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FF16をプレイした

※ストーリー終了までのネタバレを多く含みます

プレイ時間は70時間ちょっと。アクションフォーカスモードでプレイした。

吉田Pが難易度ではなくフォーカスという名称にすることで、ゲームが苦手な人にも簡単だからと馬鹿にされた感じを受けずにプレイしてほしいと言っていた気遣いは素敵だなぁと思った。
そういうゲームに対する姿勢が面白いゲームを長年提供し続けられる根本にあるのだろう。

サブクエストやリスキーモブが出るたびに消化したいタイプなのでプレイ時間がかかるがじっくりと楽しめた。

ゲームにストーリーを求めている自分としては満足度がかなり高いゲームだった。好き嫌いは分かれそうではあるが、海外でも受けるようなエッセンスが各所にちりばめられている。ただ、それがストーリー自体を崩さないようにバランスよく設計されていたように感じた。

FF14をプレイしたことがある人に伝えるとしたら漆黒の重苦しさを全編にわたって続けながら、水晶公の愛にかかわるエッセンスを各所に散らしたようなストーリーであった。うん、好きですそういうの。

FF16は様々な愛を描いた物語である。

それゆえ大人向けな描写が多くみられる。これが初めてのFFになるキッズたちがリビングでプレイしてる時に気まずくならないだろうかと心配になってしまう。

時代背景的なものもあるだろうけど、出てくる女性みな芯が強く、強い女が好きな人にとっては最高の栄養を摂取できる物語だろう。

私は気を張ってる女が特に大好物なのでベネディクタが好きです。

また、かっこいいおじさんも好きな自分としては、クライヴを支える周囲のイケオジたちも見逃せない。

FF16では家族の親愛を描いたストーリーが多い。

シドとの関係は血のつながりからなる親愛ではない。

幼い頃に尊敬する父親を亡くし泥をすすりながらも復讐のみを目的に孤独を抱えながら生き延びてきたクライヴにとって、シドは一緒に困難を乗り越える相棒であり、大人になって初めて出会えた自分を支えてくれる親だったのではないだろうか。

「大悪党シド」の名を引き継ぐと決めたクライヴは、彼を死なせなくなかった、志を世の中から消したくなかったという気持ちが強かったのは確かだろう。

しかし「クライヴ」ではなく「シド」の名で悪を成すと決めた以上、彼の背中を超える機会をクライヴは永遠に失ったのである。それが自らの意思で手放したものだとしても、自分より大きなものを失うことを拒否した。心のどこかでクライヴはシドを超えたくなかったのだ。

シドの名はクライヴの中でずっと生き続けるある種の呪いだ。超えられないものとして意味づけられた以上、クライヴの中で消火不可能となった呪いの火である。しかし身を焦がし続けるその火はクライヴのとってシドを永遠に感じられる祝福でもあるのだ。つらい。幸せになれ。

およそ正しくなどなかっとしても
消えたりしない

米津玄師「月をみていた」
いつかあったかもしれないミドとシドの会話

クライヴはミドにとって、リーダーであり、父親であり、一緒に父親の背中を追う兄妹でもある。そう考えると、ミドとクライヴの関係性もやはり家族愛なのである。シド、なんて偉大な父親なのか。

ガブはシドを名を継ぐ気はないと言った。

それはクライヴに死んでほしくないという軽口ではあるが、同時にシドの名を残してでも生きながらえさせたくない、つまりガブは過去のシドの死をしっかりと消化しているということでもある。
お互いに相棒と感じていても、シドに対する接し方が違うのはよいところだ。クライヴの愛が重い。

愛情の方向性の話で言えば、ジョシュアとの関係性の変化は外せない要素だ。

フェニックスの騎士であるクライヴは、ジョシュアを明確に庇護の対象として捉えていた。しかし、成長したジョシュアはただ兄に守られるのではなく、クライヴを守り肩を並べられる男になっていた。

ジルも同じくドミナントとして同等に戦える存在ではあるが、クライヴにとって恋愛を含む愛情である以上、そこにはジルを背負うという意識が少なからず発生するだろう。

それが相手の思いを踏みつけてしまうものだとしても、クライヴにとっての愛情は庇護が優先されていたのである。

しかし悪気があろうとなかろうとその愛の方向性は間違っている。一方通行ではダメなのだ。だが、よくも悪くも大罪人シドとなったクライヴを正せる相手はもういない。現実として守られている隠れ家のメンバーもその間違いに気づこうがそれを正すことは難しかっただろう。

それを初めて正すことができたのがジョシュアだったのである。
もしかしたらクライヴにとって、真に上下なく対等と呼べる相手はジョシュアが初めてだったのかもしれない。

そんなジョシュアだからこそクライヴは「俺たち兄弟の戦い」として背負う責任を渡せるようになったのだ。

クライヴにとってジョシュアがただ庇護を与える対象ではなくなった瞬間である。

もちろん家族としての愛情は変わらなかっただろう。それでも初めて重さを分け合えた事は、クライヴの人生の中でどこかにあった孤独からやっと解放された瞬間なのではないだろうか。

エンディングは解釈の余地が多く含まれている。

最後の書籍の著者がジョシュアとなっていた点、これはジルがジョシュアの名前を借りたという解釈を提案する。
エンディングの語りからこの書籍はクライヴの視点で描かれたFF16のストーリーを記述したものだと捉えられる。しかし大罪人シドとして生きていたクライヴの名前で書籍を残せば、本編のサブクエストでもあったように禁書として処分されてしまう恐れがある。
そのため、書籍の著者はクライヴではなく別の名前にする必要があった。

アルテマはクライヴの体を使ってレイズを発動させようとしていたことから、アルテマを吸収したクライヴがレイズを使用可能になりジョシュアを蘇生した可能性も考えられる。しかし、それにしては最後のシーンで豪快に周囲を破壊しすぎていることと、落下後まだ生きていたクライヴのそばにジョシュアがいなかったのはクライヴの愛情の深さからみると少し不自然と感じた。

クライヴ本人が生還してジョシュアの名前を借りて執筆した可能性もある。それはそれで幸せと感じられるルートなのでぜひそうであってほしいとは思うが、メティアの消失とジルの涙を素直にとらえるとやはり別れのメタファーなのではないかと思う。クライヴの無事を祈るジルの願いの成就とみる解釈もあるようだが、もしそうなら敢えてこんな暗くわかりにくい伏線としてほしくないという気持ちがある。
もしかしたらDLCでクライヴが帰ってくる部分を描くための伏線かもしれない。そうであったら狂喜乱舞する。

ジルはクライヴのことをずっと忘れたくなかったし、忘れられてほしくなかった。だからクライヴの視点で今までの物語をまとめたのではないだろうか。FF16はクライヴが様々な愛と共に進む物語だが、その最後はジルから最大の愛が返される物語なのだ。

とはいえ、もっと明るいエンディングがよかったなぁという気持ちは強いので前者のクライヴ生還ルートも支持したい。最後の子供たちがクライヴとジルの子孫というのもそれなりに素直な解釈ではある。ジョシュア蘇生からの子孫ルートの可能性もあるが。

いずれにせよ全体を通してとてもよいストーリーであったことは間違いない。プレイ出来てよかった。ありがとうFF16。

しかし、なんといってもFF16最大の評価ポイントはトルガルである。トルガルのかわいさを堪能するためにプレイしていいといっても過言ではない

とにかくトルガルかわいい。でっかい犬と触れ合いたい

よい

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