グダグダ
ガーシー前議員から女癖の悪さを暴露され、それらについて訴えた綾野剛さんの言葉で、「上を目指すのではなく、今の状態から前に進む」ことを意識しているという素晴らしい言葉がある。
実際と記憶が、一言一句同じなわけはないだろうが、意味は同じ。
「目標」を意識して生きるのではなくて、「常に一歩前へ」の精神で生きる。
「一歩前へ」は、“一歩だけでも前へ進むことには意味がある”ということであり、プロセス主義。
「目標」を意識して生きると、どうしても現在地と目標を比較してしまい、自らを卑下しがちになる。
生きる上での設定としては、かなりのイージーモード。
今にして思えば、女性を雑に扱い終えるたびに、「今の状態から。今の状態から」と頭の中でセルフリセットしていたのかもしれない……けれど、裁判自体はガーシー前議員が負けているようなので全く違うのかもしれない。わからない。
正直、能動的に調べる気もないし、わからない。
松本人志さんの件を書く上で、面倒だけど目を通しておこうかなと思ったメディア情報がいくつかあるが、その内の二つを、先に、このブログ上にアップしておく。
水道橋博士の動画は、近日中に削除するようなので、積極的に拝聴したい方は気をつけて下さい。
個人的にも、49分までしか観ていないので、改めて見返す場合は、急がなればいけない。
話は変わるが、家があると椅子に座ってしまう。
そもそも、何故こんな中途半端なテキストを書き始めたかと言えば、「家があると椅子に座ってしまう」と思ったからだ。
自分が育ててもいい子供が傍にいたのなら、「落ち着かない子供になりなさい」と言いたい。
「落ち着いた子供」というのは「椅子に座った大人」にとって都合がいいだけであって、その子の人生にとり“有益な教育”ではないと思うからだ。
落ち着きのない子供の方が、社会的に成功する。
新たな寝袋も買いに行けてないし――行かなければならない。
自分の体に合った椅子も買いに行けてないし――行かなければならない。
子供にお年玉もあげられてないし――
子供の子供による子供だけの場所に「おい何してんだよ」と圧力を掛けて、雰囲気でその場に加わって、日が暮れて来たら「これでジュースでも飲めよ」と金を握らせて帰ろうかなあという計画。
一番ハードルが高い。
自分より年下が親ということも珍しくなくなり、子供がお金を握って帰って来たら、不審感だけが募るだろうことは感覚的にわかる。
「近所にヘンなおっさんがいた」という世代でもないのだろうし。
果たして、何を第一歩とするか。
とりあえず、溜まったごみを捨てるという“必要悪”は行使しようかと思っている。
年末年始、いつがごみ収集の日なのか知らない。調べる気もない。調べて違っていたとしても、どうせ捨てるから。
ぐずぐずしてると仕事も始まるし、ぐだぐだと椅子に座っているよりはいい。
ああ日が暮れた。
ごみは捨てやすくなったかもしれないが、寒い。
早く春にならないかな。予定では、春までは無休で労働者。