逃げることは悪なのか。

私は逃げる、ということができません。できない、というより、苦手です。自分自身に【負け】の烙印を押すような気がするからです。
何をもって負けとするのか、と考えたんですが、そもそも逃げるという選択をしたこと自体が自分にとっての負けだと思っている節があります。

でも本当にそうなんでしょうか。

逃げることができない結果、私は友人と思っていた人たちとすごくぶつかりましたし、いじめられました。そして社会人になってからは適応障害になりました。逃げられなくて、全てを請け負って、その結果イライラして人にあたって、人を悪くみて、悪口に近いような愚痴を言っていました。
全てが逃げなかったからというわけではありません。【逃げる】ということに【頼る】ということも混ざっていたり、逃げるということが全てを投げ出すということだと思い込んでいたりしたんだと思っています。

でも、違ったなと今は思います。

逃げることって、自分にとって自分らしくいられたり、自分の力を存分に出せたり、あるいは自分がホッとする場所を選べたり、そういうことも逃げるに含まれると思うんです。
だから逃げることは悪くない、わたしはそう思います。

だけど学校は狭くて、逃げられない。多分これがいちばんの辛さなんじゃないかなと、思います。学校だけでなく、社会も。
たとえば私は逃げたくても教師以外になれないと思い込んでいます。探せばいくらでもあるはずなのに。現に他の職も経験しているにも関わらず、です。でも逃げたくても何してもここが好きなので、じゃぁどんな教室にしたいか、どんな教師であるなら私は生きやすいのか、それを考えるのは逃げではないよな、と思うんです。

学校の外にもいろんなところがあります。
図書館だったりフリースクールだったり児童館だったり、家だったり、おばあちゃんちだったり。そこがほっとするならそこにいてもいいと思う。戻らないといけないと思うかもしれませんが、心と体を悪くする場所は戻らなくていいんです。でも、戻らないといけない、と思うのは、きっと進路とか、友人とか、親にどう思われるかとか、いろんなものがかかわってくるんですよね。
そうすると「戻らなきゃ」になる。
うんうん。
だけど戻りたい、でなければ戻らなくていいと思います。がんばりすぎてるから。べきねばが、あなたを苦しめるから。

簡単に言うなよという声が聞こえてきそうです。
確かに、そりゃそうですよね。
そしたらここで話を聞かせて欲しいです。
私は力になりたいです。

今は不登校支援が広がっています。
不登校になっていなくても、そういうところを利用していいのではないかな、と思います。

逃げることを許可してください。
命が危なくなる前に。
逃げてもいいです。命に変えられるものはないから。

逃げるには色んな逃げるがある。
いいか悪いかは勝手に自分で決めてしまっただけでした。あくまで、私の場合。

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