感情の胃もたれ(Mi)
感情が胃もたれって感情が溜まるのは胃じゃないのに
じゃあ、どう言えばいいんだろう。心がいっぱいだとポジティブすぎる言い回しすぎやしないか?
私は取捨選択すれば得ることのない感情に自分から触れに行ってしまう。我ながら愚かだと思う。
さっきNHKで「たけしのその時カメラは回っていた」を見た。
番組の最初で今日のテーマが発表されて、戦時中のプロパガンダについてだった。もうやばい臭いがプンプンする。
ここでの「やばい」っていうのは番組の出来とか扱ってるテーマに対する真摯度とかの番組そのものの話では全くなくて、私を不穏にするであろうやばさだ。
私が不穏になる物
戦争の話、家族の話、人の生き死にが描かれている映像、昔の事件の解説、ドキュメントバラエティー、刑事ドラマ、不安感を煽る演出、特定のナレーターの人の声、怒鳴り声、泣いて責める声、展開が早くてついていけないバラエティーの笑い声、ウィキペディア
これら大体が映像作品から手に入れることになる。同じようなテーマであっても文書からだと平気であるものも多い(フィクションならなおさら)
でも、これって大体の人も不穏になるものだと思うんだよね。どう?
愚かな私の話
自分で言うと自意識過剰のように見えるけど、私は感受性が強い。気にしやすい。反面、表情とかから他人の気持ちを汲み取ったり、まあとりあえず対人コミュニケーション的な部分がだいぶ欠落している(らしい)。なにせ自分で自覚できる部分は一部でしかなくて、その一部だって治療で会得したもので自分で「分からない」ところが分かることなんてない。
「気にしやすい」と「対人コミュニケーションがとれない」っていうのはとっても相反している事柄に見えるのになぜか私の中では共存していて、とても厄介だ。
なぜなら、客観的に見えるもの(含め受容できる情報)で他人の思いを手に入れられないと限られた情報を自分の中で膨らませていくことになる。膨らませていった「他人の思い」は私の「気にしやすい」性格が作り上げた虚像なわけだから基本的に自分に対していいものであることは少ない。被害的思考に近しいものになっていく。
その膨らんだ虚像で勝手に人間不信になり、爆発して相手に牙が向けられる。相手からしたら「え?」って感じだ。本当に寝耳に水状態になる。「だって私そんなこと思ってないし」ってなる。でも私からしたら「あなたはそう思ってる!」ってなって譲らない。そりゃ、うまく人間関係の形成なんてできるはずないよね。
今は治療がだいぶ功を奏して、作り上げた虚像が「虚像かもしれない」という客観的な問いかけはできる。だけど、それが「虚像だ」ということは私にも他人にも分からず私は困ることになる。自分の考えや思いに自信があることなんて一つもない。
じゃあ、私にはできないことばかりかと言われれば得意なことだってある。「文章」だ。文章を読んでそれを理解すること、自分の考えていることを文章に落とすことは得意だ。だから私は人と話していても細かく情報を出す話し方になってまあまあ違和感がすごい話し方をするらしい。「それくらいわかるから言わなくていいよ」とかよく言われる。私からすれば「え?何で言わなくて分かるの?」って感じなんだけど。暗喩とか伏線とかも苦手なので全部言ってくれってなってしまう。(反面、負の感情を持ったことに対して「こんなこと言っていいんだろうか」と思うため素直に思いを伝えられずに爆発することもある)
で、結局何を言いたいの?
私も分からなくなってきちゃった☆
テレビで不穏になる話だよね。
私は上述した通り、感覚器から入る情報(文字を除く)を受け取る能力が著しく低いので、純粋にそれだけに対して動く感情は少ない。
だから、テレビとかの過剰な(私が意図を理解するくらいの)演出を見ると普段では動かないくらい感情が動く。
それがポジティブに働けばいいんだけど、私はネガティブに考える思考(「気にしやすい」故の被害的思考)が癖づいてるので、大体ネガティブな感情の動きをする。
ただでさえこんな土壌があるのに普通の人が見てそわそわする戦争物なんて見れば私の精神は崩壊寸前になる。
ということなんだと思う。
現に私は今すごく気持ちが落ち込んでいて胃がむかむかしている。やっぱり感情と胃って関係しているのかもしれない。
ちなみに、文章で情報が入るのには慣れているのか、勝手に制御してるのか分からない。誰か教えて。
じゃあ見なければいいのに
分かる。私もそう思う。でも、私愚かなんですよ。とっても。この記事一番の愚かなこと書くよ?
私は自分が落ち込んでいるのが気持ちいい(んだと思う)
憶測だけどね。しかもそこまで根拠のない憶測。
気持ちが落ち込むの分かってて、それに突っ込んでいくんですよ。理由は、はっきりとわからないけど、今は太字の説が一番しっくり来ている。すごい愚かで恥ずかしいけど。
昔友達に
人間は動力として主となる感情みたいなものがあって、喜の感情で動くことができる人、怒の感情で動くことができる人、哀の感情で動くことができる人、楽の感情で動くことができる人に大別できる気がするんだよね
と言われたのがすごくしっくり来て、私は哀で動く人間なんだと思った。悲しい記憶の方が残りやすいし、自分が悲劇のヒロインだと(思いこむと)ドーパミン出てるんだろうなと思う。
すごい愚かだけど。楽しいこと動力にして生きろよって思うよ。私も。
これを矯正したいなって2年くらい思ってる。でも、どうしていけばいいかわからない。よく言われる認知行動療法が一番効くんだろうけど、どういう認知でそれが行われているか自分ではっきりと分からない以上認知行動療法もくそもないと思うんだよね。
もっとバカみたいな話がしたい
こういう真面目なこと?自己陶酔的なこと?書いてるのもいいけど、もっと「今日○○あってー、楽しかった♡」みたいなことも書きたい。
ちなみに今日は祖母の家に結婚祝いの内祝いを持って行って「元気に見える祖母だって死に向かっていってるわけで」って悲しくなりました。
まじでいい加減にしろよ、私の思考の癖。
そもそも少し調子がよくないのかもしれない。いつもならもう少し思考の癖がコントロールされてるというか極端に出ないと思う。
最近、人と会う頻度が少なくて、いつも合わない人と会うだけで疲弊するから、疲弊から調子崩してるのかもしれない。大いにあり得る話。
明日はのんびりしようと思います。上手に気分のむらと付き合っていかなきゃね。
今日おばあちゃんの家で食べた呉羽梨がおいしかったです。