ニュートンじゃないよ。
''死''が嫌い。考えることも嫌いだし、その漢字も嫌い。
物凄く大きくて真っ暗で先がない感じがする。ただただ恐い。それは多分、自分が死ぬのが恐いからとかそんなんじゃない。大切だと思っているものが死ぬのが怖いんだと思う。
7月も終わる頃だった。毎日毎日暑くて、でも夜は心地いい風が吹くその時期。わたしは夜更かしをするのが習慣になっていた。その次の日は休日だから自分の好きな時間に寝た。起きるのも好きな時間になる、と思っていた。
耳を劈くような音が鳴って強制的に目を開かされた。あれ?目覚ましかけたっけ?と思いながらも治安の悪い髪の毛をかき分け、スマホの画面を覗き込んだ。珍しくパパからの電話だった。寝ぼけてぼーっとその画面を見ていると電話が切れて、その瞬間、沢山のLINEの通知が現れた。「アイザックが今朝血を吐いた」「今病院に着いたよ」「いつ死んでもおかしくないって医者に言われた」
「アイザックが亡くなった」
たった30分の出来事だった。
何だか身体中の血が吸い取られていくかのように顔が青ざめ、爪の中が紫になって、足先が冷たくなった。
「もしもし?」
3回失敗してやっとパパに電話をかけた。
そこからはよく覚えていない。ただパパの途切れ途切れの声と、後ろから聞こえるママの泣き叫ぶ声だけが頭に残っている。
全てのことを投げ出して、わたしは新幹線に飛び乗った。
田んぼばかり続く景色を見ていた。そういえばおばあちゃん家に行った時、アイザックを連れてあんなとこ歩いたなあ。そんな事を考えればもう、当たり前のように涙が出てきた。
駅まではパパと妹が車で迎えに来てくれて、家に帰った。妹は本当に泣かない子だ。涙脆いわたしに似ても似つかない子だった。だけどやっぱりその目は真っ赤で…
家に着いて、財布とスマホしか入ってない小さなカバンを投げ出してリビングへと向かった。
真っ白なタオルにくるまれて眠るアイザックがいた。
優しく身体を撫でるとふわふわの毛がわたしの手を優しく包んでくれた。ぷにぷにと肉球を押した。触ろうとしたら何度も噛み付かれた鼻を、髭を優しく撫でた。そうして最後に1番毛が気持ちのいい頭を撫でた。
目はあかなかった。わたしの手に噛み付いてくれなかった。吠えてくれなかった。
アイザックの身体に顔を埋めて沢山泣いた。
わたしは飼い主失格だ。大学生になって実家を出て、全くアイザックに会わないどころかその命が消えた時わたしはぐっすり寝ていたんだ。家に初めて来た時、家族4人に可愛がられたアイザックが最後に見たのはパパとママ2人だけだ。友達と遊んでいた妹と、寝ていたわたし。どうして寝ていたんだろう。ごめんなさい。いろんな思いがぐちゃぐちゃと合わさって涙になった。
夜、隣の部屋から何度も鼻水をすする音が聞こえてきた。
わたしのハタチの誕生日の2日前だった。
アイザックだった煙を見ている間、わたしのスマホはひっきりなしに通知を受け取っていた。
小中学生のときの同級生がたくさんの電話とメッセージを送ってくれた。たくさんの人がアイザックを覚えていてくれて、時には涙を流してくれた人もいた。
本当に嬉しかった。
それでもわたしは死というものがどういうものなのか嫌でもハッキリさせられたこの日を嬉しいの一言じゃ終わらせられない。たくさんの涙と悲しみがあった上での嬉しさだったから。
死を乗り越えるというのはわたしには無理だ。
でもその経験を繋げることはできる。
取り返しのつかないことを後悔したからこそ、もう二度としないという自信がある。命を大事にできると思うんだ。
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