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備忘録つづき

備忘録⑥
記事3本――

心底レベルが低い。
心底低いそのレベルが何かと言えば、“自分の頭で考えようとする意思のレベル”が低い。

松本人志さんには遠く及ばないとして、自分でさえ「レベル」という強めの言葉を当ててしまいたくなるほどだ。

率直に――。
これって引用、孫引きし合っているだけでしょ。「朝日新聞」の社説でさえ、記事時点ですでに誰かが言明、表明、表現したものを、そのまま繋ぎ合わせただけという印象を禁じ得なかった(第二の慰安婦誤報に怯えているのか?)。

果たして、大学生がレポートをコピペ回ししていることとは「違う」と断じられるのか?
あくまで訴えられたら裁判には耐えられる“(民事)裁判ゲーム”としてはセーフだからセーフという解釈なのか?
であるならば、一度開けたら最後――口が閉じられなくなってしまう。
だが、しかし、ある一つの共通項は見えてきたように思う。

「フェミニスト」と「老人」は親和性が高い。
この場合、気を配らなくてはいけないのが、“男性側への性冤罪の可能性も考慮出来得るフェミニスト”は含んではならないということ。また、一概に「老人」と言えど、当然そこに当て嵌まらない老人もいるだろう。
では、一体どこに親和性を感じさせられたかと言えば、先に「答え」を決め、頑なにそれを動かさないという点。

冤罪の可能性を一瞥出来ないフェミニストの思考というのは「嫌だと思った側が『嫌だ』と言ったならそれは駄目なんだ」というものだろう。
もちろん、「嫌だ」とその場で口に出し言ってくれたなら、相手側は、ほぼ全てのケースで躊躇、または戸惑いから、多少の会話を持ったあとに、距離を開くだろう。シャイな人間であるほどにそうだ。
だが、それをやらずに、さらには飛び越えて「ハラスメントとは、ハラスメントだと思った人がいた瞬間からハラスメント」など、「嫌だと思った側が『嫌だ』と言ったらそれは駄目」ではなく「嫌だと思った側が『嫌だ』と言ったらそれは“犯罪”」として捉えているように見受けられる。

「駄目」で様子を見たならば、本来はそこからの“修正”も利くはずで、それが我々人間が構築してきた社会というものではないのかという気もするのだが、「犯罪」までに“憎悪の念”を込められたなら、そこからの修正はもう利かない。容易でないし、他人事でない。
――「答え」ありき。

そして、何故これに「老人」との親和性を感じるのかと言えば、老人って、もう、基本的に考える力がないじゃん(笑)。
――と、するのは、さすがに暴論であったとしても、すでに長い人生に渡り、否応なく練り固められてきた価値観(実際は“練り”もせずに固くなってしまっただけの方も一定数おられるとは思うけれど)を動かさん人は多いはず。
少年・少女期、思春期・チャキチャ期、青年・淑女期、壮年期、熟年期、老成(老人)期の中で、最もその割合が高いのは「老成(老人)期」で間違いなかろう。多分。
自分がこうと思ったら、その「答え」を変えない。

またこれを言い換えるのなら「保守的」。
社会に対する思想や向き合い方が保守思想なのではなくて、自分の心に対して保守的。
ついでに書いてしまえば、これは「アップデート」ではない。

ある意味、“善悪”とは無関係に、自分の頭で考え、思考・思想の高さや深さを得ることこそがアップデートだったのではないか――。
現在、当然のように語られているアップデートとやらは、本来の意味でのアップデートではなく、ただのインストールのように感じてしまう。
そして、そのインストールされんとしているものの中身は、“結果的に女性を中心とした弱者に寄り添う型にこそなってはいるが、実態は古めかしい老人脳”というソフトであると見立てる。
by40代(無職の壮年期)。

出来れば、「思春期・チャキチャ期」辺りに一瞥してもらいたい。「へ〜」、「ふ~ん」程度でも気付きが残るのであれば「少年・少女期」も。

また、さらにもう一歩ついでで書けば、“思考停止で振りかざされる正義”というやつは「体罰」とも通底しているようで……。
と、これ以上はやめる。
あくまで備忘録。
メモ代わりの文章とはいえ、不用意発言が出てしまいそうだ。

上記、元FRIDAY・週刊現代編集長、元木昌彦氏の記事。
ゴシップ誌を中心とした断片を元に、これまたどこかで一度以上は確実に目にしてきた考えが当てられて出来上がった文章。

付けられたタイトルを見て、ダウンタウン・ファン、松本人志・ファンとして、腹に力を込め読み始めるわけだけど、どうして腹に力を込めるのかと言えば、記事の内容次第ではファンをやめなくてはならないかもしれないという可能性があるから。
つまり、「答え」を動かさざるを得なければ、その「答え」を動かすという姿勢でいるからこそ、腹に力を込める。込もる。

何だろなあ、この落差。
先に取り上げた記事と変わらぬ中身で文字数を膨らませただけだよね?

上記、元週刊文春・月刊文藝春秋編集長、木俣正剛氏の記事。
表層を撫でているだけのように感じられるが、元木昌彦氏よりはいい。
ただ、表層を撫でているだけに感じられる理由は、結局“ゲーム”の話に終始しているからだということは書き置いておく。
控えめに言う。
自分とは、ズレてる。

元木昌彦。78歳。
木俣正剛。69歳。
朝日新聞・社説。年齢不詳。

備忘録⑦

博士――意味がわからない。
松本さんに係る一連の問題において、水道橋博士の立ち回りがわからない。
この発信に対して、責めているわけではない。称賛しているわけでもない。あくまで一他人として、意味がわからない。

自分はあまり好きな歌ではないのだが、SMAPの「世界に一つだけの花」を薦めてみたいような心境だ。

備忘録⑧

上手く言語化が出来ないのであれば喋るな。
全然まろやか味ない――三浦マイルド。
第11回(2013年)R‐1ぐらんぷり王者・三浦マイルド。バカリズムでさえ辿り着くことが叶わなかった王者――「尊敬」――三浦マイルド。

余談。
「インストール」って、使い方合ってるのか?
(間違っていた場合は、“お察し”しながら読んで下さい。「老害」でなければ出来るはず)

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