穏やかそうに見えても
【第九十五回】
こんばんは。
今日は仕事が休みだったので、のんびり起きて、お昼に蕎麦を茹でてのんびり啜って、午後からのんびり買い物に出かけました。
買い物と言ってもいつものスーパー。
でも、せっかくのお休みだし、と思ってスタバに立ち寄って、のんびり読書を愉しみました。
ずっと読みかけで鞄に入れっ放しだった、石田ゆり子のエッセイをようやく読み終えた。
世の中の多勢が恐らく同調してくれるはずだけど、逃げ恥の頃からの彼女が本格的に好きだ。インスタグラムから垣間見える、美味しいものやおしゃれな洋服やたくさんの動物たちに囲まれたマイペースな私生活も、歳を疑う可憐な少女のような佇まいも、歳を重ねたからこその穏やかでウィットに富んだ言葉選びも含めて。
読み終えたエッセイは20年近く前のもので、だからそれは今の私と同世代の頃の彼女が書いたものなのだけど、やっぱり若さゆえの天真爛漫さや感情の起伏が感じられる一方で、どこか今と違わぬ掴みどころの無さを覚えるというか、達観しているような印象を受ける。
穏やかに振る舞えれば、外から見たらそれは、穏やかな人、という評価になる。
でもきっと根っから穏やかな人なんて少ないのだろうな。
穏やかに見える相手の、パッションと言うのかつい熱くなってしまうくらい心を動かされるものや、ドロドロした渦巻いた、言葉で説明のつかないような感情みたいなものが覗き見えたりすると、嬉しくなる。それは身近な人でも、タレントやアーティストなんかでも。だから私はエッセイが好きなのだろうな。
歳を重ねる毎に人との関わりは希薄になっている気がして切ないけれど、心のうちでは積極的に人に興味を持っていたい。