想定外の出来事と拘り

知り得なかったから考えつかなかったことっていう想定外起きるのあんま好きじゃないんですよね。
悲観しがちだから苦手なんだよな…

①こういう理想に今を落とし込みたいからこう考えていた。

②想定外が起きて、今が理想からズレる。

③理想が叶えられなくなったと悲観してしまい、どん底に萎えた自分の気分と動揺で考えられなくなって話せなくなりがち。

恥ずかしいけど、こんなことが私の頭の中で起きてる気がする。

①の当初の理想に拘りすぎてる感もあるけど、
③はもっと強烈。

②ってよく起こることなんですよね、面接の質問とかほんとよくそういうのあるし。
だけど、それで叶えられなくなることって果たしてあるのか?
100%の理想からズレてしまっても、90%や80%の理想を叶えることはできる。ってことは、理想を叶えるのに必ず100%である必要ってあるわけではないってことだと思うんですよね。(他人や自分が絶対にこれでなければならないと決められたわけでなければ)
悲観してしまうのは、
100%でなくてはならないという思い込み。
100%でありたい自分の気持ち。
どうしてこんな想定外が起きてしまったかの粗探しをしてしまうことで、ズレてしまったけど理想を叶えるのにどうしたらいいかを先に考える必要があるのに起きてしまったことに目を向けてしまいがちで更に粗探ししたくなる気持ち。(想定外を認められなくて、自分も認められないかんじ。それって自分のせいじゃないぞと言い聞かせて安心させる的な)

今日の仕事でもこういった想定外な出来事があって、そのときに、私は想定通り悲観しえ萎えてました。
だけど、そこからあえて、


④現状把握。何が最善か検討し直した。

⑤ズレてしまった今のところから理想を叶えるための手段を提供した。

成長したと思う。
けれど、この100%のこだわりと理想を持って接するのを捨てたいから、色々自分のことを書いていきたい。

この100%のこだわりと理想が何から出来ているのかを考えてみると、

自分で知り得たもの
人のために役に立ちたい
知らないことは人から聞いて教えてもらってるけど、自分のものになっていない状態(この時点でイレギュラーに対応できない知識かも。)
自信を持って接したい
どちらかというと、経験じゃなくて独善的な気持ちだけで出来上がってる気がすることに気づいた。
経験がいるなぁ……

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