私にとってのメイクは武装
数年前の下書きにしまっていた記事を再掲
事の発端
「濃いメイクできないから就活嫌い」
そう友達に話したある日。
就活が始まり、自由にメイクができないことへの苦痛が想像以上であった
なんというか、学校へ行く時も面倒でメイクが簡素になる時もあったし、何故突然こんなことになったのかわからなかったが、友達への感情の吐露があまりに素直だったので、そんな自分が可愛かった。私は自分を大切にしたいのに、周囲から見下され続けた経験からなかなか素直に自分を愛せないのが辛いのだ。
私にとってのメイクは武装
経緯としては、私は怒らず誰でも受け入れられる。''性格''が良い。
しかし、性格がいいだけでどうにかなるものではなく、私は''顔が''良くない。
それを今まで散々からかわれていたのだから、元々の自尊心は墜落して戻ってこないままだ。
どれだけ性格を褒められたとして、自己肯定感は誰かの目の前に存在しているだけで減っていくのだ。
私のメイクは目が命である。
就活メイクはアイラインを必要最低限の長さを推奨されている。それを見た時絶望した。
相手を脅すような目力で私は乗りきってきたのに…
アイラインの長さが自己肯定感と比例しているのに…
「好きなメイクをする事」を奪われてしまった
とてつもなく凹んでしまった。
高校を卒業し、メイクを好きにできるようになってから自分の顔がだんだんすきになっていたのに、また人前に出ることが不安になるとは思わなかった。
就活はクソ、という気持ちでその日はすごし、証明写真の撮影をした。
食事の際、右側でばかり噛んでいるから頬の筋肉が不釣り合いで歪な笑顔になっていたのも余計嫌だった。
友達は、私のことを「かわいいよ」と言ってくれるのに延々と過去の負債が片付けられずに、その言葉を受け取らずその場に落として拾い上げられない自分がとても嫌だ。友達を裏切っているような気持ちになる。そんなことしたくは無いのに。
【食虫植物】になった
『可愛くないから消えたい』
『愛されたいのは地球規模』
という純情な乙女の悩みのような歌詞。私は、これを聴きながら同じになってしまったと思った。
現状ではどうしようもないのに、些細なことを肥大化して悩んでしまういじけさが弱々しくて、愛しかった。
少女特有のロマンティシズムに凶器のような我儘が混ぜられた中毒性のある曲だ。
こちらの曲は、【食虫植物】と同じ作者の作品だ。好きな歌詞を引用する。
『可愛くなんて綺麗になんて答えになんてならないでいいよ』
この歌詞を聞く度に安堵し、友達だなあと思う。
この曲と同じく、私に『贈られた言葉は水泡に帰している』けれど、曲では最後に''自分を愛すことが出来ている''ところが私との違いだ。
いつか、素直に愛を受け止めた気になるだけではなく残さず咀嚼して、自分の養分にしていけたら本当に嬉しいな。
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