読書の重要性
子供の頃、親から本を読みなさい!と耳にタコができるほど言われた。
当時は、その重要性も理解せず、テレビゲームの方が面白っくてそればっかりやってたが、今になって後悔している。それは、自分が研究者になって、本のようにまとめることの重要性(偉大さ?)に気づいたからだ
僕は土壌の研究をしている。発表することもあるし、一般の方に研究についてお話しする機会も少しある。ただ、いつも、発表のあとで、この部分もっとわかりやすくできたのでは?とか、本当に伝わったのかな?とか思って反省する。自分の面白いことを考えていく、研究していくことは得意なのだけど、そのピースをつなぎ合わせて一つのことにしていくというのはあまり得手ではない(研究者としては微妙だけど)。
発表や人前で話すのが上手な人をみていると、綺麗な物語のようになっている。当たり前なのだが、僕のような発散型人間だと、整理がうまくできておらず、断片的な知識を組み合わせると、資料はそれなりにできていても、ツギハギ感の消化不良を起こす発表になってしまう。
今になって読書をしていると、本はどうしたら自分の面白いと思っているものを他の人に楽しく、わかりやすく伝えるかのセンスや技術の宝庫だと感じる。
研究者の中でも、そういったことに長けている人がいる。その人達の研究はやはり面白そうに感じるし、事実裾野が広がる。
今、読んでいる本の中に日高敏隆先生の昆虫の本がある。
日高先生は、昆虫の専門的な話を読者の興味が湧くような視点から掘り下げて、消化負不良にならない程度にうまくまとめてくれている。
日高先生の書いた、「昆虫の世界」という本に、蝶が自分の卵を、決まった植物(蝶の食草)に産みつけられることの不思議について説明している一節があった。日高先生は、蝶と対象の植物を2つの点と例え、この2つが巡り合うことの難しさを読者に連想させ、優雅に飛んでいるように見える蝶が、実際は死に物狂いで?ジグザクにとび、やっとの思いで植物を探し当てていることを伝えていた。これならば、昆虫や植物を知らない人にとってもイメージしやすく、蝶が優雅に飛んでいるだけでなく、本能にかられて、必死な旅をしていることがわかる。こんな感じの、興味が持てるように読者に連想させる書き方は絶妙だなあと思う。
これは知識があるのはもちろん、それを噛み砕いて、再度ストーリー化する能力がなければできない芸当だなあ思う。
子供の頃、もっと本の虫になっておけば、このブログも少しは洗練されたかなーと思いながら、本を読むこの頃である。