良い人を辞める
タイトルは、今年に入って上司に言われた私の課題です。
最初は何だよ、意味分からない。
と思っていたものの、振り返ってみると確かにと思うことが多かったです。
本当はこの記事を公開するか迷ってましてが、新年度だしまぁいいや、ということで。
私は昔から姉御肌と呼ばれることが多いです。末っ子で生まれ、姉がいるにも関わらず。
高校時代、部活動で部長を経験し、自由奔放で他人に任しっぱなしの同期に囲まれていたせいでか、私はしっかり者にならざるを得ませんでした。当時は腹が立つことも多かったですが、今思えば笑い話にできるレベルで一生涯の友人ができました。
ただ、本来の私は自分のことをマイペースにしていきたい人間です。そして、その割には他人の目を気にして、自分が常に優しいと思われたい、狡猾な人間です。
こう言えば喜んでくれるだろう。こう言えば笑ってくれる。そんな打算の塊です。
でもそんな狡賢い自分を抱えつつも、相手のために全力で悩んで一緒に頑張りたい、という想いを抱えているのも事実。二律背反な思いもあります。
ただ、これってただの八方美人なんですよね。そりゃ全ての人に好かれるに越したことないけど、そんなことできるはずもないんです。だからこそ、私は自分のことを好きな人には全力で優しくしたいし、私が好きな人に対しては全力でその愛情を返したいと思います。
そして、そうではない人には完全な無関心になります。正直自分に興味がない人には関心がないのです。あ、そうですか、ありがとうございます。で終わってしまいます。
話は戻して、こういった思いを抱えているからこそ自分の好きな人たちに嫌われないように、好かれるように、と思って当たり障りのない良い人を演じ続けているのだと思います。
それは仕事でも同じ。
要は、ノーと言えないのです。
嫌われる勇気を持ちなさい、とよく言われますが、私が求めているのはそうじゃないのです。
私は人に何かを与えられる人になりたいのです。悩み事の相談なのか、愛情なのか、考えの共有なのか、与えられるモノの形を問いません。
ただ、あの人といれば居心地が良い。あの人といれば自分を肯定できる。成長できる。そんなふうに思ってもらえる人になりたいのです。
だから、私は人に与えられる人になりたいと考えています。
でも、人に与え続けることって、その人を肯定し続けることだけではないと感じてます。その人のことを考えているからこそ、その時の最適な回答をして、耳の痛い言葉も言えるようになる。
優しさの中に厳しさを持てる、凛とした人になりたい。そう思ってます。
私が上司に言われたこの課題は、恐らくこういうことなんだと思います。
よく世間一般で言われてる、ただの良い人に成り下がるな、と。目的を考えて、厳しさも兼ね備える人間になりなさい、ということなんだと今は思います。
幸いなことに、私は悩み相談をされてもそれに引っ張られることはほとんどありません。相談事されたこれ、どうなってるんだろう、と思うことはあります。ただ、悩み事の内容に足を引っ張られることはほぼ皆無です。だって、自身がどんなアドバイスをしても最終的に決断するのは当人。決断をするための他者からのアドバイスは道標でしかなく、意思決定までの材料の一つでしかないから、と考えています。
だからこそ、最近は悩み相談をされても肯定だけでなく自分の考えも言うように練習中です。練習台にしてごめん、という感じですが。
これでどんどん姉御化が進むのは本当に勘弁です。でも、私は義理も大事にしたいし、頼ってくれた人には全力で応えたいと思ってます。自分がそうされて嬉しいから。
それで利用されるものなら勝手にして、という感じです。みくびらないで欲しい、とも思いますし、私に頼るなんてよっぽどなのね、と鼻で笑いながら包み込める人間になりたいものです。
こんな自分を肯定しつつ、いい加減自分の弱さを肯定してくれる人や時間が欲しいのも事実ですがマイペースに行きます。
脱良い人、そして脱姉御を目指して、周りの人に与え続けることができる人になれるように、心機一転頑張っていきます。
話は脱線しまくりで毎回本当に申し訳ない。
アウトプットの練習をしなくてはですね。