災害ボランティアへの参加

貴重な時間を使ってわたしのnoteを開いてくださったあなたに感謝します。

「#誰かの役に立てたこと」というハッシュタグを使って記事を書くのが正解なのか分からないまま書き出してしまいました。ボランティアをテーマにした記事のなかで自分で「役に立てた」というのはやや傲慢な気もしますが、今回は私の「災害ボランティア」の経験について書きたいと思います。ただ、このテーマで書こうとするとものすごーーーく長文になってしまうので、今回は「あらすじ」を、また別の機会にもうすこし詳しいことを書いていく予定です。

2011年3月11日。たとえ忘れようとしても忘れられない「東日本大震災」が発生した日です。私は当時、高校の卒業式を終え、大学の入学式を控えて春休みを過ごしていました。発災直後は自宅でじっと過ごす時期が日々が続きました。ニュースやSNSで被災地の状況を知れば知るほど、「何かしたい」という気持ちと「何もできない」という気持ちの間を揺れ動いていたのを覚えています。

私の人生を大きく変えた「抽選」

2011年4月に大学入学後、私はある学生団体と出会います。それは学生ボランティアを募集して被災地に行って活動をする団体です。この団体は東北出身の学生が被災した親族の手伝いに行った際、あまりにも変わり果てた地元の現状を目の当たりにして、「復興には学生の力が必要だ」と感じて立ち上げた団体でした。この団体が1回目の活動をするにあたって、学内で参加者を募集しました。この時、希望する学生が非常に多かったため、抽選で参加者が決まりました。一緒に説明会に参加した友人は行くことが出来ませんでしたが、私は抽選に当たったため、2011年7月に宮城県へと行くことになりました。いま振り返って考えると、(大袈裟に聞こえるかも知れませんが)この時「抽選に当たった」ことが、その後の私の人生を大きく変えたと思います。抽選に当たり、現地に行って自分の目で見て、自分の足で歩いたことで「自分に出来ることをしよう」という気持ちが固まりました。7月の活動から帰ってきた私は、今度はこの学生団体に「企画・運営側」として関わるようになり、最終的には代表を務めることになります。

災害ボランティアで何をしてきたのか

書き出しでは東日本大震災のことを書きましたが、私が「災害ボランティア」として活動した災害は実は3つあります。

2011年 東日本大震災

2014年 山梨豪雪災害

2014年 広島土砂災害 です。

東日本大震災の時は現地で漂着物の撤去作業をしたり、牡蠣の養殖業の復旧を支援したりする「ボランティア」としての立場も、活動を企画して学生を募り、オリエンテーションをして現地での活動を行う「コーディネーター」としての立場も経験しました。もちろん、何もかもが初めての経験です。当時の私は災害ボランティアに精通していたわけではありませんし、特別リーダーシップがあったわけでもありません。団体のメンバーと何度も何度も話し合いを重ね、行き詰まったり途方に暮れたりしながら活動していました。責任の重さに押しつぶされそうになることも、「私たちの活動は偽善になっていないだろうか」と悩むこともありました。それでも活動を続けることが出来たのは、「被災者のために自分達にできることをしたい」という思いがあったからでした。

私が人生のバイブルにしている漫画「鋼の錬金術師」のなかに「偽善で結構!やらない善よりやる偽善だ!」というセリフがあります。これは軍事大陸出身の医師・ロックベルが味方の兵士だけではなく敵の治療活動をしていることを罵られた際に言った言葉です。ボランティア活動をしていると「私たちのやっている行動は自己満足・偽善なのではないか」と思うこともありました。しかし「偽善だと思われると嫌だから活動するのはやめよう」と思っていては、先に進むことは出来ません。「自分の気持ちを満たすためではなく、被災者・被災者のことを第一に考えているか?」という視点は大切にしながらも、尻込みはせずに活動しようというのは当時の私たちがよく話していたことでした。

2014年の山梨豪雨災害と広島土砂災害には「コーディネーター」として関わりました。きっかけは東日本大震災のボランティア活動をするなかで出会った方々に「一緒に活動しよう」「手を貸してほしい」と声を掛けていただいたことです。災害ボランティアを始めた時と同様に、「自分に出来るだろうか」という不安が大きかったのですが、本当に多くの人に助けていただいて活動をすることが出来ました。

2つの災害において、私が「コーディネーター」という立場でどんな活動をしていたかというと、社会福祉協議会が設置しているボランティアセンターの運営支援やサテライトの運営です。ボランティアとして参加した方に対して活動上の注意事項を説明したり、参加者の数や復旧の程度によって活動場所の割り振りをしたりしていました。

「災害ボランティア」というと、どうしても現地に行って土砂のかき出しをしたり、物資を運んだりする姿をイメージしがちです。もちろん、そうした活動が重要であることに変わりはありません。しかし、そうした活動の背後にはボランティアの安全を確保しながら円滑に活動を進めるための「ボランティアセンターのスタッフ」や「コーディネーター」の存在があります。

日本は災害大国です。地震、土砂崩れ、台風、津波など多くの災害が起こり、尊い命が奪われてきました。こうした災害が起きるたびにテレビの報道やSNSでは被災地の様子が取り上げられ、近年はそこで活動するボランティアにも注目されるようになりました。しかし、その裏にいるコーディネーターやボランティアセンターのスタッフに目が向けられることは少ないと感じています。だからといって私は「もっとコーディネーターに注目して!」と言いたいのではありません。ただ、ボランティアが安全に活動するにはボランティアセンターやコーディネーターの存在があるのだということ、ボランティアとボランティアセンターなどの運営スタッフやコーディネーターは相互のやり取りを大切にし、「連携」する必要があることを知ってほしいと思います。


今回は「#誰かの役に立てたこと」というテーマで記事を書きました。災害ボランティアに参加した経験は私の人生において最も転機になった出来事です。そのため、まだまだ書きたいことがたくさんありますが、とても1本の記事では書ききれそうにありません。何本かに分けて書いていこうと思いますので、この記事を読んで興味をもってくださった方はまたのぞきに来ていただけると嬉しいです。

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