行動することが目的で、その過程が成功なのです
よく「意識が高い人」と言われます。
多分褒められているけれど、若干の貶しの意味を含んで言われているような気もします。
「自分の行いでカンボジアに学校が立っちゃうと勘違いしている怪しい学生団体に入ってそう」
「いつまでも現実をみなさそう」
「欲深い」
みたいな。
(カンボジアに学校立てようと本気で頑張る方々、このような比喩をしてすみません。)
そんなことないのになぁ。
わたしは、社会貢献とかあんまりよくわからないし、社会で活躍したい、成功したい、みんなによく見られたいとかはあまり思ったことがありません。
もしわたしが意識高くて夢追い人だったとしたら、例えばピアニストになる!!!!と、音大に行ってがむしゃらにピアノを弾いていたかもしれないし、若しくは教育格差の解消に向かってカンボジアに学校立てようと頑張っていたかもしれません。学生団体を立ち上げていたかもしれません。それから、ハイスペ彼氏を手に入れようと整形したりブランド物を買い漁っていたかもしれないし、港区OLに憧れて商社やコンサルに入社していたかもしれません。
でも実際は違う。無難な大学に入ることを目的していたし(それもどうかと思うけど当時の精一杯)
在学中は普通に真面目に勉強とバイトとサークルして、彼氏を取っ替え引っ替えもせず、教員免許と保育士免許をとり、教育業界というとても華やかとは言えない場に就職して、転職もしていないし港区OLでもないし、芋っぽいしがないOLである。
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とにかく、わたしは、社会に対して年収や容姿などでプライド高くいたいとは思っていなくて、そんなことより、個人の充足感とか、満足感とか、安らかな穏やかさとか、そういうものを感じて生きていきたいです。
それから、自分の周りにいてくれる大好きな人たちにもっと幸せになってほしいし、自分も周りの人からたくさん愛をもらって生活してたいし、とにかく自分の周りがハッピーになってくれたら、それによって自分もハッピーになったら、なんでもいい。カンボジアの人に申し訳ないけれど。(いい加減、カンボジアを用いるの辞めなさい)
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みんなで成長しよう!!夢を掴もう!!みたいな、熱い空気も苦手です。いや、正確には、中学校、高校くらいまでは好きだし得意でした。部活の青春、行事の青春、ひととおり経験して、アオハルだったなあ。
でも、大人になったらもう「みんなで」とかちょっと気持ち悪いじゃないですか。それ高校までに経験してこなかったのかよ、と思ってしまう。人を巻き込まないで、自分で勝手に成長してくれ、夢を掴んでくれ。わたしはわたしのタイミングで、わたしの価値観で成長するので…
わたしにとって大人とは、「ひとりで頑張れる人のこと」なのかもしれません。
だから、熱い気持ちを常に強要されるベンチャー企業や、実力重視の外資系企業も苦手で、「ザ古き良き日本の企業」みたいな組織に身を置いている。原則年功序列。よっぽどのことがない限りはクビにならない、みたいな。
※もちろん、ベンチャーや外資の全てがそうとは思いませんが、相対的に、ね。
💫
でも、自分が「意識が高い」と言われる理由もわかる。とてもよくわかる。
考えることが好き
理由のいちばんは、考えることが好きだから。
やっぱり考えざるを得ないというか、考える性分だからです、何をって、新しいことや、これからやりたいことなどを。
どうしたら明日がもっと楽しくなるかな、どうしたらもっと人生楽しめるかなということを、常日頃考えている。
そして、あれやこれやと行動してみることが好きです。
でも、行動することが目的。その過程が楽しい。それ自体が、わたしにとっては成功なのかも。
その行動の積み重ねが、「ピアノを弾く」「ジャーナリングする」のように、20年くらい続く物事になってくれたらなおよし。
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仕事が好き
次にこれ、働くことが好き。
あ〜納得できない
あ〜意味わかんない
あ〜転職しよ
とか言いながら、残業にならない程度になんだかんだめちゃくちゃバリバリ働いている。仕事に対してのこだわりもある。業務改善とか、ちょっとした課題解決は結構前向きにやりたいタイプ。
(びっくりするくらい前年踏襲にこだわりある人いるじゃないですか…あれなんで…と思ってしまう、変えようよ)
競争が得意
競争、好きじゃないけど、どちらかといえば得意なんだと思う。受験とか就活とかテスト勉強とか部活の大会とかそういうの。プレッシャーの中でそれなりに真剣に取り組むこと。学校生活が向いていたのも、競争が得意だったことは1つ大きい気がしています。
学校中の男を振り向かせてきた!みたいな経験はないから、モテ競争においては敗北している気がするけれど。笑
泥臭い
これは地方出身者あるあるだと思うのですが、ここでのほほんとしていたら何も変わらないぞ、という危機感や泥臭さが、マインドの根底にあるというか…とりあえず、全く綺麗じゃないけど、本音で、なんかあの人いつも頑張ってるよね、みたいな印象を持たれやすいのかもしれない。
つまりダサい人なんだと思う。本当はスマートに頑張りたいけれど、これはもう仕方ないです。
というわけで、いいですか、わたしは個人の充足感とか、満足感とか、安らかな穏やかさとか、そういうものを感じて生きていきたい人なのですよ!
あたたかい家庭環境があることへの感謝と、それをこれから自分がつくっていくこと。
という弁解記事(?)でした。
今日もお疲れ様でした♩