262.五輪の思い出

現在、パリでオリンピックが開催されています。連日オリンピックのニュースがメディアを賑わせています。

私の最初の記憶にあるオリンピックは、【1964年の東京オリンピック】でした。まだ幼稚園児だったので記憶は断片的です。それでも東京オリンピックにまつわる周辺的な思い出を以前書いたことがあります(049.東京五輪1964

【1968年のメキシコ大会】の時には、私は小学校3年生でした。この大会の思い出もあまりありません。かろうじて男子体操の選手らが胸に日の丸のついた白いユニフォームで美しい演技をしていたことを覚えています。加藤、塚原、監物といった名前が浮かんできます。

【1972年のミュンヘン大会】の時は、私は中学1年生でした。ミュンヘン大会といえば、真っ先に思い浮かぶのは「テロ」です。詳しいことはわかりませんでしたが、選手村でイスラエルの選手が殺害されたというニュース驚きました。けれども私はあの頃、ミュンヘンが南ドイツにあることすら知りませんでした。

「テロ」の次に覚えているのは、マーク・スピッツという競泳選手がひとりで金メダルを7個も取ったということでした。また、オルガ・コルブトという体操選手の魅力的な姿を覚えています。コルブト降りという言葉も覚えました。男子体操では金銀銅メダルを日本勢が独占しました。日本男子バレーが金メダルを取ったことも忘れられません。

【1976年のモントリオール大会】の時は、私は高校2年生でした。コマネチの活躍ばかりが印象に残っています。なぜなら、私は高校で体操部に所属していて、ちょうどコマネチが出場していた日、私たちは学校で体操部の合宿中でした。顧問の先生が体育館にポータブルテレビを持ち込んでくださって、みんなで体育館の床に車座になってコマネチの演技に見入っていました。

10点満点を連発するナディア・コマネチの演技は、今も尚、脳内で再生できるほど、強く脳裏に焼き付いています。床運動の音楽は今でも口ずさめます。

コマネチの映像を見た後の私たちは、全員人が変わったように真剣に練習に取り組みました。みんな、段違い平行棒で手の平の皮がこれまでにないほど剥けました。それから何年か経って漫才ブームが起きた時、コマネチが漫才のネタにされた時は、ただ悲しい思いをしました。

【1980年のモスクワ大会】の時、私は大学3年生でした。前年の12月にソ連がアフガニスタンに侵攻したという理由で、日本はアメリカの呼びかけに応じて参加ボイコットしました。この時、柔道の山下泰裕やマラソンの瀬古利彦ら、私とほぼ同世代の選手たちの無念の気持ちが伝わってきました。

当時、西側諸国はボイコットなどと報じられていましたが、実際には、英、仏、伊、スペイン、ポルトガル、ベルギー、オランダ、オーストラリアなど多くの国々は参加しました。私はあの時の日本の対応は釈然としませんでした。今回のパリ大会ではロシアとベラルーシの選手の参加は事実上認められていませんが、半世紀近く経ってもこの問題は続いています。

【1984年のロサンゼルス大会】では、逆にソ連を始めとした東側諸国がボイコットし、前回同様、政治色の濃い大会となりました。この大会のスター選手と言えば、やっぱりカール・ルイスでした。100m、200m、走幅跳、男子4×100メートルリレーの4種目すべてにおいて金メダルを獲得しました。100mを9秒99で走ったという記録は、当時誰もが知っていました。

【1988年ソウル大会】は、開会式の聖火点灯で鳩が焼け死んだのではないかという物議をかもした幕開けでした。私にとっては、パリ行きの大韓航空の乗換地であったソウルの金浦空港が活気を帯びていくのを肌で感じた大会でした。鈴木大地選手が金メダルを取った瞬間、私は友人の結婚披露宴に出席していて、会場に臨時ニュースが紹介されて盛り上がったことが忘れられない思い出です。

◇ ◇ ◇

子どもの頃から20代の頃は、オリンピック中継を見る機会も多く、記憶も鮮明でしたが、30代になると仕事も忙しくなったのか、【1992年のバルセロナ大会】の思い出といっても、大好きなフレディ・マーキュリーがカバリエと共にバルセロナの歌を歌ったことが最も記憶にあるくらいで、肝心の競技の記憶は曖昧です。

【1996年のアトランタ大会】【2000年のシドニー大会】【2004年のアテネ大会】【2008年の北京大会】【2012年のロンドン大会】【2016年のリオデジャネイロ大会】などに至っては、開催地さえうろ覚えだったことに気づきました。

日本人選手が大活躍をし、連覇をしたオリンピックよりも、なぜか十代、二十代にみたオリンピックの方が記憶に残っています。

こうして半世紀以上に渡るオリンピックを思い返してみると、国単位で出場するという現行のやり方では、今後も政治色を払拭するのは難しいと改めて感じています。

私はあまり勝敗やメダル争いには興味が持てず、どの選手も自己ベストを更新できますようにと、そればかりを祈ってきました。今回のオリンピックでも、これまで文字通り血の滲むような努力をしてきた選手が、みんな全力を出し切れるようにと祈っています。


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