芸術とは何か?
Covid-19の影響で大学はただいまオンライン授業でありまして、授業を視聴して感想を提出する形式の授業が多いです。今回は、美学に関する授業の感想文を公開いたします。ちなみに、わたくし、美学について概説書を読んだ程度の知識しか持ちあわせておりません。美学は哲学の一種といいますし、なんだか難しそうな印象です。人様に自分の文章をウェブ上に公開するのは初めてでドキドキしますが、どなたかに楽しんで頂ければ嬉しいです。
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「美学はどんな学問か」を視聴して
講義の中で提起された美学に関する問いかけを最初にまとめた上で、自分の考えを述べたい。多くの問題が呈された中で、学問としての美学の問いの中で最も大きな問いとして「芸術とは何か」という問いが挙げられ、芸術の話が今日ますます多様な活動を含むにつれて、芸術の定義を得ることもますます難しくなっている。その理由として、芸術と非芸術の境界は曖昧であるがために、芸術を定義することはできないからだと述べられた。その一方で、芸術についての説明はでき、それこそが美学の仕事ではないか。その上で、中心的な概念よりも境界にあるものに注目することで、芸術の今あるいは今後のあり方を議論できるのではないかと問題提起がなされた。
「芸術とは何か」という問いに対して、私は、芸術とは物事を批判的に考える際に重要な役割を担う一思考形態だと考える。その様な意味から、今日の特異性をおびた社会的状況において、芸術はこれまで以上に、社会および人間にとって重要なものであるといえるのではなかろうか。その理由として、日常的にアートを身近に感じて暮らす人々の間に止まらず、多くの人と様々なことを共「芸術」を一つの起点に労働、食、教育、医療、住居等に関する社会問題を考え直すことができる可能性があることを挙げられる。問題を解決するための第一段階として、人々が問題を共有し、自らの直面する問題と認識することが重要であり、「芸術」を通じて、当たり前に捉えていた日常を異なる視点をもって捉え直すことが可能となる場合もある。その様な意味において、芸術を提示する美術館等のある種の公権力を有する機関が、そこにこれまでそこにアクセスしてこなかった人を新たな鑑賞者・観客として取り込むことで、当たり前だと認識されてきたことについてより多くの人が芸術を通して考えることが可能となり、そこにアウトリーチ活動の意味があると考える。
私たちの多くは、より良い未来を目指して、今を生きていると考えるが、自らの過去を忘れてあるいは切り離して進むことはできない。一方で、過去とともにありながら、過去を私たちが生きたいと思う未来に変容することはできる。その変容過程で、「Care:配慮すること、保護すること、注意すること」と「Healing:回復すること、治療すること、癒すこと」という、二つの概念が大きな役割を果たすと考える。「芸術」と関わることで、それまで何の疑問もなく、当たり前に捉えられてきたことに対して、別の見方をすることができる様になるといえ、そこにはある種の儀式的要素が伴うとも考えることができる。誰一人として同じ考えを持つことはあり得ず、突き詰めれば、同質性を担保した共同体として、社会は構成されていない。
以上を考えれば、講義でも述べられていた様に、アートとデザインの境界は曖昧になっているものの、デザインやクラフトはアートに対する下位概念としてこれまで位置づけられてきたが、生活文化と関わりの深い、デザインやクラフトにこそ、多くの人と様々な問題についてともに議論するための題材が溢れていて、現在および未来の社会のあり方について考えるためのプラットフォームを築くことができるのではないかと考える。その一例として、Covid-19の問題で浮上した食の問題が挙げられる。2013年に「和食」は無形世界遺産に登録された事実(註1)が示す様に、世界が画一化する中、相対的に地域的固有性が高い文化の価値が上がっている。その様な中、中国において野生動物を食品として摂ることを規制するという方向性の議論の行方は注目に値する。
日本の「和食」は無形世界遺産、つまり文化として価値があり、保護する対象とされる一方で、未知のウィルスが発生する可能性があるという理由で、今後、中国固有の食文化は規制の対象となる可能性がある。そこにはどの様な政治背景が働くのか、倫理的にそれは良いことなのか。仮に、未知のウィルスの発生を未然に防ぐという、人類の共通善のために、中国の食文化規制が望まれるとされるならば、オックスフォード大学のジョセフ・プーア氏らが2018年に発表した研究(註2)が示唆する様に、地球温暖化のスピードを緩和させるためという共通善のために、食肉も規制され、私たちは菜食主義者になるべきなのか。今後、前者は規制されるべきで後者は自由選択となるべきだという議論がなされたとすれば、人類の共通善という命題はどの様に設定されるべきなのか、動物の権利のみならず、植物の権利についても議論すべきなのか等という様々な問いが付随してくるといえよう。この様な数々の問いについて考え、議論を重ねていく中で、今後のあるべき社会の方向性を見出すことにつながると考えられる。したがって、講義で問題提起がなされた様に、これまで芸術に関する議論で周縁に位置づけられてきた生活文化に注目し、議論を深めることに意義があると考える。
註
1)UNESCO, Washoku, traditional dietary cultures of the Japanese, notably for the celebration of New Year,
https://ich.unesco.org/en/RL/washoku-traditional-dietary-cultures-of-the-japanese-notably-for-the-celebration-of-new-year-00869 [accessed 10,May 2020].
2)J. Poore and T. Nemecek,’Reducing food’s environmental impacts through producers and consumers’ in Science01 Jun 2018:Vol. 360, Issue 6392, pp. 987-992,
https://science.sciencemag.org/content/360/6392/987 [accessed 10, May 2020].
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