今の時代、育児の具体的な手抜き方法についてレクチャーが必要だと思う(私も知りたい)
最近は、世間は「家事にかける手間や時間を減らそう!料理も時短!」みたいな感じで、とにかく手を抜けるところは抜こうよ、という風潮になってきている。コスパ(時間もお金です)大事!とても素晴らしいことだ。
でも、育児に関して言えば、まだまだなかなか正直難しいよな、と思う。
以前介護関連のテレビを見ていたときアドバイザー的な人が、
介護は、ひとりでがんばるなんて無理だ。人の手を借りて60点、くらいでいいんだ
というような内容のことを話していて、育児だってそうだと思った。
育児だって、人の手を借りて60点(及第点)くらいでいいと思う。成績で言えば優・良・可・不可の「可」ね。
この「人の手を借りる」というところはだいぶ宣伝されるようになってきていて、保育園やファミサポなどの一時預かりに預けようとか、両親やパートナーをうまく頼ってリフレッシュしようとか、そのあたりは方法としては周知されてきていると思う。(実行できるかはまた別として)
ただ、それだけだと、預けていないときの育児はあまり手を抜けていない。人見知りとか諸事情で預けられない時期もかなり苦しい。そんなに満足できるほど預けられないから苦しいのだ。
初めて子どもを産むと、多くの母親は「全力で」「きちんと」育てようとする。色々調べて、子どもにとって一番いいことは何かを日々考え実践する。トライアンドエラーでがんばる。それは子どもへの愛情や責任感ゆえだろう。だから、「そこを手を抜くこと=子どもへの愛情が少ないんじゃないか」とか、「人を育てるのに適当にしちゃいけないんじゃないか」とか、なんとなく後ろめたく思ってしまうのだと思う。
この、「最善を求める」とか「今の状況に甘んじず、もっと改善点を探して良くする」みたいな日本人にありがちな考え方、いい点ももちろんたくさんある。こういう考え方があったから、日本の技術で世界から称賛されていることはたくさんあるし、そこは誇りに思っていいと思う。
でも、育児では「いつも最善」「最高のクオリティ」を求めると正直苦しい。と、二人育ててやっとわかった。無理よこれは。
今、理想的な育児論みたいなのが色々広まっている。莫大な情報量があって、いろんな偉い先生方も理想的な育児について教えてくれる。TVでも本でも、インターネットでもいろんなところで目にする。私たちは、ベストの方法は教えてもらえるし情報としても(きちんと選べば)拾える。しかし、核家族で、ワンオペ育児が多い中でのこの「理想的な育児」は目標設定としては無理があるレベルになってきていると思う。なのに親は理想に向かって散々模索した挙句、理想通りにいかないとき、自分を責めてしまう。
そして、手の抜き方は教えてもらえない。どこにも書いてない。おそらく、これは「◯◯なんてしなくて大丈夫」って書いてしまったら、大抵の人には大丈夫であっても、少数の人に何かトラブルがあったときに責任問題にもなるし、あと、勝手に都合よく解釈されたりすると困る、というのもあるのじゃないかと推測する。だから、「やったほうがいい」「やっちゃだめ」はあっても「やらなくてもいいよ」という内容の記事とか本とか、あんまりないんだろう。一般論にするにはなかなか難しいところだから。でも、健診とかで会った保健師さんとかに「手を抜いてね」とは言われる。手を抜くって実際何をどうすればいいの!?
「手を抜いてもいい」というキーワードは手に入れたけど、方法がわからない。そして理想の育児はどこかで自己責任で「こりゃ無理だ、仕方ない」と妥協することになる。しかしこの妥協して新たな基準のラインを作る作業がかなりストレスになる。これはこれまでの自分の「こうあるべき」という常識を自らの手で壊すという、なかなかパワーのいる作業だ。失敗したら子どもに不利益になる(こともある)。しかし今までの方法だと破綻する…。なかなか勇気のいるトライアンドエラーをしていく中でちょっとずつ妥協ラインを見出すことになる。そしてこの妥協ラインに関する今までの知見はどこにもなく、自分とパートナーの(下手したら自分一人のことの方が多いかもしれない)経験と判断だけに委ねられるからだ。
「本当に大丈夫か?」「子どもがかわいそうじゃないか?」「これでいい」「これでいいのかな?」と、不安な気持ちのまま行ったり来たりし、結果が分かるのはずいぶん先だ。
だからこそ、なんなら「最低ライン」の基準があればいいと思う。ここだけは守っとこ!みたいな。
そんなわけで、私がなんとなく思っている「最低ライン」を文章に起こしてみた。
・後遺症や命に関わるような怪我や受診が必要な事故をさせずに過ごす←少々の怪我は成長する上で避けられない
・眠れる環境を作る←要はそこそこ清潔な布団を用意する
・手が出るけんかは止める←他人を傷つける行為は止める
・3食とおやつ、飲み物を出す←作らなくてもいい、栄養はざっくりで
・肌荒れしない程度にオムツを変える←子どもによると思うけど、イヤイヤ期に1日に2回しか変えられなかったけどパンパースでカブレはなかった…
・片付けは子どもが誤飲しない程度で
・子どもにときどき笑顔を向ける。怒ってしまっても無視はできるだけ避ける
・虐待(身体的、心理的、性虐待、ネグレクト)しない
要は、そこそこの衣食住と安全と、「私はあなたが大好きです」が伝わればそれでいいんじゃないかと。
(この「そこそこ」を文章化して書き起こすのが難しいんだろうな…。人によって「そこそこ」のものさしが全然違うことだろうからね。)
こんなことを書いている私ですが、事故対策をしていても家庭内の事故で受診が必要な怪我をさせたこともあるし、イライラする気持ちが止まらなくて八つ当たりすることもあります。まぁ最低ラインもできない日もあるということですね。
それから、自分がつらくて休むために子どもに「安全な部屋でテレビを見せっぱなし」なのは育児放棄じゃないから!大丈夫ですから!
そもそもこの「最低ライン」も、やるのはなかなか手がかかることだからね。できたら大仕事。1日お疲れ様!ですよ。最低ラインと書いちゃうと、できなかったときなんか罪悪感あるしなんか簡単そうに見えちゃうから、なんかいいネーミングないかな。ちょっと考えてみようかな。
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こんな感じのことを10月くらいに携帯にメモで殴り書き?していた。そしたら、その後、同じようにそう思っている方が「医師や保育士さんなどの専門家と『手抜きのライン』みたいな本を作るために意見交換中」という感じのツイートしているのを(随分前に)見たのですよ。「手抜きの手引き」みたいな!
しかし愚かな私はそのツイートを見て「先越された…」とショックでそっ閉じしてしまった。しかもそれは誰かのリツイートだったので、そのツイートを見つけ出せない。バカバカ、私のバカ。「いいね!❤️」ができなかったのは、自分の器量の狭さなんだろうと思う。でも発刊されたらきっと話題になると思うから、見かけたら是非買ってみたいと思う。
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あとがき?
今回の話が、私が実際に子どもを育ててみて、一番自分の中で変化した考えです。
産むまでは全然こんなこと考えなかったし、産んだあともしばらくは思えなかった。2人目が生まれて全然回らなくなって、なし崩し的にそうするしかなくなっているうちに開き直って新境地!みたいな展開でした。この道を通らないとこれは理解しがたいことだと思う。可愛い我が子を育てるのに手を抜くってwって、産む前の私はきっとどこかで「そんなことあるわけない」って思っていた。
私の時は迷ったときに「手を抜いていい」なんて堂々と文章で書いているのを見たことがなかった(気がする)。だから、こう思えるようになるまで葛藤もあったし落とし所を見つけるのに時間もかかった。なので、これから産んだり、産んだばかりの人に、すごく頑張ってるけどもう限界よ…って方に、「最善じゃなくてもいいんだよ」と伝えたくて書きました。あと、自分だけの意見で恐縮だけど、ラインについても。誰かの手抜きの背中を押せますように。
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