怒りとは

仕事をしていると落ち込んでるようにもイライラしてるようにもみえるパートさんがいて、そんなに忙しくもなかったので思わず声をかけた。
そこから、今朝、彼女は息子に怒られてしまい、落ち込んでいることがわかった。
息子は前もって学校行事について説明をしていて、なにが必要というのも伝えていたのだが、彼女はまったく身に覚えがない感じに忘れてしまってたらしく、息子に再度説明を求めていたところで怒られてしまったとのこと。

そのパートさんは息子に怒られて落ち込んでいたのだけど、覚えてなかったことに申し訳ないと感じたり、そんなことを覚えていないなんて自分が悪いという二次的に発生した自責の念で落ち込んでいるのか、
それとも、相手の怒りに含まれている恥をなんとなく感じ取り、相手の恥に飲まれて相手と同様に落ち込んでいるのか、
どちらなのかそれとも両方なのかはわからないけど、多感な年頃は難しいねって無理矢理自分を納得させようとしているようにみえたので、消化不良起こさないだろうかとちょっと心配になった。

息子の怒りに昨日、本屋さんに行った時に軽く立ち読みしたアドラー心理学の本に書いてあったことを思い出した。怒りというのは、一次感情が複雑に結集した形が怒りという二次感情を発生させるとのこと。
一次感情というのは、不安、落胆、心配、悲しみ、寂しさ、傷つき、喜びなどいろいろあるようだ。

これらを使って怒りの背景を考えるとするなら…
・自分は覚えているし説明も以前したのに、相手は覚えていないことに傷つき、腹を立てたとか?
・学校行事の遂行のために必要なことだから前もって伝えておいたのに、相手が忘れていることで、思い通りに動いてくれなかったことに不満を持ったり、自分が悪いかのように感じ恥じたとか?
•母は自分の物事に把握しているとでも捉えているとして、自分と母の違いをまだ認められないからその間違いに怒ったとか?
•逆に自分がそういったことで母に怒られたらどうなのかという可能性を考えてはいないとか?

ただその子は高校生だから、まだ子どもなのだ。まだ客観的に自分や他人をみたりするのは難しい年ごろだと思う。多感だ。
私の身の回りでよく「年頃の子は多感」だと当たり前のように聞かされてきたが、私はこの多感という言葉の意味は知っているが、それを心理学的に言い直すとどういう状態を指しているのかまではよくわかっていなかった。そして言っている本人もその多感ということを深くは知っていないし把握していないと思う。
今なら、一次感情に振り回されてしまいやすいことではないかと思う。そして、それによって二次感情を抱きやすいともとれる。この多感というのは良くも悪くも苦しい状態だと思うし、多感というのは本人を含めその周りの人も苦しくなってもおかしくないと思う。
ここまで書いてみて、私は昨日出会った本…アドラー心理学に関することだが、数年前の一時期、社会人の間で流行っていたのをテレビで見たことがある。大人の間に人気が出たが、アイデンティティについて考え始めたり悩んだりする中学生や高校生にも読んでみるのもいいかもしれないなって思った。というのは、私は自分が高校生ぐらいだったときに認知心理学や精神病に関する本を読んでたが、それよりもアドラー心理学はとても身近で分かりやすいと感じたからだ。この多感な時期に読んでたら自分はどう感じて自分の行動をどう振り返っていたのか…。もうあの時期には戻れないが、今、知ったことで考えたりすることができるよろこびを、私は何より尊重したい。
いつになっても学び自体には年齢の遅い早いはないという自由を謳歌したい。しかし仕事については、仕事によっては制限を伴うこともあり、年齢の遅い早いがあって、それって不自由だな…って感じると同時に極端な話、一種のあきらめ(転職自体をあきらめてしまうという意味だけではない)も肝心なんだろうなって転職活動をして感じたので、人生百年といわれている割には、年をとればとるほど選択できる狭さといい、可能性の狭まりに私は自分にジレンマを感じてます…。自分らしく生きるために願ったりかなったりの社会には変わらないし、ならないのはわかっているので、発想の転換や臨機応変に強くなりたいね…選択肢を広げる行動をしていく。それも、自分の理念と一致してるやつ。
これからも自由な学びから着想を得てきたい。
学びや着想から他人について「〇〇だ」とラベリングしたり、決めつけるんじゃなくて、色んな仮説を作ったり、想像したりして、実際の対応では均衡を保った対応を取りたい。(自分の理念や理想といった中身は均衡をとることを知らないかもしれない)

話がそれてしまって申し訳ないのですが、
今回は自分の身内を怒るという経験をその高校生はしたわけだが、いずれ、自分が赤の他人に逆に怒られてしまう経験もするときもくるだろう。
そのときに、この高校生がどう受け止めてどう処理をしていくのか、どのように選択をしていくのかが気になるところだ。
これまでの自分の行いについて考えたりするかどうかはわからない(忘れてしまってることもあるしね)けど、年齢をとるにつれて自分が関わる人間関係の世界の広がりとともに関わる人たちの多様性と自分にどう折り合いをつけていくのか、そこで得る気づきを大切にできたらいいなと願う。

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