【追悼】吉田義男さん

大阪・阪神タイガースの名遊撃手として活躍し、後に監督として球団史上初の日本一へと導いた 吉田義男(よしだ・よしお) さんが、2025年2月3日、91歳でご逝去されました。

吉田義男さんは1933年7月26日、京都府京都市生まれ。
京都府立山城高校では2年生の夏に遊撃手として甲子園出場を果たすも、1回戦で敗退。
立命館大学に進学し、1年生からレギュラーで活躍するも中退、1953年に大阪タイガースに入団、新人遊撃手として初となるシーズン100安打超え、119安打をマークしました。
その後も、タイガースの遊撃手として活躍し、その卓越した守備力から「牛若丸」と称され、1953年から1969年までの16年間、チームの中心選手として貢献、特に、1962年と1964年のリーグ優勝に大きく寄与しました。
1962年の日本シリーズではシリーズ記録となる16安打を放ち、1964年には主将としてリーグ3位となる打率.318、自己最多タイとなる8本塁打を記録しています。
特に三振が少なく、1964年には179打席連続無三振、通算でも6980打数(7835打席)で三振325個、21.5打席に一度しか三振しておらず、NPB通算4000打席以上の選手の中で、もっとも少ない三振率とされています。

現役引退後は、阪神タイガースの監督を3度務め、特に1985年にはチームを球団史上初の日本一に導くという偉業を成し遂げました。
また、1989年からはフランスに渡り、フランス代表監督として現地の野球普及に尽力し、「ムッシュ」として親しまれました。その功績が認められ、1992年には日本の野球殿堂入りを果たしています。

吉田さんの背番号「23」は1987年より、阪神タイガースの永久欠番として讃えられています。その功績と影響は今もなお多くの人々に深く刻まれています。

受賞歴・記録

  • 盗塁王:1954年(51盗塁)、1956年(50盗塁)

  • 最多安打:1955年(147安打)*表彰なし

  • ベストナイン(9回受賞):
    1955年-1960年、1962年、1964年、1965年
    (遊撃手としてはNPB歴代最多)

  • オールスター出場(13回):1954年 - 1966年

  • オールスターゲームMVP:1回(1956年 第2戦)

  • 通算打率:.267

  • 安打数:1864安打(NPB歴代70位)

  • 三塁打数:70本(NPB歴代10位)

  • 本塁打数:66本

  • 打点数:434打点

  • 盗塁数:350(NPB歴代18位)

  • 犠打数:264(NPB歴代17位、当時NPB最多記録)

  • 正力松太郎賞(1985年) 監督として表彰

  • 野球殿堂競技者表彰(1992年)

・入団1年目から連続シーズン二桁盗塁:14年連続
・遊撃手として1試合守備機会15:1955年5月24日、大洋ホエールズ戦(セ・リーグ記録)
・連続打席無三振:179打席(1964年3月28日から6月2日まで)(NPB歴代4位)
・日本シリーズ最多安打:16安打(1962年)
・通算三振率:.046(21.5打数に1度)(NPB通算4000打席以上の選手でトップ)


いいなと思ったら応援しよう!