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出て行った二人のこと  book review

『父さんが帰らない町で』
キース・グレイ・作
野沢佳織・訳
金子恵・絵
徳間書店 2020

 同じテキサスが舞台で、キンバリー・ウィリス・ホルトの著作『ザッカリー・ビーヴァーが町に来た日』を思い出した。夏休みのある日、退屈な田舎町に青いサンダーバードが現れる。派手なイルミネーションで飾られたトレーラーを引いて。そこには世界一太った少年が乗っている。一種の見せ物小屋だった。一九七一年の出来事。

 本書に登場するのは移動カーニバルだ。一九二二年の夏、テキサス州東部の田舎町ランズデールに、キラキラしたトラックの行列が現れる。昨日まで空き地だった場所に、観覧車や、スイング・ライド、恐怖の館が出現し、町の人たちを惹き寄せる。

 二つの物語は構成要素が似ている。前者の主人公は十三歳のトビー。後者は十二歳のウェイド。戦争の影も見え隠れする。夏休み、田舎町に出現した見せ物小屋(恐怖の館)を通して、彼らのありふれた日常に波紋が拡がる。周囲の人たちや友達との関係、両親の知らなかった一面も浮かびあがり、カーニバルが去った後、彼らは少し大人になる。ひと夏の少年たちの、成長物語とも言える。

 構成要素は似ていても、読後の印象はかなり違った。二つの作品を比較するつもりはないが、女性(母親)の描き方がまるで逆だった。時代は五十年ほど違うが、その差は関係があるのだろうか?

 トビーの母は生まれ育った家で、夫と息子と三人で暮らしていた。夫は大都市ダラスの出身で郵便局長だ。副業で釣り用の餌になるミミズの飼育もしている。母は歌手になる事を夢見て、二人を残し家を出て行った。

 一方、ウェイドの母は戦争に行って帰らない夫を、二人の息子と共に待ち続けている。かつて夫が勤めていた床屋の二階を借りて、ホテルのメイドをしながら生計を立てている。夫は足元よりも地平線の向こうを見ているような人で、彼の入隊は冒険したい気持ちにけりをつけるためだった。戦地から戻れば、落ち着いて暮らせると思っていたらしい。でも、帰って来ない。

 トビーはふと考える。もし父がミミズを飼育したり、郵便局に勤めたりするよりも、もっと面白い事をしていれば、母は出て行ったりしなかったかもしれない。でも彼の知る限り、母はずっと歌手になりたがっていた。

 家族、恋人、友人、隣人に恵まれても、家やお金があっても、けっきょく人は、自分の人生を生きないと幸せになれない。

 観覧車の上から、ウェイドが兄と一緒にランズデールの町を見下ろすシーンがある。見えるものすべてを、自分たちが知っている。その事が彼には嬉しかった。でも兄は違う。何もかもがちっぽけで嫌になってしまう。父が帰らない理由がわかるような気がして、ここから抜け出したい想いに駆られるのだ。

 出て行った二人も構成上、逆だった。母親をアメリカ人の女性作家が、父親をイギリス人の男性作家が描いている。国やジェンダーは、無関係だろうか? トビーの母に共感できても、私はウェイドの父に共感できなかった。

 ウェイドは『恐怖の館』の蝋人形『最後の兵士』と父を重ねる。出て行った父は朧げで、最後まで遠い存在だった。一方、出て行ったトビーの母は、遠く離れた街にいても近く感じる。彼女の生き方が、選択が、わかるからだと思った。

同人誌『季節風』2021 春 掲載


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