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魂で起こる変化 book review
『殺人者の涙』
アン=ロール・ボンドゥ・作
伏見 操・訳
小峰書店
これは、ある殺人者の変化を描いた物語だ。
彼は三つの都市で指名手配になっている。老女を襲い、若者の金を騙し取り、抵抗する者は容赦なく殺す。襲った相手の顔など見たこともなければ、自身の顔すらきちんと鏡に映したこともない。幼少の頃に両親を亡くし、貧しさと路上の法則に従い、たったひとりで生きてきた。いつだって持っていたのは、ナイフと自分の力だけ。男の名はアンヘル。
彼は逃亡生活にうんざりしていた。そんな時、ポロヴェルド農場のことを聞いた。チリの最南端、荒れ果てた大地でひっそりと生きる家族がいる。その先には、もう海と砂漠しかない。生命の吐息さえきこえぬところ……。
アンヘルはポロヴェルド夫妻をあっさりと殺し、この最果ての家に住み着いた。お尋ね者には、もってこいの隠れ家だ。
夫婦にはパオロと言う名の息子が一人いた。あえて殺す必要もなく、何かの役に立つと思って、アンヘルは彼を殺さず、ともに暮らし始めた。幼いパオロに、選択の余地はない。
二人は並んで畑を耕し、ヤギやにわとりの世話をした。アンヘルは夜の寒さをしのぐため、パオロを抱いて眠った。ここを尋ねて来る者はいない。こうして、一年が過ぎた。
アンヘルの心に変化が訪れた。なぜ今まで人殺しをしたり、盗みをしたりしていたのだろう。誰も傷つけずただ生きるために、自然や季節と闘って暮らしていくことが、こんなにも簡単なのに。子ども一人いるだけで、喜びを感じることができるのに……。
二人だけの平穏な生活にも、変化はやってくる。ルイスと言う名の旅人がこの地に現れた。彼は金持ちで教養があり、明るく自信に満ちている。ならず者のアンヘルとは対照的な人間だ。けれど、彼もまたアンヘルとは別の理由で、世間から逃げて来た。自身の弱さと恥を隠しに、この最果ての地にやってきた。
不本意ながらもルイスの滞在に、アンヘルは目をつむり、三人の奇妙な共同生活が始まった。ルイスの言動は、いちいち気に障るし、その度に引き出しのナイフが、アンヘルの脳裏をかすめた。彼は人殺しだ。いつだって誰だって殺せる。でも、パオロはルイスになついている。ルイスを殺せばパオロの心はアンヘルから離れるだろう。それは耐えられない。
全く違うようでも、三人には共通点がある。誰もが孤独で、愛されたことがない。パオロは両親の愛情を知らず、またルイスも同様だ。ただ、裕福なルイスは人生を選べる。
作中、身体全体をふるわせアンヘルが泣くシーンがある。いつかパオロの愛情を失う日が来る。そうなれば、かつての人殺しでペテン師の自分に戻るしかない。蓄音機から流れる音楽に、嗚咽をかみ殺す場面もある。これまでの罪を消すことはできない。ただ一つ愛のある行為ができるなら、それはパオロと別れることだ。終わりのない逃亡生活から開放し、彼にチャンスを与えるのだ。
アンヘルとパオロの人生は、二人が出会うことで始まった。逃亡中に出会った老人は「変化が好きだ」と言った。人は変われる。アンヘルは老人に、パオロをたくす決意をする。
もし両親が生きていたら、もしアンヘルに出会わなければ、パオロはどんな大人になっただろう。二人は出会うことで変化し、人としての生を手にした。
魂で起こる変化は、目に見えるとは限らない。でも私には見えた。いびつなアンヘルを、何度も抱きしめたくなった。
同人誌『季節風』掲載