マガジンのカバー画像

ココロのトビラ

28
令和4年度に授業で配付している<通心>です。週一で発行予定。
運営しているクリエイター

#五感

自分の色、居場所。

 映画『ガリレオ 容疑者Xの献身』(2008年公開)は、大学生のとき友人であった物理学者と数学者の対決だが、奥が深くて“実に面白い”。ここで、数学者は「四色問題」の美しき解法に挑む。また、ドラマ『オクトー ~感情捜査官 心野朱梨~』では、感情が色で見え、捜査に挑む。近頃、私は色というコトバ(表現)に不思議と意識が引き寄せられる。ところで、今のあなたの感情を色で表現すると何色だろうか。そして、それはなぜだろうか。私は桃色かな、華やか人生で幸せだから。  マザー・テレサさんは「こ

コトバの栽培者

 『現代の超克』の一節にある“文化の栽培者”という表現に心が揺れ動き、“ココロの栽培者”という題をポンと思いつくが、どうも違和感がある。超越していて、まだまだ深遠なテーマである感じがする故に、これからも未知なる道を探究する歩みを進めていこうと思う。とはいえ、この場では何かしら言葉を紡ぎたい。では、我々は何を栽培しているのか、しばらく想起してみよう。  読む、書くことは植物を育てることに似ている。植物を育てるときに、種だけあっても始まらない。土に植え、水をやり、育てていく必要が

いのちの切符

 森岡正博氏の著書『人生相談を哲学する』を電車内で読んでいて、「宇宙に生まれたときに一人ひとりは“いのちの切符”を与えられた」という表現が悦に入って、毛布に包まれたような心地よさを得る。このかけがえのない切符を手にし、どんな邂逅的な旅に出るかが人の生き様なのである。  人間はこの切符を偶然にも手に入れ、自身に命が宿っている。これを“宿命”とよぶ。これは奇跡的に生まれもったものだから変えられない。一方、生きる中で命が運んでいくのが“運命”である。だから、運命は未来のことだからど

言葉の器

 I am interested in the game.という英文構造にふと疑問を感じる。“興味を持つ”というのは行為であるのに、なぜ過去分詞を使った受動態なのだろう。勉学の基本は大概あるがまま受け入れるところから入るが、そこにメスを入れる。つまるところ、本質に目を向けてみる。それが本来の勉強だと考えている。さて、この疑問について英語の先生がどう捉えているのか伺ってみた。親切に対応してくださり、たくさんご教授いただいた。ありがとうございます。  英語圏の人の感覚では、感情動

原点に戻る

 人生は何が起きるか、誰にも分からない。というよりも、何かを予期できたら、一度きりの人生といえども味気ないし、面白くないだろう。そこに果たして「生きる」意味を見出せるか。  桜は散るからこそ、儚くて美しい。だから、古から愛され続ける。ずっと桜が咲き続けていたら、美的対象と認識されないかもしれない。ただ、桜は散ることを予め知り得て咲いているはずはない。(とはいえ、そもそも知るという認識を持てているかどうかは不明だが。)つまり、何かをやろうとするときに、まだ何もしていないのに、初