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1週間の入院生活 no.3

入院6日目。
明け方の暗いうちは雪が降っていた。
外が明るくなってくると、もう雪は止んでいて晴れてきそうな青空が見えた。

昨夜遅く、手術当日からずっと左腕に付いていた点滴が終わった。
昨日から流動食が始まり、今朝から3分粥に変わった。
もう点滴に頼らなくても、栄養が摂取できるのだろう。
ただ、点滴用の針はまだ左腕に刺したまま。
抗生剤の点滴が今日1日続く。
これは1回30分ほどで終わるので、これまでのように点滴棒を従える必要はなくなった。
開放感もある反面、何処に行くにも連れ歩いたお供がいなくなると妙に手持ち無沙汰な気分になる。

病室で過ごす時間は快適だった。
朝は新聞ビューアーでゆっくり朝刊に目を通し、7時のNHKラジオニュースをPodcastで聞きながら朝食をとる。
自宅ではラジオなので多少のタイムラグはあるけれど、時間に余裕があるのでまったく気にならない。
こんなにゆっくり過ごせる時間は、これまで私の日常になかった。
準備や後片付けもなく食事ができることも、洗濯不要でパジャマやタオルが使えることも、ベッド周りを掃除してもらえることも。
父の手術や入院生活に付き添うことはあったけれど、治療のため私自身が入院生活を送るのは今回が初めてだった。
出産時の入院は3日間だけだった。
アメリカではそれが普通だったし、ただ慌ただしいだけで疲れた。

生前の父は手術&入退院を、年月をあけて何度か繰り返した。
父が過ごした病院は、私が覚えているだけで5つある。
私はどの病院にもよく出入りしていたけれど、入院生活に対してそれほど良い印象を持っていなかった。
その中で延命治療をせずに過ごしたホスピスだけが違った。
山の上ホテルの設計を手がけた建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設立に関わったヴォーリズ記念病院だ。
ホスピス(緩和ケア病棟)なので、特別だったとは思う。
落ち着いた空間は柔らかな間接照明で、時間がゆったりと流れていた。
父の病室からはヴォーリズが手がけた多角形の建物がすぐそこに見えた。

父の病室から見えた建物

病院によってスタッフも医師も看護師も対応が違うのだろう。
この病院で私が最も意外だったのは担当医師の対応だった。
手術当日の前後も、その後も病室に私の様子を見に来てくれる。
最初、私は担当医師が病室に来たので驚いた。何かあったのかと…
でもここではそれが普通のようで、同室の他の患者には彼女らの担当医師が様子を見に来ている。
父の手術には何度か付き添ったが、担当医師が病室に来たことはなかった。
父の担当医師と会ったのは、治療のスケジュールや手術を決めるときだけで、診察室以外では一度も顔を見なかった。
医師は余程の異変でもない限り病室には来ないものだと、私はずっと思っていた。
病気の症状や手術の内容にもよるのだろうか。
ここでは患者と医師と看護師の距離が近いような気がする。

昨日からハン・ガンの『少年が来る』を読み始めた。
作品は六つの章立てで描かれ、六人の語り、そしてエプローグで終わる。
一章ごと、途中ではページを閉じることができなかった。
一章を読み終えるたびに、続けて次を読み進めることもできなかった。
彼らの語りに引き込まれ、ただ耳を傾けていたような気がした。
一言も聞き逃さないように。
ひとつの章が終わると、ぼんやりと宙を見つめる。
彼らの声を聞いた自分が、何を思い考えているのかわからなかった。

今日からまた続きを、五章から読み始める。


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