265.還暦子の五年間
私が初めてこの note に投稿を始めたのは、2019年8月24日、ちょうど五年前の今日、同じ土曜日のことでした。
これまでの五年間、皆さまの「コメント」「スキ」、それに「ビュー」カウントに支えられて毎週欠かさずに続けてくることができました。心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
今後は、投稿回数を月に一度程度に減らし、不定期に続けていこうと思っています。
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五年前、還暦になる記念に何かをしたいと考え、子どもの頃や若い頃の思い出など、私自身が上の世代に聞きたかった何でもない日常のあれこれを書き綴ってみようと思いました。そこで、細く永く続けていきたいと、毎週土曜日に一本ずつランダムにテーマを決めて投稿することにしました。
最初の二年間は、毎週毎週書きたいことが怒濤のように押し寄せ、本来なら二つか三つにテーマを分けるべきようなことも、筆の勢いで長文を書き綴ってしまいました。100本投稿したところでようやく気が済んだので、ほとんど読者のいなかった初期の投稿を再録しながら、月に一度新規投稿を続けてきました。けれども結局ほぼすべての投稿を再録することになってしまいました。
皆さまからのコメントやスキには本当に励まされました。当初は二十代、三十代の若者世代に向けて書こうと思っていましたが、同世代の方々からコメントやスキをいただくことが多いとわかってからは、同世代の共感が嬉しく、同世代に読んでいただきたいと思うようになりました。
しかしながら、せっかくフォローしてくださったり、こちらからフォローしている方々の投稿を読む時間があまりなく、たくさんのコメントやスキをしていただきながら、お返しすることができずにいることを、この場を借りて深くお詫び申し上げます。
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色々なテーマで書いてきましたが、初稿と再録分のスキを合計して200個以上のスキをいただいたのは、「103.環境問題と生活」と「090.遊びましょ」でした。
そして、合計で150個以上の「スキ」をいただいたのは、多い順に「102.同い年」「091.年次有給休暇」「100.新潮文庫の100冊」「093.文字に色『共感覚』」「096.キャバレー王と祖母」「085.シネヴィヴァン六本木」「095.ボヘミアン・ラプソディ」「077.女性蔑視発言」「084.ナイルの水を飲む者は」「104.父の召集令状」「097.追悼・立花隆」「166.乳がんと選択」でした。
同じ時代を生きてきた仲間たちから「スキ」をいただくことは、何よりの励みになりました。本当にありがとうございました。
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1959年生まれの私たちは、昭和を30年、平成を30年生きて還暦を迎えました。自らの来し方を顧みながらしみじみ思ったのは、私たちは、日本や世界が「近代化」していく時代に生を受けたのだということです。
200個以上の「スキ」をいただいた「環境問題と生活」では、私が産まれた時にはまだ「冷蔵庫」も「洗濯機」も「白黒テレビ」の三種の神器もなかったと書きましたが、次第に買い揃えられ、そして新三種の神器「カラーテレビ」「クーラー」「カー(自家用車)」も生活の中に入ってきた時代を生きてきました。
「遊びましょ」では、電話もケータイも使わずに友人と付き合っていた時代を書きました。子どもの頃や若い頃には、当時の大人たちが「前近代の暮らしを忘れてはならない」というメッセージを発してくれていましたが、もう今となっては誰もそういうことを言う人はいません。せめて小さな声でも上げたいと思ったら大きな反響をいただき、大いに励まされました。
近代化は大きなテーマの一つでしたが、もう一つのテーマは「失われた三十年」だと感じてきました。
常々感じていることですが、私たちの世代は、三十代、四十代、五十代と、平成の三十年間は社会のど真ん中で日本社会や世界の中核を担ってきました、しかし今なお「失われた三十年」と呼ばれるこの時代に、私たちは一体何をしてきたのでしょうか。
私自身は多くの方々と同じように、それなりに努力して、それなりに懸命に生きてきたつもりでした。それでも、この体たらくは一体何だったのかと情けなくなります。私たちは団塊世代の次世代として、上の世代から無気力、無責任、無関心の「三無主義世代」、さらにそれに無感動を加えて「四無主義世代」などと呼ばれてきました。それでも私たちが社会の中核だった時代が「失われた三十年」と呼ばれることになってしまったのは、我々世代の責任であると感じています。
三十代の頃はまだしも言い訳のひとつやふたつもあったかもしれませんが、四十代、五十代、そして還暦を迎えた六十代になってはもはや言い訳などありません。この三十年間のアジア諸国の成長・発展ぶり、欧州や米国などの先進諸国の社会情勢を見渡しても、日本の政治、経済、社会インフラなどあらゆる面において「失われた三十年」を感じないことはありません。
先日テレビで「デジタル小作人」という言葉を知りました。MicrosoftやGAFAなどの製品を日々我々が使うことで、日米貿易赤字が益々拡大するということでこの言葉が紹介されていました。かつて私が二十代だった頃には、日米貿易摩擦により日本車の打ち壊し事件が起こっていましたが、今や「デジタル小作人」かとため息が出ました。
いつまで経っても「年次有給休暇」も十分に取れず、相変わらず「女性蔑視発言」が続くという投稿にも多くの共感をいただき、嬉しい反面、こんな社会を次世代にそのまま引き継いでしまう我が世代を情けなく思いました。
文章を書きながら、どうすれば良かったのか、なにがいけなかったのか、これからでもできることがあるとすればそれは何かと考え続けました。これからも考えつつ、試行錯誤しながら書いていこうと思います。
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「還暦子」で始めたペンネームでしたが、遂に「還暦子⁺⁵」となってしまいました。まもなく「古希子」から逆算していった方が早くなってしまいそうですが、しばらくは還暦子ペンネームを続けていこうと思っています。
これまで五年間、応援ありがとうございました。そしてこれからもどうぞよろしくお願い申し上げます。