126.大つごもりと笠地蔵
本稿は、2019年12月28日に掲載した記事の再録です。
毎年、年の瀬になると、ふたつの話が浮かんできます。まずひとつ目は、樋口一葉の「大つごもり」という短編です。「大つごもり」というのは「大晦日」という意味です。青空文庫で読むことができます。
この話のあらすじは次の通りです。
(ネタバレなので知りたくない方は網掛け部分を飛ばしてください)
早くに両親を亡くし伯父夫婦に育てられた十八歳の主人公お峰は、伯父が病の床にあると知り、大金持ちだけれど吝嗇で冷たい奉公先になんとか年越しの2円を貸して貰えないかとお願いし、一旦は承知してもらえたものを、大つごもりに約束を反故にされてしまいます。伯父の家の幼い子どもが約束のお金を取りに来た時、お峰は、やむにやまれぬ事情とはいえ、引出しに入っている20円の内、2円を盗んで渡してしまいます。夜になっていよいよ大勘定ということになり、絶体絶命と覚悟を決めたその時、引出しを開けると、そこには18円の代わりに先妻の長男が書いた受取りが一枚はいっているだけでした。意地の悪い後妻に反抗して放蕩している長男が、昼間ふらりと戻ってきて、やりとりを襖(ふすま)の向こうで聞き、主人公の窮地を救ってくれたのでした。
「大つごもり」の冒頭は「井戸は車にて綱の長さ十二尋(ひろ)」という出だしで始まります。「尋(ひろ)」というのは、両手を広げた長さです。レオナルド・ダ・ビンチの人体図でもわかるように、両手を広げた長さは身長と同じなので、冒頭の一説は、つるべ井戸の綱の長さは身長の12倍ということです。150cmとして18m、180cmとして21mということになります。
水汲みのつらさについて、一葉は、主人公のお峰が奉公先の七歳になるお嬢さんの踊りの発表会のために朝風呂を沸かすよう言いつけられた時の様子を、「雅俗折衷体」と呼ばれる優雅な文体で次のように語ります。寒風吹きすさぶ中、二つの手桶で13回、20m近くある井戸水を何度も汲み運び、すべって痣を作り叱られる様子です。
井戸は車にて綱の長さ十二尋(ひろ)、勝手は北向きにて師走(しはす)の空のから風ひゆう/\と吹ぬきの寒さ、おゝ堪えがたと竈(かまど)の前に火なぶりの一分は一時にのびて、割木(わりき)ほどの事も大臺(おほだい)にして叱りとばさるゝ婢女(はした)の身つらや、(中略)
目見えの濟みて三日の後、七歳になる孃さま踊りのさらひに午後よりとある、其支度は朝湯にみがき上げてと霜氷る曉、あたゝかき寢床の中より御新造灰吹きをたゝきて、これ/\と、此詞(これ)が目覺しの時計より胸にひゞきて、三言とは呼ばれもせず帶より先に襷がけの甲斐/\しく、井戸端に出れば月かげ流しに殘りて、肌(はだへ)を刺すやうな風の寒さに夢を忘れぬ、風呂は据風呂にて大きからねど、二つの手桶に溢るゝほど汲みて、十三は入れねば成らず、大汗に成りて運びけるうち、輪寶(りんぼう)のすがりし曲(ゆが)み齒(ば)の水ばき下駄、前鼻緒のゆる/\に成りて、指を浮かさねば他愛の無きやう成し、その下駄にて重き物を持ちたれば足もと覺束なくて流し元の氷にすべり、あれと言ふ間もなく横にころべば井戸がはにて向ふ臑(ずね)したゝかに打ちて、可愛や雪はづかしき膚(はだ)に紫の生々しくなりぬ、手桶をも其處に投出して一つは滿足成しが一つは底ぬけに成りけり、此桶(これ)の價(あたひ)なにほどか知らねど、身代これが爲につぶれるかの樣に御新造の額際に青筋おそろしく、朝飯のお給仕より睨まれて、其日一日物も仰せられず (後略)
樋口一葉著『大つごもり』 青空文庫より抜粋
今日も未だ多くの国々では、水汲みは女や子どもたちの重労働ですが、樋口一葉(1872年(明治5年)〜1896年(明治29年))が暮らした百数十年ほど前の日本でもお風呂を沸かすということが、どれほど重労働であったかわかります。一葉は24歳で短い生涯を閉じますが、その作品を読むと当時の庶民の生活がいきいきと蘇ります。
私は、普段、ボタンひとつでバスタブに熱い湯をはる生活を送っていますが、私の三、四代前まではお峰と同じような生活を送っていたのだろうと思うと心のどこかに申し訳なさが芽生えます。
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年の瀬に思い浮かぶもう一つの作品は昔噺「笠地蔵」です。
こちらも大晦日の話です。貧しい暮らしをしているおじいさんとおばあさんが、年越しのために笠を編んで、おじいさんはその笠を売りに町へ出かけますがさっぱり売れません。仕方なく家路につきますが、途中、雪の中に立つ六体のお地蔵さんの前で「お地蔵さんもさぞ寒かろう」と、頭の雪を払って売れなかった笠を乗せ、最後のお地蔵さんの分は足りなかったので自分の笠をとってお地蔵さんにかぶせたのでした。
手ぶらで帰宅したおじいさんから、お地蔵さんの話を聞いたおばあさんは、「おじいさん、それはいいことをしましたね」と喜び、共に白湯を飲んで薄い布団で寝ました。すると夜中にお地蔵さんが音を立ててやってきて、米や野菜を置いていってくれました。おかげで無事に年越しができたというものです。
もう何年も前の大晦日に、どういうわけか「笠地蔵」の話になった時、私の弟が「おじいさんは心優しくて立派だなぁ」と言うと、すかさず弟の奥さんが「いえいえ、本当に偉いのはおばあさんです。だって、もしも私がおばあさんなら『あなた、なんてことをしたの?! すぐに取り返していらっしゃい! いえ、いいわ、私が行く!』と自分で取り返しに行くと思うんですよね」と言ったので一同大爆笑になりました。
そういう飾らないところが弟の奥さんがみんなに好かれる所以なのですが、私も自分だったらどうするだろうと考えてしまいました。
現代社会では、商品が売れないなら直ちにマーケティング戦略の見直しや、商品開発の再検討とか、来年こそはPDCAだとかということになるのかもしれませんが、それではお地蔵さんはお米や野菜を持って来てはくれません。
「笠地蔵」が長く語り継がれてきた日本という社会とは、善行や信心を大切にしたいという人々の暮らしが長く続いてきたということなのでしょう。善行はともかく、信心など一部の新興宗教を除いてすっかり社会から消え失せてしまったように思います。
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「大つごもり」「笠地蔵」を思い出すようになると、日本の年の瀬もすっかり様変わりしてきたことを実感します。「年越し」「正月」の持つ意味が年々薄らぎ、あらゆることが平準化してきました。お峰やおじいさんおばあさんの時代から、私たちの社会が目指してきたのはなんだったのだろうか、これから社会は何を目指していくのだろうか、そもそも社会は何かを目指すものなのだろうか、勝手にどこかへ向かってしまうものなのだろうか、などとあれこれ考える年の瀬です。
<再録にあたって>
この稿を書いた2年前に比べると、最近はSDGs、17の分野別目標と169項目の達成基準が、一層声高に唱えられているように感じます。自分たちの暮らす社会がどんな社会になっていくのかということよりも、どんな社会にしていくのかを考えながら生活するよう求められています。笠地蔵が知ったら驚くでしょう。