どうしようかと思った。 だけど、改めて手放さなくて良い人だと思った。 頑張って、次の仕事決めたらちゃんと報告したい人だと感じられる。
この頃はintj-aが診断結果に上がるので、⇔の関係で記載しようかな。
久し振りに感動的な曲に出逢った。 心の空っぽな部分に響いてしまい、感情の内面に浸り、いつぶりに泣いてしまったことか。 私にも仕事で大切な仲間の一人を亡くした空っぽな部分が何年経ってもいつまでも残ってて、人が死んでも何も変わらない多忙な現実を打破するために無理に感情押し込めて過ごしてたなぁって、この4年間。私はそういう使命感を隠し持って仕事してた。 明日自分が死んでしまうなんて想像もしていなかったでしょう。死んでしまう前日の退勤の際にみたあの人の笑顔がやっぱり忘れられない。
濱川さあやさんの『大学卒業後転職を繰り返していた私が天職にたどり着いたたった3つの方法。』を読んだんだけど、とても読みやすくて、何より文章から滲み出る丁寧なかんじと温かみがよかった!励まされた
どちらにもいえるのは、ピアノは演奏家というより、正確さよりアレンジや耳コピが好きで、耳と目を使って弾くのが好きだった。スポーツは一つじゃなくて複数競技マルチにやってて、一つに絞るよりマルチに活躍するのが充実感があって楽しかった。器用貧乏とはよく言われた。
自己分析の一貫として、ピアノとスポーツ、どっちも10年ほど両立してやってた頃を思い出す。どういう風に取り組んでいたっけ。
今の仕事六年目に入ったけど、お金がある程度貯まったら辞めて違うことやっていきたい。色んなことしてみたいのに、それだけしかやらせてくれなくて、一通りやり抜いた似非ゼネラリストみたいな生き方せざるをえないことに疲れている。
どこでこんな実績のない完璧主義になったのか、また考えてみよっと
知り得なかったから考えつかなかったことっていう想定外起きるのあんま好きじゃないんですよね。 悲観しがちだから苦手なんだよな… ①こういう理想に今を落とし込みたいからこう考えていた。 ↓ ②想定外が起きて、今が理想からズレる。 ↓ ③理想が叶えられなくなったと悲観してしまい、どん底に萎えた自分の気分と動揺で考えられなくなって話せなくなりがち。 恥ずかしいけど、こんなことが私の頭の中で起きてる気がする。 ①の当初の理想に拘りすぎてる感もあるけど、 ③はもっと強烈。 ②って
仕事上で、計算して段取りとって万全だと思い込んで、実際に想定外なこと起こると内心イラッときてしまうのほんと自分の弱いところだなぁって思う。どうしてイラっときてしまうのか、今日はじっくり考えながら仕事する。
無賃労働と無賃残業(ただし1ヶ月の残業時間の合計が30分未満で切り捨てられる例外は除く)と過労死の案件はこの世から無くしたいね…声を上げるのは被害を与えている側じゃなくて、被害にあってる側なんだよな。与えている側が言えば、その人にどう与えたかを説明する話は簡単なんだけど、被害を受けてる側の視点の話は情報量が沢山あって、それらを理路整然に整えてあげるところから入ることもあるよなって。 声を上げるためにいろんな事を調べたりそもそも何を確認したらいいのか分からないからその項目から
仕事を片付けている最中に、手を動かしながら話をしかけてきたパートさんがいた。 その人は、苦手な人ではない。 親切な人だし、愛嬌もある。 けれど、一度話出すと要点がないので話が長く、話の途中で何の話をしているのか聞いてる側もわからなくなる。 私はこの頃、そんなその人の話を聞くのに苦痛を感じていた。 というのは、その人は一方的にその人が言いたい事を話すことが多くなったからだ。 聞いてもらいたいからこそ、話すのだろうと思うけども、聞く者への配慮がなく、まるでそれは自他の境界線を壊し
私の精神、強すぎるものと違和感を感じるほど脆すぎるものが混ざっていて、そろそろ脆さについて目を背けなくともよい時期になってきたのではないか?
憂いているだけでは何も変わらないことを知っているから、私は愚痴や悪口を人前では言わないだけなんだけど、だからこそ変わらないより変えることに行動を起こすぞと前向きに捉えられるのはいい事だと思う反面、自分の根本から目を背けて癒されていないことに気づいた。まずは、癒すことが先決か。
だからかな、謙遜する人は苦手だ。私も苦手だけど、社交辞令を必要とする場でしか使わないようにしてる。
私は自分や他人の暗がりと明るい両面がわりと好きだ。目を背けたくなることはない、なにせその人の生きてきた軌跡だと思えば、それは尊いものだと思うから。