生み出された未来:ミヤコが行動した世界
第1章:201x年頃 日常の不満 (Everyday Frustrations)
夕方の東京都庁、柔らかな光がオフィスを包む中、25歳の情報技術者ミヤコはキーボードを叩きながら、画面に映るデータに目を通していた。彼女の疲れた表情は、画面の中に映る数字と報告書に反映されているかのようだった。
「またか…」ミヤコはため息をつき、隣の立川に声をかけた。「また組織間の情報共有がうまくいかなくて大きなプロジェクトが頓挫したみたい…」苛立った声に立川が顔をしかめる。「各部署の連携が迅速に取れていたら.....」と静かに答えた。
「どうしてこんなことが続くの?」ミヤコは画面から目を離し、「デジタル化が進んでいるはずなのに…」と無力感を混ぜて言った。立川は肩をすくめ、「しょうがないよ。誰も組織の壁をどうやって壊せるか分からないんだ」と答えた。ミヤコは再び画面に視線を戻し、「しょうがないで終わらせていいの?」と胸の中でつぶやいた。
地方の小さな町で育った彼女は、首都・東京からデジタル技術で行政サービスを大きく変革させることを夢見て都庁に入った。しかし現実は厳しかった。情報が共有されず、プロジェクトが進まない状況に、ミヤコは深く無念を感じていた。「このままじゃまた遅れが出る。でも、私一人じゃ何も変えられない…」。
オフィスの一角では、紙のファイルが小さな山脈のように積み重なり、その向こうにあるはずの理想的なデジタル社会を遮っているかのようだった。
第2章:2024年 東京大改革3.0の幕開け (Dawn of the Great Reform)
ある日、ミヤコは上司の目黒から「東京大改革3.0-政策DX」プロジェクトへの参加を打診された。このプロジェクトは、デジタル三原則――デジタルファースト、ワンスオンリー、コネクテッドワンストップを軸に行政全体を根本から変革する大規模なプロジェクトだった。
2019年からの5年間で都庁では急速にデジタル化が進展していた。
まず、コピーやファックス、現金、対面会議をデジタルに置き換える「1.0」。
次に行政手続きのデジタル化100%を目指し、利用体験の品質の数値測定と改善まで行った「2.0」。これらの波はGovTech東京の設立に契機に都内62区市町村や33の政策連携団体にも広がっていた。2019年にはモニターを使って資料を説明したり、パソコンを持ちこむ職員はほぼゼロだったが今では日常の光景に変わった。また行政手続きのデジタル化も2019年にはわずか5%だったが80%を達成、100%も視野に入ってきた。
とはいえ順調にデジタル化が進んできた姿を現在進行形で見てきたミヤコでさえ、今回の「3.0」の困難さは容易に想像できた。
「今度の『東京大改革3.0』は、これまでの1.0や2.0とは根本的に異なる」と目黒は説明する。「今回の改革のコンセプトは、デジタル三原則の実現、BPX(ビジネスプロセストランスフォーメーション)の実践、都民との双方向の関係性の確立、そして内製化への挑戦の4つだ」と続ける。
まず、デジタル三原則は、すべてのサービスにおいてデジタルファーストを徹底し、都民から一度提供された情報を二度と求めないワンスオンリー、各組織が連携して一度に手続きが完了するコネクテッドワンストップを目指す。
さらに、組織単位のBPR(ビジネスプロセスリエンジニアリング)を超えて、組織横断のBPX(ビジネスプロセストランスフォーメーション)に取り組む。都庁だけでなく区市町村やや国も巻き込んだ業務改革を行なう。多部署にまたがる類似業務は一元化する「センター化」も推進する。国や地方といった組織を超えて業務プロセスや制度を抜本的に改善し、人口減少下でも自治体業務が円滑に進む体制を構築する必要がある。
都民との関係性も変わる。行政がサービスを提供し、都民はそれを利用する一方向の関係だったが、これからは都民が協働開発者となる。デジタル化の過程で都民の声を反映し、公開後も都民のフィードバックを基にサービスを改善していく。デジタルプラットフォームを通じて都民が直接行政とつながるプッシュ型サービスが導入される。都民がデジタルサービスを探しに行くのではなく、デジタル公務員が都民の掌のスマートフォンの中に出掛けていく仕組みだ。
最後に、内製化。電算機の導入の初期には内部エンジニアが開発を担っていたがその伝統が途切れ、現在では、基幹システムからアプリに至るまであらゆるシステムが外部のベンダーに依存している。事業撤退リスクや外資系企業への依存や巨額のデジタル貿易赤字などの問題もある。過度の外部依存から脱却し、必要に応じて自らソフトウェアを開発し、継続的な改善を行う能力も新たに身に着けることが、行政の持続可能性のために不可欠だ。
昭和100年を迎える2025年、私たちはこの節目にデジタル三原則を実現し、都民の利便性を大幅に向上させる改革に本格的に着手する。そして既存のデジタルファースト条例を拡充し、2035年までにワンスオンリーとコネクテッドワンストップを義務化することをターゲットにする」と目黒は続けた。
第3章:不安と希望 (Uncertainty and Hope)
ミヤコはデスクに戻り、目黒からの提案の重さを感じていた。「私にできるのだろうか…?」と自問自答し、歴代の錚々たる先輩たちが跳ね返されてきた巨大な壁を感じた。
その夜、ミヤコは立川と居酒屋に行き、悩みを打ち明けた。「目黒課長から、東京大改革3.0に参加しないかって言われたの。でも、私にそんな大きな変革ができるのか…」と不安を漏らすと、立川は真剣に言った。「ミヤコ、お前ならできるよ。今こそ行動するときだ。」ミヤコは頷いたが、まだ不安は残っていた。
週末、ミヤコはすでに都庁を退職している後藤と尾崎に会い、相談する機会を得た。「次の大改革を担うんだって?」と後藤が穏やかに語りかけた。ミヤコは正直に、「自信がなくて…」と打ち明けると、後藤は微笑み、「改革には一歩踏み出す勇気が必要よ。行動すれば道は開ける」と語りかけた。尾崎も「ディーゼル車規制のときも反発は大きかったけど、結果は東京の青空を取り戻せた」と続けた。
その言葉に勇気をもらったミヤコは、決意を新たにした。「しょうがないという言葉を捨ててやってみよう。私の力で東京とこの国の未来を作るんだ」と心に誓った。
第4章:第一の試練・関門の通過 (Crossing the First Threshold)
改革が進む中、ミヤコは一部の関係者からの消極的な反応に直面した。「デジタル化といっても紙の仕事が残るから二重に手間がかかるだけじゃないか」「また改革?改革はもう疲れた」「過去との整合性が取れなくなるじゃないか」。
そんな声にミヤコは心が折れかけたが、彼女を支えてくれたのは仲間たちだった。都庁の公務員だけでなく、GovTech東京の技術者、62区市町村や、デジタル庁、総務省などの国の仲間たちが彼女を励ました。「ミヤコ、君は成すべきことをやっている。そして一人じゃない。」という言葉に何度も救われ、ミヤコは立ち上がった。
職員だけでなく、都民もこの改革を応援し、「Nomore しょうがない」というスローガンが広がり、ポスターやステッカーが有志で作られた。クラウドファンディングを活用し、都民からの寄付でステッカーが配布され、ミヤコは心が折れそうになるたびにそのステッカーを見て奮い立った。
その過程で、ミヤコたちの初めての成果が現れた。都庁内に乱立していたポイントサービスとログインシステムが統合され、ポイント業務は「ポイントセンター」に集約、デジタルサービス局が管理することに決まった。ログインもマイナンバーとGBiz IDに一本化。都民が何度もログイン情報を登録する必要がなくなった。ワンスオンリーの実現に向けた大きな一歩となった。
都庁内では子育てや教育、防災、まちづくりなど6つのユニットが作られ、局を跨いで戦略が立案された。従来のように局別に戦略を立て、最後にまとめるといういわゆる「ホッチキス止め型」の手法は改められ、情報技術者を含めた関係者が幅広く上流から集まり戦略を共に策定する新しい体制が整備された。
改革の成功には初期段階に勢いをつける小さな成功が必要だ。その一環としてミヤコが提案した「オール東京業務改善センター」が設立され、都と区市町村を跨ぐ改革提案を62区市町村の職員も含めた公務員から改善提案を集め、迅速に実行に移す仕組みが導入された。改善提案はダッシュボードで公開され、透明性を確保しつつ改革が進められた。
ある区の職員は、「都と区市町村が横断して取り組まないと実現できない改善提案がわずか1週間で採択されて驚きました」と語った。改革が進むにつれ、職員の意識も変わり、「言ってもどうせ変わらない」から「言えば聞いてもらえる」「言えば変わるかも」への信頼感が広がった。オール東京業務改善センターの成功は都庁と区市町村の職員にとって共通の「Quick Win」となり、改革は勢いを増して進展した。
第5章:2030年 災害との戦い (Battling Disaster)
2030年、ミヤコたちのプロジェクトは大きな試練に直面することとなった。首都圏を震度7の巨大地震が襲い、300万人の帰宅困難者と100万人以上の外国人観光客が取り残される事態が発生した。ミヤコは迅速に対応を開始し、まずはTOKYO Data Highwayで整備してきたネットワークインフラを確認、携帯キャリアとの緊密な連携のもと大ゾーン基地局への優先的な給油のサポートや拠点となる医療機関や全避難所でオープンローミングWi-Fiと衛星通信、6G通信の復旧と維持を官民一体で実行した。
通信が機能していることを確認すると、次に東京都民アプリを通じて避難者のチェックインシステムを稼働した。「避難所へのスマホチェックイン率、90%を達成しました!」現場の担当者から報告が入ると、ミヤコは小さく頷いた。「これで、避難者たちのニーズをリアルタイムで把握できる」。
東京都民アプリはマイナンバーカードで認証されている。このためチェックインと同時に連携した薬歴データベースと連動して必要な医薬品が避難所毎に即座に把握され、防災センターからドローンで医薬品が配送されて多くの患者の命を救った。このアプリは「Visit Japan」とも連動し、多言語対応機能により外国人観光客もスムーズに情報を得ることができた。
さらに、災害時に活躍したのは、ミヤコが指揮を執るDisaster Digital Service Assistance Team(D2SAT)だった。区市町村のデジタルチームがオーバーロードしそうな場面でも、D2SATが迅速に支援に入ることで混乱を防ぎ、避難所の運営をサポートした。「D2SATチームのおかげで、これだけの規模の災害にも関わらず混乱なく対応できた」と、現場のリーダーが感謝の言葉を述べた。
また、首都圏広域防災センターが千葉や埼玉などと連携し、広域での被災者支援がスムーズに進んだ。外国人観光客や避難者からも感謝の声が相次いだ。
"Without this system, I don't know what we would have done. Thank you!" イギリスからの観光客が涙ながらに感謝の言葉を述べると、ミヤコは静かに微笑んだ。"I'm just glad we could help you in this difficult time."
デジタル技術が人々を監視するためではなく命を守るためにどれほど重要な役割を果たすかを世界に示すこととなった。
第6章 2035年 技術の勝利 (Triumph of Technology)
2035年、東京都議会で「ワンスオンリー条例」と「コネクテッドワンストップ条例」が可決された。この条例により、都民が一度登録した情報を他の行政機関が再度尋ねることが禁止されることになった。さらに「コネクテッドワンストップ条例」により、都と区市町村のシステムが完全に連携し、「デジタルたらい回し」が解消された。そしてこの条例に対応したスマートガバメントシステムである「スマート東京1.0」がリリースされた。
「スマート東京」の原型は2024年、まず子育て分野ではじまった。子育て世代は最もデジタルに精通した世代であるが、国、区市町村、都の様々な窓口に申請をしなければならず、この世代の親たちは大いに不満を抱えていた。しかしながらシステムを縦にも横にも繋ぐこの改革の成功によりワンスオンリーが実現。複数のデジタルサイトを利用者がタップして移動しなければならない「デジタルたらい回し」が解消された。これを突破口にBPXを進めて組織をまたぐデジタル化が地道に進められてきた。
そして2035年、都庁内のモニター室。ミヤコは緊張を押し殺しながら、開発チームと並んで大きなスクリーンを見つめていた。そこにはリリース直後の新システム「スマート東京1.0」の利用状況がリアルタイムで表示されている。
「今、初めてのアクセスが来ました!」ICT職で入都したプロダクトマネジャーが声を上げる。画面には、ある区に住む30代の都民が、子育て支援プログラムを申請するためにログインしたログが映し出されていた。従来なら、子育て支援担当、保健所、教育委員会など、複数部署の手続きシステムに情報を重複して入力する必要があった。しかし、今回からはワンスオンリーの原則により、一度本人確認が終われば、その瞬間に必要な情報は全て自動で紐づき、申請は数クリックで完了する。
ミヤコは画面に映る操作ログを凝視した。ユーザーが迷うことなくボタンを押していくたびに、UI担当の後藤が「よし、スムーズだ」と小さくつぶやく。部屋には緊張と期待が交錯する空気が流れている。
やがて、画面の一角に「申請完了」のメッセージが点灯した。そのユーザーは、アプリのフィードバック欄に簡単なコメントを残した。「こんなに簡単に申請できるなんて信じられない…ありがとう。」
ミヤコの胸には熱いものがこみ上げてきた。「成功だ…!」隣の立川が声にならない笑みを浮かべ、UIチームの渋谷は目頭を押さえる。「俺たち、やったんだな…」
その瞬間、ただのデジタルシステムだったものが、人々の生活を変える「新たなインフラ」になったことが、彼ら自身の心に深く響いた。モニター室には小さな拍手が起こり、ミヤコは初めて、数字や計画表ではなく、目の前の人間の笑顔によって自分たちの仕事が報われたと感じた。
試算によると人が生まれて100歳まで生きると約1000回の役所とのやり取りが発生する。もし全てを対面で行うと100日という膨大な時間が都民から奪われてしまう。スマート東京1.0の稼働以降、貴重な人生の時間を都民にお返しすることが実現された。行政手続きのデジタル化とは究極的には市民に時間をお返しすることに他ならない。これらは都民に「手取り時間を増やす」活動として位置付けられていきあらゆる行政サービスのデジタル化の際には、その前(役所への移動時間を含む)と後での利用時間の差が可視化され、デジタル化した後も少しでも短くできないか?日々改善が行われた。
ミヤコはオフィスのスクリーンを眺め、都民から寄せられたフィードバックを確認していた。中には、これまで行政手続きに苦労していた外国人や障がいを持つ方々からの感謝の声が多数寄せられていた。
ある外国人が感動の声を寄せていた。
「I can't believe how easy it is to use this system! I was struggling with the language barrier before, but now, everything is available in English. Thank you so much for making this possible!」
ミヤコは彼の言葉を目にして、「スマート東京」が日本語を苦手とする外国人にとっても重要な助けとなったことに胸を張った。「このシステムは、誰もが使いやすいように設計されたんです。生成AIもフル活用して言語の壁を感じさせないUIが実現できたのは大きな成果ですね」と、彼女は嬉しそうに語った。
さらに、障がいを持つ都民からも感謝の声が届いていた。以前は行政手続きに苦労していたが、「スマート東京」では、簡単に手続きができるようになったという。
「これまで、役所に行くのも一苦労でした。だけど、今は自宅で簡単に手続きができて、本当に感謝しています」
ミヤコはユーザーレビューシステムに寄せられたコメントを読みながら、心から誇らしさを感じていた。「「スマート東京」は、すべての都民が平等に行政サービスを利用できる社会を実現するための重要なステップでした。「誰一人取り残されない」それが私たちの目指した世界です」と語った。
行政のソフトウェア開発も変化した。従来、外部ベンダーに100%依存していたシステム開発は、部分的に内製へと移行。GovTech東京のエンジニアたちが持続的に改善を行う体制が整った。しかし、完全外部依存から部分的外部依存への道のりは平坦ではなかった。プロジェクトは荒波の中でバランスを取りながらも、少しずつ前進していくことになる。
内製化されたシステムは、現場でのUIの迅速な対応が可能にした。
ある職員が誇らしげに語った。「これで、私たち現場の声が翌年度の予算成立を待たずに内製エンジニアの力で即座に反映され都民ニーズに対応した改善ができる。これまでにないスピード感でサービスの改善が進んでいます」
内製開発の成功は、都庁に新たな文化をもたらした。内製開発されたコードは原則として公開されたことで、都民も参加できるシビックテックの活動が活発化し、「行政デジタルサービスは行政がつくる」から「行政サービスは行政と都民が共に作る」が当たり前になっていった。都知事杯ハッカソンは既存の行政サービスの改善提案の場として定着し、毎年1,000人、世界20ヵ国からエンジニアが集まる一大開発イベントとなり、その度に「スマート東京システム」は改善されていった。
内製開発は2025年、わずか7人の職員のチームでスタートし、「7人の侍」と呼ばれた。まず職員のスケジュール調整サービスをリリース、その後、生成AIの開発、オープンデータカタログサイト、支援制度ナビ、災害備蓄物資ナビなどの既存サービスの運用改善(磨き込みと呼ばれている)、モード2と呼ばれるスマホアプリや都民との接点となるweb、生成AIのフロント部分などに進み開発能力を高めていった。
また自治体からの派遣職員からの提案で、住民基本台帳システムを含む20の基幹業務を内製化に挑戦しようという大胆な提案が受け入れられ、実行に移されモード1の基幹システムも行政が内製開発できることを証明した。
GovTech東京で開発されたあらゆるソフトウェアは、原則として誰もが再利用可能な形で提供された。希望する他の自治体も自らの手でソフトウェアを手に入れ自由にカスタマイズして利用できるようになっていた。これらのカスタマイズは各地域のベンダーが担うようになった。さらにこのソフトウェアを元にスタートアップや中小企業がより便利なソフトウェアを作れるようになり、行政向けのソフトウェア産業の世界に、数多くのスタートアップが参入するようになった。これらの参入組を含めたGovTech業界呼と行政のコラボレーションが一層進んでいった。さらにこのコードを元に、より高機能なサービスがスタートアップによって続々と開発されるようになった。GovTech業界は最も熱い領域として多くのスタートアップが参入するようになった。
開発現場で鍛えられた公務員ICT技術者たちは、2035年までに都庁各局と政策連携団体のCIOに着任。区市町村にも迅速に行政と開発の双方の言語のわかるバイリンガル人材として最前線に赴いていった。さらにGovTech東京を卒業した仲間たちは全国の自治体でCIO補佐官や情報化担当部長などの要職を担い、日本全体のデジタルガバメントの発展に大きく貢献した。彼らの同志的ネットワークは「GTTマフィア」と呼ばれた。
スマート東京1.0は、単なる技術開発ではない。すべての都民に平等な機会とアクセスを提供するための象徴的なプロジェクトとしてその成功を収めた。障がいを持つ方々や外国人も誰もが安心して行政サービスを利用できる社会が現実のものとなり、デジタル社会の未来が大きく広がっていった。
次第に、この取り組みは全国へと広がり、東京都だけでなく、全国の自治体においてGovTech東京が開発したソフトウェアを再利用して進化を遂げ、日本全体のデジタル社会の大切な基盤の一つとなっていった。
スマート東京1.0の成功は、単なる行政手続きの簡略化だけではなかった。「プッシュ型行政」の導入によって、多くの都民が救われたのも大きな変化となった。これまで、支援を受けられる対象者であっても、情報にアクセスできず、支援制度の存在すら知らずに苦しんでいた人々に、最適な支援が自動的に届けられるようになった。
その代表的な事例が、シングルマザーの由美子さんだった。
彼女は、3人の子供を抱えながらフルタイムで働いていたが、収入は生活費や教育費に消え、行政の支援を受けられることを知らないまま余裕のない日々を過ごしていた。
ある日、由美子さんのスマートフォンに通知が届いた。「あなたに最適な支援プログラムを自動で申請します。家賃支援、食費支援、教育費支援の対象に該当しています」と表示された。驚いた由美子さんは、通知の指示に従って東京都民アプリを開いた。
アプリは、由美子さんの所得、子供たちの年齢、生活環境などを自動で分析し、彼女が利用可能な支援プログラムを一目でわかるように整理していた。しかも、すべての申請手続きはワンクリックで完了する。
「何度も役所に行って書類を揃える必要がなく、私が知らなかった支援を自動で教えてくれるなんて…」由美子さんは涙ぐんだ。彼女は長い間、生活の苦しさを一人で抱え込み、誰にも相談することなく日々を過ごしていたが、このプッシュ型行政システムが彼女にとって救世主となった。
3日後に、子供たちの教育費支援金を受け取ることができた。同時に、長年気になっていた子供の教育に関する費用の多くが支援制度によってカバーされることが分かった。
「自分が受けられる支援がこんなにあったなんて…」由美子さんは感謝の気持ちで胸がいっぱいだった。
彼女のように、これまで支援の情報すら届かなかった人々が、プッシュ型行政によって救われていった。
「支援が必要な人に、必要な情報が自動的に届く。このシステムによって、多くの人々が再び生活の希望を取り戻したんです」と、ミヤコはプッシュ型行政の意義を熱く語った。
このシステムは、デジタル技術を駆使して、すべての都民に平等な機会を与える新たな仕組みとして、大きな評価を受けることとなった。そして、それは東京都だけにとどまらず、全国の自治体にも波及し、デジタル時代における新たな行政サービスのスタンダードとなっていった。
第7章 デジタル社会の実現 (Realization of a Digital Society)
BPX(ビジネスプロセストランスフォーメーション)による業務集約により、様々なセンターが設立された。これらのセンターは行政業務を効率化し、都民へのサービス向上を支える役割を果たした。
統合コンタクトセンター
まず、ニューヨーク市が運営しているNYC311を参考に統合コンタクトセンターが設立された。ここでは、都民からの問い合わせや申請を一元化し、AIが自動的に対応する仕組みが整備された。このセンターは150ヵ国語に対応し、多文化共生を促進する上でも大きな成果を上げた。
「AIがすべて完璧な英語で説明してくれました」とオーストラリアからの旅行者は言った。AIの正確さとスピードは驚異的で、東京の技術的飛躍を見せつけた。
さらにこのセンターは外部委託ではなく東京都の職員で運営されていた。コンタクトセンターはサービスの性質上、デリケートな個人情報を大量に扱うため、特にセキュリティが重要視される。また、多摩地区に雇用を創出することにも貢献し、障がいのある方や都庁を退職したシニアが活躍できる職場として評価された。
デザイン開発センター
次に、デザイン開発センターは、行政サービスにおけるUI/UXの改善を進める拠点として機能した。最初はデジタルサービスのUI開発からはじまり徐々に印刷物やサインボードに至るまでさまざまな行政のUIデザインが開発されていった。行政のUIはこれまで「使いにくい」という声が多かったが、センターが設計した新しいインターフェースは、直感的で誰もが使いやすいものとなった。特に、視覚障がいを持つ方向けのアクセシビリティの向上が大きな成果として評価された。またこのセンターでは日常的に企画の初期段階から当事者を招いてヒアリングするデザインリサーチ、プロトタイプを提示しての改善案を探るモックアップテスト、最終リリース直前に当事者に使ってもらうファイナルユーザーテストなどの都民参加でのデザイン開発の拠点となり、東京だけでなく全国の自治体も幅広く利用するようになっていった。
視覚障がいを持つ男性が、「これまでのように誰かにお願いすることなく、自分で情報にアクセスできるなんて夢のようです」と感激の声を上げた。今までは、周囲の助けが必要だった彼も、センターが提供する直感的なインターフェースにより、自らの力で情報を取得できるようになった。
広域セキュリティセンター
さらに、広域セキュリティセンターは、都内外のシステム全体をリアルタイムで監視し、サイバー攻撃から守るための要となった。特に近年、サイバー攻撃が増加しており、セキュリティの強化が急務とされているが、このセンターによって攻撃の予防と検知が強化され、都民の安全が守られている。区市町村だけでなく政策連携団体もカバーにした監視体制をとり、各省庁や電力・交通などの重要インフラ事業者とも連携する広域体制の組織が誕生した。
審査&給付事務センター
給付事務センターも大きな役割を果たした。これまで各自治体で分散して行われていた給付金や支援金の処理を一元化し、申請から支給までの時間を大幅に短縮した。この新システムにより、支給プロセスが最速で72時間以内に完了する「72時間ルール」が確立され、これまで数カ月かかっていた手続きが迅速に行われるようになった。また行政はさまざまな申請を審査して受理する業務がある。これらが審査センターに統合されてノウハウが蓄積され、迅速で正確な給付を実現した。ある都民は、「こんなに早く給付金が受け取れるなんて驚きです」と感謝の言葉を述べた。膨大な給付事務が軽減されたことで、職員も都民対応や企画に集中できるようになり、行政サービスの質が向上した。
AI開発センター
AI開発センターでは、都内のあらゆるシステムにAI技術を組み込むための開発が進められた。特に生成AIの導入により、都民からの問い合わせや行政手続きの自動審査のパフォーマンスが劇的に向上した。「AIによる自動審査で、これまで膨大な人手がかかっていた審査業務の90%が自動化されました」と、都庁の職員はその利便性を称賛した。これにより、職員の負担が軽減され、より質の高い都民対応が可能となった。また生成AIの利用に伴う倫理面についても行政としてガイドラインが整備されそのガイドラインは日本全体のデジタル工教材として拡散していった。
これらのセンターは政策連携団体や都内の62区市町村も自由に利用できるデジタル共有資源となり、地域間デジタル格差が解消され、公務員減少社会の中での業務負担の軽減も実現された。
「これで本来注力すべき都民対応や企画業務に集中できる」という喜びの声が、都庁や区市町村から数多く寄せられた。
さらに、センターで生まれたサービスや知的財産、ソースコードは再利用可能な形で公開され、全国の自治体がその成果を活用できるようになった。この共有と透明性の原則は、デジタル技術がもたらす利便性と、都民が懸念する監視社会への対策を両立する重要な要素となった。
第8章 世界を変える (Changing the World)
2050年、50歳となったミヤコは、国連から依頼を受け、世界中のデジタルガバメントプロジェクトを支援する要職に就いていた。国連プロジェクトでの活動は忙しく、様々な国で新たなデジタル行政の基盤を築く毎日が続いていたが、久しぶりに都庁を訪れる機会があった。
都庁やGovTech東京のオフィスを歩きながら、ミヤコはかつて自分が手掛けたシステムが、今では東京だけでなく世界中に広がっていることを実感していた。「本当に、首都東京から日本が、そして世界が変わったんだな…」と感慨深く思い出す。彼女が25年前に見た夢が、今や現実となって世界中に影響を与えている。
そんなとき、若手技術者の一人が声をかけてきた。「ミヤコさん、今私たちも新しい課題に直面しています。でも、どうやって進めればいいのか自信が持てなくて…何かアドバイスをいただけますか?」その技術者は、かつてのミヤコと同じく情熱を抱えつつも、次の一歩に迷いを感じているようだった。
ミヤコは、若き日の自分を思い出すように微笑み、「私たちは、現状を決して肯定しない。未来は予測するものではなく作るもの。それを忘れないで」と語りかけた。
「ありがとうございます!私も、自分の力を信じて前に進んでみます!」若い技術者の目には、決意が宿っていた。その姿を見ながら、ミヤコは心の中で思った。「こうしてバトンは受け継がれていくんだな…」自分がかつて感じた情熱と不安、その両方が次の世代にも引き継がれていることを実感し、未来への希望を強く感じた。
彼女の目の前には、新しい世代が待っている。彼らがさらに大きな変革を起こし、この東京、そして世界を進化させていく姿が目に浮かんだ。
彼女が25年前に西新宿の小さなオフィスで書き始めたコードが、今や世界の国々でも使われている。
「一行のコードからはじまった取り組みが日本に、そして世界に変化を起こすとは思わなかったわ…」と、ある日、国連の同僚であるジョンに語った。ジョンは微笑み、「ミヤコ、君のプロジェクトは今や世界中で成果を上げているんだ。特にアフリカや南米の国々では、君たちが開発したシステムのおかげで、効率的な行政サービスが実現したんだよ」と感謝の言葉を述べた。
再び東京を離れる日、ミヤコは都庁を振り返りながら思った。
「情報技術で行政の今を変えることができる。首都東京から日本の未来を変えることができる。そしてここから世界を変えることすらできる。そんな力をデジタルテクノロジーは持っている」と。