かれと思ってって結局は、お節介と同じです。

そこに、自己満足が入るので結構やっかいです。

本人は良かれと思ってやっているので
悪気はありません。
むしろ、貢献した!とうれしい気持ちでいます。


それに、強要が入ります。
ご飯連れて行ったから元気になれ
アドバイスしたから実行しろ

先に挙げた例で言うと
ご飯連れて行っても様子が変わらないと
なんで?ご飯ごちそうしたり話を聞いたりしたのに…

アドバイスをしても変わってないと
実行していなんじゃない?あんなにアドバイスしたのに…

と後から、してやったのにという傲慢さが出てきます。


ちょっと怖く感じませんでしたか?
ドキッとしませんでしたか?



【まとめ】良かれと思って=

良かれと思っては
強要や押し付け、自己満足、傲慢
になりかねないのです。

私はこれですごく苦労しました。
ありがたいときもありました。
おいしいご飯に満足したり
新しい考え方に気付けたり。
けど、割とプレッシャーにもなるんですよね。


余談ですが、だからこそ
カウンセリングが心地よくて
カウンセラーが好きなのです。


最後までお読みいただきありがとうございました♡

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