143.カーディガンの使い道

本稿は、2020年4月18日に掲載した記事の再録です。

子どもの頃、公園の鉄棒で前まわりの競争をする時、カーディガンは欠かせないアイテムでした。

仲良しが数人集まると、誰からともなく前まわりしようということになり、ジャンケンで最初の2人が選ばれます。並んだ鉄棒にそれぞれが位置につくのですが、最初にすることは、カーディガンを鉄棒にセットすることでした。

それぞれが工夫を凝らした独自の畳み方でカーディガンを鉄棒に巻きつけると、「用意」の掛け声で片脚をおもむろにカーディガンの上に乗せ、膝の裏がカーディガンにきちんとフィットすることを確かめたら「ドン」の合図で、全速力でグルグルと前まわりをするのでした。

この方法だと、膝の裏が擦れて痛むことなく、カーディガンごとグルグルと何回でも回れるのです。10回、20回など朝飯前でした。新記録の回数を覚えていなくて残念です。

カーディガンは鉄棒だけでなく、遊びのあらゆる場面で様々な役割を果たしました。

仲良しのゆかちゃんの家の隣には、新興宗教の教会というか、道場のような本部がありました。畳敷きの大広間の真ん中に盆踊りの櫓の上にあるような和太鼓があって、高僧が儀式の際につけるような背中まである長くてキラキラした頭巾をかぶった人が太鼓を叩くと、その周りを信者たちが両手を拝むように上げ下げしながら、踊りながら太鼓の周りをまわっているのが塀越に見えました。

しばらくその様子を目に焼き付けたら、私たちも空き地にでて、その辺に落ちている小型のドラム缶と棒を拾ってきます。ジャンケンに勝った子が、カーディガンの袖の部分を頭にしっかりと巻きつけて頭巾のようにすると、みんなでドラム缶の太鼓に合わせてインディアンのように雄叫びを上げながらグルグルとまわって「宗教ごっこ」をするのでした。


秋になると空き地には、私たちの背丈よりも高いススキが生え、その中で,鬼ごっこをしました。するとカーディガンにたくさんのイガイガの実がつきました。今調べてみたら、この様な実を総称して「ひっつき虫」と呼ぶようですが、私たちはイガイガと呼んでいました。

鬼ごっこで走り回って疲れ果てると、今度はその辺りの倒木などに腰掛けて、カーディガンを脱ぎ、イガイガ剥がしに精を出します。そうするとあっという間に子どもの掌いっぱいにイガイガがたまります。

今度は二手に分かれて、そのイガイガを手裏剣のように相手に投げて、相手のカーディガンにたくさんつけた方が勝ちという遊びに早変わりします。


近くの消防署のスピーカーから午後3時になるとオルゴールの音色が、午後5時になるとサイレンの音が聞こえてきました。

母からは「チントンが鳴ったらオヤツよ」「ウーが鳴ったら帰ってらっしゃい」などと言われていましたが、秋の日の釣瓶落としで、薄暮の中をイガイガを握りしめて遊んでいるとすっかり日が落ちてしまって、ウーが鳴る前に帰ったのに叱られ、子ども心に理不尽だと思ったこともありました。


昭和40年代の前半(1965〜70年)は、まだまだ野良犬や野良猫はあちこちにいました。遊んでいるとどこからともなく「くぅんくぅん」とか「みゃあみゃあ」などという鳴き声が聞こえてきて、みんなで「バラ線」と呼んでいた有刺鉄線を掻い潜って土管の中を覗きにいくと、そこには生まれてまもない仔犬や仔猫が数匹肩寄せ合いながら震えているのでした。

これはもう放っておくわけにはいかないので、みんなで一匹ずつ抱っこして、飼ってもいいかどうか親に交渉に行くわけですが、大抵全員が玉砕して再び土管の前へ戻ってきます。私も仔犬、仔猫、また仔犬と何度母との交渉に敗れたかわかりません。

作戦会議といったところで大した名案があるわけでもなく、誰かが家の冷蔵庫から牛乳瓶の一本でもくすねてこられれば上等で、あとは全員で5時のサイレンがウーと鳴るまで変わりばんこに抱っこして、全身をくまなく撫でるくらいのことしかできませんでした。

そして、いよいよウーが鳴ると、震えている小さな生き物たちと引き裂かれるような思いで別れ、それぞれが家に帰らなくてはなりません。

ある時、私は仔犬たちを自分のカーディガンでくるんで、公園の網でできたクズカゴに入れ、「明日また来るから、決してこの場を離れないように」と繰り返し仔犬たちに言い聞かせ、家に帰ったことがありました。

私としては何食わぬ顔で帰ったつもりでしたが、母から早速「カーディガンはどうしたの?」と目ざとくとがめられました。「あ、きっと、公園に忘れてきたんだと思う」とごまかしましたが、もちろんそんなのは通用せず、「今すぐ取ってらっしゃい」と叱られ、でもまたあの仔犬たちに会えるのならと足取りも軽く公園へ戻りました。

すると、公園の網のクズカゴは空っぽでした。まさか、仔犬たちがいなくなっているとは思いもよらないことでした。そして、クズカゴの縁には、誰かが丁寧に畳んでおいてくれた私のカーディガンがかかっていたのでした。カーディガンの畳み具合から推測するに、きっと優しい人が育ててくれることになったのだろうと思います。

あの頃の日々を思い出すと、着ていたカーディガンの色や模様や刺繍まで一緒に思い出されます。自分のカーディガンだけでなく、仲良しの子たちの色や柄まで浮かんでくるほどです。当時の私たちにとってカーディガンは、まるで風呂敷のように変幻自在なアイテムでした。


<再録にあたって>
最近では、近くの公園で遊ぶ子どもたちの姿をめっきり見なくなりました。小さな子どもたちもマスクをつけ、給食も「黙食」を強いられていてかわいそうでなりません。


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