書く行為、その先 book review
『ミナの物語』
デイヴィッド・アーモンド・著
山田順子・訳
東京創元社
たった今から、日記を書き始めた。自宅学習を始めてから、もう一年近く経っている。最初のページにはこう書いた。『あたしの名前はミナ。あたしは夜が好き』。これはミナの、心の軌跡をたどる物語だ。
ミナは学校で変わり者扱いされていた。でも、友達と言える子もいた。ソフィーだ。彼女もミナを変わっていると言う。でも気にならないと。
大人、特に教師から見ると、ミナは尊大で子どもらしくない考え方をする、生意気な少女に映るようだ。でも母は違う。ミナは自分の意見や見解を持っている子どもだと言う。
休学は母の考えでもあった。『他にも道はあるわ』と。これは一つの選択だ。彼女はミナの一番の理解者で、学校や児童相談所とも冷静に対応し、紹介されたフリースクールにも出向いている。大切なのは、社会や世間ではない。大切なのはミナなのだ。彼女は成長過程にある。変化には時間が必要だ。見守り、待っていればいい。時は必ず訪れる。
見学をかね、一日だけ行ったフリースクールは、楽しかったとミナは言う。スタッフも、そこに集う子どもたちも、みんな好きだと。その気持は、日記からも伝わる。彼女はここに通うことも可能だと思う。ただ、今の自分に相応しい場所ではない。フリースクールも、学校も。今、自分に相応しい場所は自宅しかない。母と同じで、ミナも選んでいる。
自宅学習は、学校やフリースクールで過ごすより難しい面もある。自分の意志で一日を終えるのは、簡単に思えてそうでない。成長は痛みを伴う。この物語を読んでいると、人の集う学校やフリースクールは、その痛みを紛らわせるためにあるような気がしてくる。自分と常に向き合わずにすむように。
ミナは日記にこう書く。『自分の胸の内にいる、もろくて力強いものの声を聞け』と。一人静かに自分と向き合わなければ、この声は聞こえてこないだろう。
ミナは自宅学習を気に入っている。母親も理解している。でも、いつまでも続けられないことも、もう気づいている。友達が必要になると、母は言う。男の子のことを考えるようになるとも。それが本当のことだと、心の中でミナもわかっている。
一日の大半をミナは一人で過ごしている。母親以外の人とは、ほとんど関わることがない。そして、学校に、時々、戻りたくなる。理解のない教師ばかりではなかった。魅力的でおもしろく、創造的な教師もいた。ソフィーに会いたいとも思う。今、ミナは過去も含め、日々の出来事や感じたことを日記に書いている。書かずにはいられないのだ。
日記は書かれた瞬間に過去の域だ。ある社会学者が言っていた。『書くという行為は、なにがしか自分の人生にオトシマエをつけるためのもの』と……。ミナにはもう、その時が来ていた。変化は訪れている。
隣に男の子が越して来た。今までミナは自分から友達を作ろうとしたことはない。できるだろうか……。立ち上がり、ミナは歩き出す。ここからの物語は、もう書かれている。本書は『肩甲骨は翼のなごり』の前日譚だ。
好きなシーンがあった。ある日、ミナと母は、朽ちた祖父の家の屋根裏でフクロウの巣を見つけた。二人は暗い階段にしゃがんで、夜になるのを待っている。フクロウたちが目を覚まし、飛び立つ瞬間を見るために。この二人は、似ている。
同人誌『季節風』掲載