[王者]アレッシャドリ・パントージャ対朝倉海[挑戦者]他少し
去る日本時間8日に行われた一戦。
米国のUFCフライ級王座戦「アレッシャンドリ・パントージャ対朝倉海」(米国・ラスベガス)。
日本人にとっては未だ到達不能であるUFC王者——その試合である。
とはいえ、時のUFC王者より強い日本人選手は、過去にいたと個人的には思っている。だが、現在において、UFC王者がMMA(総合格闘技)の序列として最上位——「UFC王者=MMA世界王者」——であるとする認識は浸透されている。
この認識がない層は、「朝倉未来(兄弟)信者」とか揶揄されてしまうのだろうし、ようは格闘技を好きになってからの歴が浅く、“にわか”ということになるのだろうが、しかし、一方でこの認識がありながらも、実際UFCを視聴したこともほぼないという層も、わりかしいるわけで、自分はこの層にあたる。
全盛期であれば、桜庭和志はUFC王者より強かったと思うし(ミドル級~ウェルター級を主戦場にしていれば、戦前予想で劣勢が予想される相手はいなかったはず)、山本“KID”徳郁もそうだったかもしれない。
KIDに関しては、実際UFCでも試合をしており、全く通用しなかったという事実――3敗1無効試合・未勝利——が残っているのだが、この事実はあくまで一面的なものであり、KIDという選手は、北京五輪のアマチュアレスリングでメダルを目指すため、一時的にプロ格闘技を離れていた時期があり、この間に膝へ大怪我を負った。
技術というよりは、バケモノじみた身体能力こそが長所であった――それこそ現在の格闘技界での運動神経バケモノは那須川天心になるだろうが、KIDの身体能力はそれを超えていたし、他ジャンルで言えば米国人に混ざりながら圧倒的なパワーで本塁打を量産する大谷翔平の軽量版のようなもの——がゆえ、この膝の怪我以前以降では、全く別の選手になってしまった。
未だ現役を続けている金原正徳が若手だった時にも、KIDは敗れており、「技術自体は昔より向上している。ただ周りのレベルが(アマレスに転向している間に)上がっただけ」と負けが込みだしていたKIDとの対戦に向け、自身のブランディングを確立する目的もあったのか、前出のような発言を金原はしていたが、明らかにKIDは弱くなっていた。向上したとされている技術も、失ってしまった神様からの「ギフト(身体能力)」を、人としての「知恵(技術)」でどうにか補おうとしていたようなもの。状態。
当時の格闘技界には、ボブ・サップという、これまた身体能力にのみ格闘能力を振り切った、異端極まれりの選手(本人的には競技者ではなくプロレスラーとして生活して行きたかったらしい)がいたこともあり、同様に負けが込み始めると、「身体能力で勝ってきた選手は技術を覚えると弱くなる」とかいうわけのわからない論理――厳しい言い方になるが、サップの場合は“化けの皮が剥がれてきた”という認識こそが適切—―が、意外なほど正しい考えとして、大手を振るう時期もあった。
これは、“筋力トレーニングをすると競技者としての能力が落ちる”という迷信が、信仰として幅を利かせていたみたいな話であり、ならば井上尚弥はどう説明するの?——という話。井上は、明らかに筋力トレーニングを並行して行うことで、上の階級へ適応していっているし、一般的には大谷に置き換えた方がわかりやすいかもしれない。
おそらく那須川も、今後、または現時点においてすでに、筋力トレーニングに精を出していると思うのだが、これが直接的な原因になり、技術が落ちて勝てなくなってしまうとは考えにくい。
“その競技に合った部位を、適切に鍛えなければ、時として競技能力が失われてしまう”という留意こそ必要だが、これが全てであるとするような風潮——つまり筋トレ是認派が少数派——は、明らかに間違っていた。
そして、その風評を流布していた主な人物が、当時「K-1」のプロデューサーを務めていた(務めさせられていた?)谷川貞治氏で、やはり負け試合となった、韓国人選手とのキックボクシングの試合の中で、KIDの動きを盛んにいいと解説席から褒めまくっていた。
「(アマレスのブランクがあるにもかかわらず)いいですよー。動きキレてますねー」(谷川)——要旨。
その試合は、膝の大怪我明けとも呼べる試合で(調べて見たらこの試合の前にすでに1試合負けており、敗戦明けにもかかわらず「いい」という意味もあったのかもしれないが)、「よくて普通。普通に見て落ちてる。どう考えても絶好調の動きではないし、相手の動きに対する反応とかを見ていると逆に倒されるのではないか?」と、“谷川のすっとんきょう解説”をBGMに見ていたら、案の定倒された。
当時、この段階で、“全くの別人”にまで評価を転回させていたかはわからない—―判定負けまで粘ってくれていたなら少なくとも思ってはいなかったような気がする――が、次戦となる金原戦での金原の発言に対し、「技術力(ムエタイ技術)は上がっているかもしれないが、身体能力・運動能力は桁違いに落ちてしまった。だから、総合的には明確に弱くなっているし、現在のKIDに勝ったとしても、“強いKID”に勝ったことにはならない」と、反発的な感情を抱いたことは覚えている。
そもそも、一アスリートとして“現役に戻れるか否か”というレベルの怪我をしたはずなのに――右膝前十字靭帯断裂——、それがなかったかのよう「絶好調」を垂れ流せてしまう業界の体質に“澱み”を感じた。
ちなみに似たような“澱み”は、「PRIDE」(事実上の「RIZIN」の前身にあたる格闘技団体)で、変えようがない体格、もしくは極めて変えがたい体質から、不自然な肉付け――体重増加——を図り、ヴァンダレイ・シウバとのラバーマッチ(ライトヘビー級での対戦)に挑んだ桜庭に対して「いいですよー。見てください。パワーは増したのに、スピードは全く落ちてない」と太鼓判を解説席から与えていた高田延彦氏にも感じた。
「いや、キレないって」と、思っていたら、シウバのパンチに反応し切れずに失神させられた。
本来プロの立場(賃金をいただく側)であるにもかかわらず、身贔屓を排除して、フェアな目線で物事を見抜けない。いや、「商売」の下で見ているから、「好き」で見ているだけの一般人にもわかることがわからないのか――。
話が逸れてきたので逸れたまま逸らすが、そのように考えていくと、明石家さんまさんにしても松本人志さんにしても、「吉本興業」という囲いの中だけでなく、事務所の垣根をゆうゆうに超えて、事務所の間にある壁を感じさせず――逆にそれがあるだろうとする“世間の邪推”を逆手にとり――芸能活動をし続けてきたベテランがいる「お笑い界」というものの清廉性は、頭一つ抜け出ているようにしか思えない。
ダウンタウンの凄まじい影響力により、結果的に物質面で巨大化(「NSC」を経由しての芸人の量産化)を成してしまった「吉本(関西勢)」に対して、“負けてなるものか”的な精神で、縄張り意識を強く滲ませていた関東のプロダクションの芸人の方が、どちらかと言えば閉鎖的であったとは思うけれど、“ライバル意識”として、それはそれで嫌いではない。
それこそ太田光さんがラジオでおっしゃていたように(今年の太田「名言製造機」)、「さんまさんでさえ、スベったことがない芸人って、芸人をやっていれば一人もいないと思う。全芸人が一回はスベってから売れてる。みんな舞台に立って、大勢の人の前で大恥掻いてきたというのがあって今がある。自分にはその絶対的な共通認識が根底にあると思う」という“愛”があるのだろう。
音楽界や演劇界、テレビドラマや映画、またはアイドル業界はもちろんのこと、一般人が生活していく上で繋がる様々な会社(コミュニティー)と比較しても、“特殊な愛情”——詰まるところ、極めて高密度な「性善説」——で成り立っている。
そう考えると、そもそも、その他の人たちからは、“理解されなくてもしょうがない業界”なのかと、思わなくもないような、気がしないでもない。
話を戻す。
今や縄張り的に、頭一つどころか二つ三つ抜けてしまった感さえある最高峰の舞台UFC。井上を筆頭に、世界王者が何人もいるボクシング界の隆盛からは考えられないかもしれないが、これが格闘技界における現実である。
RIZINバンタム級王者の肩書きを引っ提げ、日本人7人7度目となる挑戦者となったのが今回の朝倉であったが、果たして——。
以下レビュー。
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