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創世記6:5 ~ 7★2020.12.6掲載分
デボーションガイド*ハーベストタイムより
【御言葉】創世記6:5 ~ 7
5 【 主】は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾かたむくのをご覧になった。
6 それで【主】は、地上に人を造ったことを悔くやみ、心を痛められた。
7 そして【主】は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」
《参考》
神の介入
*裁きの必要性
堕天使たちと人間の女たちとの雑婚で地上には罪が拡大した。神は、この罪に対し裁きを下された。
(1)「ご覧になった」とは、地上で起こる罪に対しての神ご自身の評価。神の目にはすべてが見えていた。
(2)罪には、2種類ある。「外側の罪」は行為に表れたもの、「内側の罪」は意図的、自覚的な罪。神は、人の心の中までも見ていた。
(3)「計る」(5節)とは、デザインすること。人間は、神から与えられた賜物を『悪をデザイン』するため用いた。
*神の悔やみ
「それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。」(6節)神にも後悔することがあるのか?
(1)サムエル記第一15:11には「『わたしはサウルを王に任じたことを悔いる。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。』それでサムエルは怒り、夜通し主に向かって叫んだ。」
(2)サムエル記第一15:29には「実に、イスラエルの栄光である方は、偽いつわることもなく、悔いることもない。この方は人間ではないので、悔いることがない。」
(3)この2つの聖句は、矛盾していない。「悔やみ」とは、擬人法による神の思いの描写にある。神には悔いることがない。単に人の目に、神が悔いたように見える。
(4)神が人に対する対応は、その人が従順か不従順かで違う。罪人であっても、悔い改めて神に立ち返るなら、神は悔い改めた人に対して態度を変えられる。
*神の痛みについて黙想してみよう。
創世記6:7「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」
(1)「消し去ろう」とは、取り除くこと。
(2)「人、家畜、はうもの、鳥」は出てくるが「魚」は出てこない。洪水は水による裁きとなるので魚は生き延びる。
(3)神は、被造の世界を見て、残念に思われた。親が子どもの罪を見て嘆くような感じ。ノアの時代でも、今の時代でも、神は私たちが罪を犯すとき、心を痛めておられる。自分の行動を振り返り、主の恵みに感謝すると同時に、思いつく罪を告白し、悔い改め神の赦しを頂きましょう。
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