副業を少し斜めに考えてみる
副業推進の動きは以前からあったが、コロナによりより鮮明に目に見える形となってきた。今後もこの動きは加速するだろう。
ところで、副業とは何をさすのだろうか?単純に2か所以上で働くことと考えている人が多い。厚生労働省も労働時間管理の問題や労災上の取り扱いについては指針を出しているが、今、社会が求めている副業の本質はどうも違う気がしている。
人口減少、AI、コロナ後の産業構造の変化を考えると、従来のようにお勤めして給与をもらうという発想ありきの副業施策はだれでも代替えのできる職種で働く人への対策でしかない。会社も副業解禁する限り、労働時間で代替えできる箇所へコスト投入しない。むしろ機械化、省力化していく。ということは、2か所3か所で働けばいいやと安易に考えていると、自身が省略されてしまうことにもなりかねないと危惧している。
おそらく、政府が本当に進めたい副業の行く先は「自力で生きよ」ということだと思う。戦後復興に当たり、国民が健康で最低限の文化的な生活がでけいるように努力を続け、その中で終身雇用制、右肩上がりの賃金、年金制度、健康保険制度など文化的な生活ができるような仕組みが出来上がってきた。だから、年を取ってリタイアしてもある程度の生活は成り立つ構造となっていた。
しかし、大前提である条件が変わってきている。終身雇用制度が崩壊し、年金制度も長年勤続、右かが上がりの賃金、家を買い、定年までにはローンも終わっている、子供は無事独立という条件がそろって初めて老後それなりに安定する。今の時代、どれだけこの条件をそろえるのが困難か。であれば政府が老後の面倒を見てくれるという妄想はうかばないだろう。
自力で生きよという時代になっている、副業から私が思ったことである。