夏休みと読書
夏休みです。今年もまた「新潮文庫の100冊」を手に取ろうという人は、中・高校生のみならず大人でも多いのではないでしょうか。
私は子どもの頃から本を読むのが大好きで、小学校の学級文庫の図書係を皮切りに、中学・高校時代はずっと図書委員をやっていました。図書館にはたくさんの本がありましたが、それでも文庫本は持ち運びが便利なのでよく借りて読みました。中でも新潮文庫には栞紐(しおりひも)がついていて、文庫本の中でももっともなじみがありました。
高校生の中頃から、夏休み前に本屋さんへ行くと「新潮文庫の100冊」という冊子を手にとるようになりました。私は、それを眺めているだけでとても幸せな気分になりました。読書ガイドは様々ありますが、「新潮文庫の100冊」は私にとってどのような本を読んでいったらいいのかの道筋を、いつも照らしてくれました。
ところがこの最近は、書店に行くこともあまりなくなり、文庫本の棚の前をウロウロしたり、平積みになっている本を手に取ってパラパラと立ち読みしたり、「新潮文庫の100冊」のパンフレットを眺めることもなくなりました。
今では、読みたい本をkindleや中古本で購入したり、図書館で予約して窓口で受け取っているので、読みたい本は確実に手に入れることはできても、世の中にどんな本が出回っているのか、また「あ、おもしろそう! こういう本を読んでみたかった」というような本に出逢うことが少なくなってきました。
そこで久しぶりに、今年の「新潮文庫の100冊」にはどんな本が掲載されているのか見てみよう、おもしろそうな本があったらこの夏私も読んでみようと思い検索してみました。なじみの100冊がどんな風に変化しているのかをみるのも楽しみでした。
2021年版 新潮文庫の100冊 (実際には101冊)
率直に言って、私は大きなショックを受けました。実に半分以上の本を読んだことがないことがわかったからです。読んだことがないというより、作家の名前も知らなければ、タイトルも初めて見る本も多く、呆気にとられるばかりでした。
これがなじみ深いはずの「新潮文庫の100冊」なのかと思うと、なんだか落ち着かないというか、故郷の駅に降り立ったら駅前がすっかり変わってしまっていて、懐かしいといえば懐かしいけれど、本当にここがあのよく見知った駅なのだろうかとしっくりこない気分に似ていました。ちょっと(と思っていた年月)目を離している隙に「新潮文庫の100冊」は大変貌を遂げていたようです。
たまに安心できる既知の名前を見つけると、それは昔なじみの明治・大正時代生まれの作家ばかりでした。もしかすると、最近の新潮文庫は若い作家ばかりを選んでいるのではないかと思い、どれどれそれではちょっと調べてみようかという気持ちになりました。
そこでちょうど半世紀前の1971年(昭和46年)の「新潮文庫ベスト100」(当時の名称)を比較対象に、暇に任せて自分で分析し、色々と考えてみることにしました。
尚、分析に当たっては、過去半世紀以上の新潮文庫の100冊を丁寧にリストアップしておられるY.Yamauti氏のサイト「海鹹河淡」を参考にさせていただきました。本来なら事前に許可をいただくべきところですが、ご連絡先がわからず、ご了解を得ることなく参考にさせていただきました。素晴らしいサイトに深く敬意を表し、感謝申し上げます。ありがとうございました。
1971年版 新潮文庫ベスト100
私は1959年生まれ。今年で62歳になりますが、この1971年版の100冊をみると、すっかり安心した気分になりました。やっと夏休みに実家に帰省したような感じです。畳の上に大の字に寝転がり、風鈴の音や蝉の鳴き声を聞きながら、扇風機の風を浴び、麦茶とスイカで喉を潤すという懐かしい夏の風景が甦ります。1971年は今からちょうど50年前です。
分析その1ー作家の年齢
先に述べたようにあまりにも知らない作家が多いので、最近ではもう古典は読まれず、若い作家ばかりが選ばれているのではないかと私は感じました。そこで、この仮説が正しいのか否か作家ひとりひとりの生年を調べてみて、1971年版と2021年版では、それぞれの該当年に当時何歳の作家が選ばれているのかを調べてみようと思いました。
考えた末、①ヤング世代(39歳以下の作家)、②シニア世代(40-79歳の作家)、③古典(80歳以上の作家)に分けてみることにしました。若くして亡くなった作家も単純に生年で分類しました。結果は次の通りです。
①ヤング世代(39歳以下の作家)は、2021年版では8冊、1971年版では7冊でした。2021年版では、1982年以降に生まれた次の作家、朝井リョウ、芦沢央(2冊)、河野裕、二宮敦人、早坂吝、綿矢りさ、さらに生年不明ながらも作品の内容から39歳以下だと推測した住野よるをいれて7名、8冊。1971年版では、1932年以降に生まれた次の作家、石原慎太郎、大江健三郎(2冊)、柴田翔、サガン(3冊)の4名、7冊でした。
②シニア世代(40-79歳の作家)は、2021年版では58冊(56冊+NHKスペシャル取材班、8名共著の『吾輩も猫である』 )、1971年版では63冊でした。
③古典(80歳以上の作家)は、2021年版では1941年以前に生まれた作家33人で35冊(司馬遼太郎とドストエフスキーはそれぞれ上下2冊あるため)、1971年版では1891年以前に生まれた作家26人で30冊(夏目漱石3冊、ゲーテ2冊、ヘッセ2冊)でした。
つまり、結論は次の通りです。
2021年版は、①8冊、②58冊、③35冊。
1971年版は、①7冊、②63冊、③30冊。
見事に私の仮説は誤りであったことがわかりました。考えてみれば新潮社の編集部が、知恵を絞りに絞って100冊を選んでいるのですから、当たり前といえば当たり前なのかもしれません。むしろ古典と呼ぶ作品が二割近く増えていました。
さらに、1971年版では一人の作家の本が何冊も選ばれる傾向にあったものが(安部公房 3冊、石川達三 4冊、井上靖 2冊、大江健三郎 2冊、川端康成 3冊、北杜夫 2冊、太宰治 3冊、夏目漱石 3冊、松本清張 3冊、三島由紀夫 4冊、山本周五郎 2冊、カミュ 4冊(対談含)、ゲーテ 2冊、サガン 2冊、サルトル 2冊(対談含)、ヘッセ 2冊、ヘミングウェイ 2冊)、2021年度版では、芦沢央、重松清が2冊ずつ、また司馬遼太郎とドストエフスキーは各々上下巻が選ばれているだけで、幅広く数多くの作家が選ばれるようになっていました。
意外に感じたのは、1971年版で①ヤング世代に分類した当時30代だった作家(石原慎太郎、大江健三郎、柴田翔、サガン)が、2021年版にひとりも残っていないことでした。大江健三郎などノーベル賞受賞者でありながら2005年以降一度も取り上げられていません。石原慎太郎も1979年まで、柴田翔も1981年まででした。
分析その2—作家の男女比
次に2021年版を眺めて感じたのは、女性作家が多くなったということです。そこで、両100冊の作家の性別を比較してみました。2021年版の「新潮文庫の100冊」は、実際には101冊あり、『燃えよ剣』や『罪と罰』のように上下巻あるものは、上と下とそれぞれ別に、全部で101冊になるよう数えました。
2021年版には、女性作家の本は全部で38冊あり、男性作家の本は60冊ありました。性別不明(早坂吝)は1冊、その他(NHKスペシャル取材班と、8人共著の 『吾輩も猫である』)は2冊でした。
1971年版には、女性作家の本は全部で9冊でした。女性作家はわずかに7名。有吉佐和子、壺井栄、野上弥生子、樋口一葉、コレット、サガン、ボーヴォワール。フランソワーズ・サガンの著書が3冊選ばれているので、9冊がリスト入りしています。残り91冊はすべて男性作家の本でした。
半世紀で9冊から38冊へ。実際に数えてみると女性作家の比率は四倍以上になったことがわかりました。
厚生労働省の統計「管理職の女性比率」(「女性の活躍推進が求められる 日本社会の背景」p.17-18)によれば、企業規模100人以上における「役職別管理職に占める女性割合の推移」をみると、平成25年(2013年)で課長職で8.5%、また「現在の延長線上(過去5年間の平均伸び率で延長)では、2020年の課長級に占める女性比率は10.7%にとどまる」と記されています。
8.5%や、10.7%などという数字をみると、ちょうど半世紀前1971年版の9冊、つまり9%とほぼ同じ割合ですから、実業界は文学界に比べて、女性進出においては半世紀遅れているようです。
それにしても1971年版の7名全員が、2021年版で姿を消していたことは私には大きなショックでした。私は、壺井栄、野上弥生子、樋口一葉、ボーヴォワールにどれだけ励まされてきたことでしょうか。若い頃に読み、その後人生の節々で読み返してきた作家たちでした。
分析その3—外国文学比率
一覧して感じたことの3つ目は、2021年度版は、1971年版に比べて外国文学の割合がかなり少なくなったのではないかということでした。そこで数えてみると次のような結果がわかりました。
2021年版は14冊。英国5冊、米国3冊、仏国2冊、露2冊、チェコ1冊、独1冊。
1971年版は33冊。仏国14冊、米国5冊、独5冊、露3冊、英3冊、デンマーク、ノルウェー、チェコ各1冊。
33冊から14冊。絶対数も半分以下となっていますが、凋落著しいのがフランス文学で、この半世紀で14冊から2冊という有様でした。私は子どもの頃からフランスかぶれだったので、大学生の頃カミュやサルトルの難解な文章にてこずりながらも何度も挫折してはまた気を取り直して挑戦し続けてきましたが、その大半が姿を消してしまったことに一抹の寂しさを覚えます。
さらに、1971年版では33冊中に③の古典は15冊でしたが、2021年度版では14冊中における③の古典の割合はなんと13冊で、80歳未満の作家は『フェルマーの最終定理』を書いた1964年生まれのサイモン・シンたった一人という状態でした。
私は、1996年にサイモン・シンがBBCで制作した「フェルマーの最終定理」をNHKの教育テレビで観て涙がこぼれるほど感動し、著書を読んで再度感動に打ち震えたことがあるので、古典も良いけれど、もっとこのような現役世代の本が入っていればよいのにと思いました。
国際化、グローバル化などといわれているにも関わらず、外国の現代文学はほとんど取り上げられていません。ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』などは何度も読み返した愛読書ですが、2004年から断続的に7回選ばれただけでした。また、欧米文学だけでなくガルシア・マルケス『百年の孤独』のように中南米の作品や、新興著しいアジア諸国の文学作品も取り上げられたらと感じました。
分析その4—読み継がれる作家
2021年版と1971年版と両方で100冊に選ばれた作品は、日本文学6冊、外国文学5冊の計11冊でした。しかし、たまたまその年に選ばれていたりいなかったりということもあるので、1971年版から2021年版までの51年間で、どんな本が何回リストアップされているのかを調べてみました。
次のリストは「新潮文庫の100冊」に選ばれた回数順に並べたものです。全51回の半分以上、つまり26回以上掲載された本は全部で46冊ありました。冒頭の数字は掲載回数です。51回すべてに選ばれた本も7冊ありました。尚、*印は2021年版にも選ばれている本です。
さすがに名作揃いですが、この選び方では半世紀以上前に発行された本しかリストアップされません。そこで近年採用されて以来、2021年まで毎年選ばれ続けている本もピックアップしてみました。15年以上選ばれているのは次の本です。
この他、18冊の多岐にわたる本で合計61回選ばれている星新一や、13冊の本で合計57回選ばれている宮部みゆきも読み継がれている作家といってよいでしょう。
分析を終えての感想
作家の年齢、性別、国内外の別、読み継がれる作家について興味の赴くままに分析をしてきましたが、結局のところ「私は時代に乗り遅れていた」というひと言に尽きると感じました。今現在活躍して、多くの読者に支えられている作家を私は知らずにいました。
先に私が②シニア世代に分類した1941年〜1981年に誕生した作家というのは、現在40代から70代、長い文学の歴史の中にあっては今年62歳の私にとっては前後20歳のまさしく同世代であり、現代日本文学界の中核となって次々にベストセラー作品を世に送り出している作家たちでした。
同世代の作家が大活躍していることも知らずに、私は何をしていたのかという思いに駆られます。若い頃にはただただ仰ぎ見るばかりだった文学の世界でしたが、気がつけば同世代の作家たちが、憧れの文豪らと肩を並べて「新潮文庫の100冊」にその名を連ねているのでした。遅ればせながら私もその才能を味わい讃えたいと思いました。
今年の夏は同世代人の作家を中心に、2021年版「新潮文庫の100冊」で読書三昧の夏を送ってみたいと思います。
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